みなさま
今まで私の病気の理論である「病原環境論」または「適応説」をご紹介していなかったでしょうか。もしかしたら、していたかもしれませんが、もう一度します。
それは、再度の出版で私の「選択的ワクチン接種法」とそれを支える育児法の本が持続的に買われているようで、それだけワクチンへの関心が広がったのだと思い、もう一度私の立場を明らかにしたいと思うからです。
私の立場は、現代医学医療を批判し、しかし残念ながら世界にある多くの違う医療、中国医学、漢方、イスラム医学、ホメオパシー、アーユルベーダ医学、チベット医学、各民族のもつ医学など現存する多くの医学医療がある中で、すべての病気に対応する医学医療を見つけられず、
現代医療の一部に残る適応説がすべての病気に対応できると確信し、それによる医療をしています。
ですから、あくまで現代医学医療の一部に属しますが、少しずれた所にあり、現代医学医療からははじき出されています。
そろそろそれをまとめて本にしたいと思いますが、間に合わないので、少しずつブログに載せることにしました。
病原環境論 Ⅰ.
1.病気の原因は環境にある。病原環境論
人は、環境に適応して生きてきた。環境に適応できない時に病気になる。適応論
人は、環境に適応して変化し、環境が変化してもそれに適応して変化して生きてきた。
氷河期も乗り越えて生きてきた。そして人が行くと、そこの環境が変えられ、人間に都合のよいように変えられた。そしてその環境に適応した者が生き残っていった。
2.人は、歴史的に、世界的に(地球的に)環境に適応して生き残ってきた。そして人は環境を変えているが、環境を変えるとその変化した環境によって人間も変っていく。人間は環境(地球的規模までを含む)と相互作用している。
肌の色、鼻の高さ、目の色、常食、みな環境に適応して生きてきた。
同じ環境に置かれても、適応できるかできないかによって、病気になるかならないかが決まる。だから、歴史の中で、伝染病が流行したが、必ずかからなかったり、かかっても生き残ったりする人がいた。その人たちが、病気に対する抗体をもち、それが遺伝子に刻まれて、遺伝していった。
3.遺伝子+環境によって、病気になる。
環境に適応できない時にどの病気になるかは、その人の持つ遺伝子によって決まる。しかし、いくつもの遺伝子の中のどれになるかという仕組みは、まだ判らない。そこにも環境の影響が働いている。
遺伝子は、スイッチが入ると働きだすから、何がその引き金になるかが判ると、もっといろいろな遺伝的な病気のメカニズムが明らかになるだろう。
環境に適応するとともに、それが遺伝的に伝えられていく。環境も遺伝子を変化させる。(利根川博士の理論)
遺伝子には、過去にかかった病気の歴史、つまり、ウイルスや細菌などのゲノムの一部が組み込まれている。それが人間の記憶として残されている。だから、一度大流行した病気にはかからないか、かかっても軽く済む確率が高い。
4.環境には、自然環境と社会環境とがある。
自然環境は、地球的規模から、野山川海、そしてそこに住む動植物、寄生虫、細菌、ウィルスまでを含む。気候、気象条件、日射、大気汚染、ダイオキシンなどの土地の汚染、放射線、等々すべての自然とそれに環境汚染を含む。
アフリカやアラビアの砂漠は人間が羊を放牧したことによって生じたという確かな証拠があるという。現実に中国や蒙古の砂漠化は、羊の放牧によっている。自然界の動物たちは、草や木の葉などを食べつくすことはせず、残していくし、動物の背の高さによって食べる位置が異なり、また種類によって餌が異なり、棲み分けがなされている。それを壊したのは人間である。多くの動植物が日々絶滅している。これを残そうという努力は、保護区を作って、その中では人工的な手を入れないようにすることであるという。
一時アメリカで、ロッキー山脈周辺に自然保護区を作り、それを実施したが、草食動物だけの時にしたために、草食動物が木や草を食い荒らし、植物やそれに左右される小動物や魚などの生態系が乱れていった。それで、アメリカでは絶滅したロッキー山系のオオカミを、カナダから輸入して放したことにより、またそれによって生態系が変わっていき、また人間が介入せざるを得なくなった。
アメリカからメキシコに及ぶ砂漠も人間が作ったものである。アメリカ大陸全体は、昔は森林で覆われていた。それを切り開き農場や牧場にし、そこが砂漠化していった。
イギリスのレンガも、木を切りつくしたため木材がなくなり、レンガを焼いて家を建てるようになったのである。
今は、人の手の入らない原始林はないという。 すべての森に人が手を入れている。
社会環境は、人間の住む社会であり、最小の社会は家庭、最大は地球=世界=国連である。その間に、地域、市町村、都県、国、民族、人種、保育所、学校、会社、宗教、趣味の会、スポーツグループ、習い事などがある。人間が3人以上集まったら、そこに一つの社会ができる。主として人間関係が、情緒的、精神心理的環境を作る。しかし、自然環境も社会環境も情緒的、精神心理的環境を作る。
世界には、まだまだ地域の支配者がいて、その地域社会を支配している所が少なくない。
や集落などで、日本にいるとそれが判らないが、村と村の間が何十キロという土地も珍しくはない。
5.人間は社会を構成し、社会の中で生きているが、しばしば社会に疎外される。
本来社会は人間が作ったものであるにもかかわらず、人間=個人を社会から疎外するようになる。社会が勝手に個人を拘束したり、制限したりする。日本の村八分もその一つである。
6.人間の病気の歴史は、人間とそれらの環境との適応関係である。新しい環境に出会うと、それに適応できる人間が生き残り、できない人が淘汰される。環境の中に、自然環境も社会環境も入る。
新しいウィルスや細菌が登場した時に、うまく生き延びた人の適応の仕方が伝達されていくと、そのウィルスや細菌が重大な病気ではなくなっていく。そして一つ病気がなくなっても、一つ新しい病気が出てくる。
人間とウィルスや細菌との適応関係も、病気の歴史の上で大切である。
古代文明が栄えたのは、乾燥した土地で、水がある川のほとりである。湿地には人を追う狩人たち(微生物、寄生虫たち)が多く、栄えるようになったのは、ずっと遅い時代になってからである。
人間の歴史は、病気との戦いの歴史でもあるが、歴史家は病気のことは何も教えてはくれない。モンゴル帝国とペスト、ナポレオンのロシア遠征と発疹チフス、仏伊戦争と梅毒、スペイン人のメキシコ征服と天然痘、アメリカ先住民と結核など。
なぜ、ホモ・サピエンスは、他の原人たちを駆逐し、その当時生き残っていた大型獣類を絶滅に追い込んでいったのか。
なぜ日本には、梅毒やペストが大流行しなかったのか。結核もアメリカ原住民を壊滅的に打撃を与えたのに、日本人には慢性の病気として入って来たのか。天然痘も発疹チフスも、日本人を壊滅させなかったのか。
アメリカ大陸やアフリカ大陸で、キリスト教が現地の宗教を駆逐し、信仰されたのは、現地の神々が現地人を病気から救ってくれず、キリスト教徒たちは救われたと思われたからであろう。
インカ文明もスペイン人たちに滅ぼされた。しかし、古代文明以来、文明は栄枯盛衰をたどり、繁栄すると滅亡していく運命にある。現代文明も今後何千年続くかはわからない。いつかは、滅亡するのではないだろうか。
7.人間と自然界の食物連鎖。動物はすべて他の生き物を食物にして生きている。そして大切なことは、「どうすれば他の生物体の食物にされないですむか」ということである。 そして人間は、ミクロの寄生生物、病原体と、マクロの寄生生物、大型肉食獣との狭間に生きてきた。
8.病気という概念も歴史的である。
身体的不調のために期待された仕事が遂行できなくなった人間は、常に仲間から病気とみなされるだろうということである。だからその時代によって、病気の概念は変化していく。
人類の個人と集団は、常に数々の感染症に対処して絶え間なく変質を続けているが、感染症の病原体の方でも、環境への適応と自己調整を重ねている。
例えば、精神病は病気とは思われていなかった。そして共同体の中で生きていけたのである。またシャーマンになることも多く、日本では沖縄奄美のユタとノロの存在も忘れつつある。現代でも、まだその形は残っているが。
9.人間は、こころと身体を持つ、社会的存在である。
こころと身体は、メタルの裏表であり、常に一つである。そして人間は、社会を形成する生物である。常に人間社会の中で生きている。ロビンソン・クルーソーではない。
野性児の記録は、作られたものとの評価があるが、いずれにせよ、人間に育てられなければ、人間になれないことを示している。
そこに闇教育の存在が問題になる。闇教育は、異常な人間性を作り出すというのが、その説である。
10.人間は、社会によって人間である。人間社会があり、その中で育てられ、成長していくから人間なのである。社会に適応できないと病気になる。
時代によって、歴史の流れによって、社会は変化していく。
社会が変ると、人間もそれに適応して変らないといけないが、適応できないと病気になる。その時に、その人間のもつ遺伝的な弱点に病気が出る。
だから社会によって病気になり、社会によって健康になる。
本来、社会が病気と闘うべきであり、個人が戦うのでは無い。個人が病気と戦ってもかつことはなかなか難しい。病気は個人的なものではなく、社会的なものである。
だから、医学は自然科学ではなく、社会科学である。
11.慢性の病気は、その人の人生を反映している。
どの病気になるかは、その人の性格によっても異なる。同じ病気の人の集団を、集団ごとに対比すると、その病気になる人の性格傾向が判る。
慢性の病気は、その人の人生と和解しないと、病気はよくならない。人生を恨むと病気になる。いくつかの病気になりやすい性格傾向は判っている。心筋梗塞は、仕事人間と言われるような活動的で疲れを知らないように見える人がなりやすい。癌は、嫌なことでもじっと我慢する性格に多い。
12.身体の痛み特に神経痛は、こころの痛みである。
痛みは、身体の警告信号である。痛みを薬などで抑えると、うまくいかなくなる。
病気の症状は、身体の注意信号である。そして、身体が病気と闘っている表現である。
身体が病気に勝つと、症状はとれる。
身体に心地好く感じることが、身体に良いことである。
しかし、ストレスが身体の働きや感受性を狂わせる。
13.先天性の病気も、遺伝的な病気も、発現するかどうかが、環境によって決まる。
遺伝子病も発現しないで終わることもある。
14.人間にはストレスが必要である。ストレスがないと人間は生きていけない。人はストレスを求めて冒険にでかける。しかし、うまくストレスに適応できないと病気になる。
15.人間には、本来病気になった時に、それを治す能力を生まれつきに持っている。その力が妨げられた時に病気になる。環境に適応できない時に、自然治癒力が働かなくなり、病気になる。
その原因の第一は、ストレスから来ると言っても過言では無い。
自然環境に適応できない時に、社会環境に適応できない状態すなわちストレスがあると病気になる。
16.人と感染する病気は、人間と適応関係にある。人間の今までの病気の歴史は、感染症との適応関係の歴史であった。ヒトゲノム計画で人のゲノムが解読されて見ると、そこには人と病気の歴史が書かれていた。
17.しかし現代では、生活習慣特に食生活に起因する病気が増えている。しかし、これも単純に食生活だけではない。そこにストレスが加わって、人間のもつ摂食中枢と満腹中枢の働きが身体のバランスをとれなくなって、病気になる。人間は体のすべての働きが働いていれば、病気になることはない。そのようにできている。それがうまく働かなくなって病気になる。
だから、食生活がうまくいかなくなる最大の原因は、ストレスである。
18.癌も、人間と発ガン物質との適応関係で生じる。人には、発ガン遺伝子と発ガン抑制遺伝子があるし、免疫の仕組みには自己と非自己を認識する仕組みがある。確かに、癌は自らの身体から発生したものであるが、正常細胞ではない。正常の細胞と異常(正常でない、できそこないの)細胞を認識する仕組みがある。丁度、工場の検査部門のように、出来損ないの製品を見つけてはじき出す仕組みを人間も持っている。それでなければ、人間の細胞は60兆個とも千兆個(出典により異なる。時代の差か?)とも言われるが、出生後は分裂しない細胞と細胞分裂を繰り返す細胞がある。後者の方が圧倒的に多い。それだけの細胞が分裂すると、必ず確率的に異常が生じるのは必然である。だから、それを処理する仕組みがある。その仕組みが働かなくなった時が病気である。
癌は、その中でも、細胞分裂を繰り返し、止まらなくなったものである。それを制止させ、異常細胞を破壊する仕組みが働かないために癌になり、進行したり、再発したりする。
19.自然に生きていれば、人生に苦しみはない。苦しみを生ずるのは、その環境に適応できないときに病気になったり、戦いをしたり、人間関係からくる悩みである。
だからブッダはその苦を逃れるために、修行をし、法を考え付いた。
人は、生まれ、成長し、女性は月経が始まり、子どもを産み、育て、閉経し、人は死んで行く。この自然の流れに痛みが生ずることはない。ただ、お産は、人が二本足歩行になった時から、難産になることがでてきた。それ以外は、成長痛もないし、生理痛は病気だし、更年期障害は半分の女性しかならず、病気である。病気にならなければ、痛みはない。死ぬことには苦しみはない。自然死、老衰は苦しみはない。
本来、生、病、老、死のうち、病にしか苦はない。
20.宗教は、人の悩みを、悩みから解放するために生まれた。もともと医療は原始宗教の中の一部分であった。だからシャーマンの仕事の中に治療があった。そこから呪術的なものや天文学、もめ事の裁きなどもあった。
今まで私の病気の理論である「病原環境論」または「適応説」をご紹介していなかったでしょうか。もしかしたら、していたかもしれませんが、もう一度します。
それは、再度の出版で私の「選択的ワクチン接種法」とそれを支える育児法の本が持続的に買われているようで、それだけワクチンへの関心が広がったのだと思い、もう一度私の立場を明らかにしたいと思うからです。
私の立場は、現代医学医療を批判し、しかし残念ながら世界にある多くの違う医療、中国医学、漢方、イスラム医学、ホメオパシー、アーユルベーダ医学、チベット医学、各民族のもつ医学など現存する多くの医学医療がある中で、すべての病気に対応する医学医療を見つけられず、
現代医療の一部に残る適応説がすべての病気に対応できると確信し、それによる医療をしています。
ですから、あくまで現代医学医療の一部に属しますが、少しずれた所にあり、現代医学医療からははじき出されています。
そろそろそれをまとめて本にしたいと思いますが、間に合わないので、少しずつブログに載せることにしました。
病原環境論 Ⅰ.
1.病気の原因は環境にある。病原環境論
人は、環境に適応して生きてきた。環境に適応できない時に病気になる。適応論
人は、環境に適応して変化し、環境が変化してもそれに適応して変化して生きてきた。
氷河期も乗り越えて生きてきた。そして人が行くと、そこの環境が変えられ、人間に都合のよいように変えられた。そしてその環境に適応した者が生き残っていった。
2.人は、歴史的に、世界的に(地球的に)環境に適応して生き残ってきた。そして人は環境を変えているが、環境を変えるとその変化した環境によって人間も変っていく。人間は環境(地球的規模までを含む)と相互作用している。
肌の色、鼻の高さ、目の色、常食、みな環境に適応して生きてきた。
同じ環境に置かれても、適応できるかできないかによって、病気になるかならないかが決まる。だから、歴史の中で、伝染病が流行したが、必ずかからなかったり、かかっても生き残ったりする人がいた。その人たちが、病気に対する抗体をもち、それが遺伝子に刻まれて、遺伝していった。
3.遺伝子+環境によって、病気になる。
環境に適応できない時にどの病気になるかは、その人の持つ遺伝子によって決まる。しかし、いくつもの遺伝子の中のどれになるかという仕組みは、まだ判らない。そこにも環境の影響が働いている。
遺伝子は、スイッチが入ると働きだすから、何がその引き金になるかが判ると、もっといろいろな遺伝的な病気のメカニズムが明らかになるだろう。
環境に適応するとともに、それが遺伝的に伝えられていく。環境も遺伝子を変化させる。(利根川博士の理論)
遺伝子には、過去にかかった病気の歴史、つまり、ウイルスや細菌などのゲノムの一部が組み込まれている。それが人間の記憶として残されている。だから、一度大流行した病気にはかからないか、かかっても軽く済む確率が高い。
4.環境には、自然環境と社会環境とがある。
自然環境は、地球的規模から、野山川海、そしてそこに住む動植物、寄生虫、細菌、ウィルスまでを含む。気候、気象条件、日射、大気汚染、ダイオキシンなどの土地の汚染、放射線、等々すべての自然とそれに環境汚染を含む。
アフリカやアラビアの砂漠は人間が羊を放牧したことによって生じたという確かな証拠があるという。現実に中国や蒙古の砂漠化は、羊の放牧によっている。自然界の動物たちは、草や木の葉などを食べつくすことはせず、残していくし、動物の背の高さによって食べる位置が異なり、また種類によって餌が異なり、棲み分けがなされている。それを壊したのは人間である。多くの動植物が日々絶滅している。これを残そうという努力は、保護区を作って、その中では人工的な手を入れないようにすることであるという。
一時アメリカで、ロッキー山脈周辺に自然保護区を作り、それを実施したが、草食動物だけの時にしたために、草食動物が木や草を食い荒らし、植物やそれに左右される小動物や魚などの生態系が乱れていった。それで、アメリカでは絶滅したロッキー山系のオオカミを、カナダから輸入して放したことにより、またそれによって生態系が変わっていき、また人間が介入せざるを得なくなった。
アメリカからメキシコに及ぶ砂漠も人間が作ったものである。アメリカ大陸全体は、昔は森林で覆われていた。それを切り開き農場や牧場にし、そこが砂漠化していった。
イギリスのレンガも、木を切りつくしたため木材がなくなり、レンガを焼いて家を建てるようになったのである。
今は、人の手の入らない原始林はないという。 すべての森に人が手を入れている。
社会環境は、人間の住む社会であり、最小の社会は家庭、最大は地球=世界=国連である。その間に、地域、市町村、都県、国、民族、人種、保育所、学校、会社、宗教、趣味の会、スポーツグループ、習い事などがある。人間が3人以上集まったら、そこに一つの社会ができる。主として人間関係が、情緒的、精神心理的環境を作る。しかし、自然環境も社会環境も情緒的、精神心理的環境を作る。
世界には、まだまだ地域の支配者がいて、その地域社会を支配している所が少なくない。
や集落などで、日本にいるとそれが判らないが、村と村の間が何十キロという土地も珍しくはない。
5.人間は社会を構成し、社会の中で生きているが、しばしば社会に疎外される。
本来社会は人間が作ったものであるにもかかわらず、人間=個人を社会から疎外するようになる。社会が勝手に個人を拘束したり、制限したりする。日本の村八分もその一つである。
6.人間の病気の歴史は、人間とそれらの環境との適応関係である。新しい環境に出会うと、それに適応できる人間が生き残り、できない人が淘汰される。環境の中に、自然環境も社会環境も入る。
新しいウィルスや細菌が登場した時に、うまく生き延びた人の適応の仕方が伝達されていくと、そのウィルスや細菌が重大な病気ではなくなっていく。そして一つ病気がなくなっても、一つ新しい病気が出てくる。
人間とウィルスや細菌との適応関係も、病気の歴史の上で大切である。
古代文明が栄えたのは、乾燥した土地で、水がある川のほとりである。湿地には人を追う狩人たち(微生物、寄生虫たち)が多く、栄えるようになったのは、ずっと遅い時代になってからである。
人間の歴史は、病気との戦いの歴史でもあるが、歴史家は病気のことは何も教えてはくれない。モンゴル帝国とペスト、ナポレオンのロシア遠征と発疹チフス、仏伊戦争と梅毒、スペイン人のメキシコ征服と天然痘、アメリカ先住民と結核など。
なぜ、ホモ・サピエンスは、他の原人たちを駆逐し、その当時生き残っていた大型獣類を絶滅に追い込んでいったのか。
なぜ日本には、梅毒やペストが大流行しなかったのか。結核もアメリカ原住民を壊滅的に打撃を与えたのに、日本人には慢性の病気として入って来たのか。天然痘も発疹チフスも、日本人を壊滅させなかったのか。
アメリカ大陸やアフリカ大陸で、キリスト教が現地の宗教を駆逐し、信仰されたのは、現地の神々が現地人を病気から救ってくれず、キリスト教徒たちは救われたと思われたからであろう。
インカ文明もスペイン人たちに滅ぼされた。しかし、古代文明以来、文明は栄枯盛衰をたどり、繁栄すると滅亡していく運命にある。現代文明も今後何千年続くかはわからない。いつかは、滅亡するのではないだろうか。
7.人間と自然界の食物連鎖。動物はすべて他の生き物を食物にして生きている。そして大切なことは、「どうすれば他の生物体の食物にされないですむか」ということである。 そして人間は、ミクロの寄生生物、病原体と、マクロの寄生生物、大型肉食獣との狭間に生きてきた。
8.病気という概念も歴史的である。
身体的不調のために期待された仕事が遂行できなくなった人間は、常に仲間から病気とみなされるだろうということである。だからその時代によって、病気の概念は変化していく。
人類の個人と集団は、常に数々の感染症に対処して絶え間なく変質を続けているが、感染症の病原体の方でも、環境への適応と自己調整を重ねている。
例えば、精神病は病気とは思われていなかった。そして共同体の中で生きていけたのである。またシャーマンになることも多く、日本では沖縄奄美のユタとノロの存在も忘れつつある。現代でも、まだその形は残っているが。
9.人間は、こころと身体を持つ、社会的存在である。
こころと身体は、メタルの裏表であり、常に一つである。そして人間は、社会を形成する生物である。常に人間社会の中で生きている。ロビンソン・クルーソーではない。
野性児の記録は、作られたものとの評価があるが、いずれにせよ、人間に育てられなければ、人間になれないことを示している。
そこに闇教育の存在が問題になる。闇教育は、異常な人間性を作り出すというのが、その説である。
10.人間は、社会によって人間である。人間社会があり、その中で育てられ、成長していくから人間なのである。社会に適応できないと病気になる。
時代によって、歴史の流れによって、社会は変化していく。
社会が変ると、人間もそれに適応して変らないといけないが、適応できないと病気になる。その時に、その人間のもつ遺伝的な弱点に病気が出る。
だから社会によって病気になり、社会によって健康になる。
本来、社会が病気と闘うべきであり、個人が戦うのでは無い。個人が病気と戦ってもかつことはなかなか難しい。病気は個人的なものではなく、社会的なものである。
だから、医学は自然科学ではなく、社会科学である。
11.慢性の病気は、その人の人生を反映している。
どの病気になるかは、その人の性格によっても異なる。同じ病気の人の集団を、集団ごとに対比すると、その病気になる人の性格傾向が判る。
慢性の病気は、その人の人生と和解しないと、病気はよくならない。人生を恨むと病気になる。いくつかの病気になりやすい性格傾向は判っている。心筋梗塞は、仕事人間と言われるような活動的で疲れを知らないように見える人がなりやすい。癌は、嫌なことでもじっと我慢する性格に多い。
12.身体の痛み特に神経痛は、こころの痛みである。
痛みは、身体の警告信号である。痛みを薬などで抑えると、うまくいかなくなる。
病気の症状は、身体の注意信号である。そして、身体が病気と闘っている表現である。
身体が病気に勝つと、症状はとれる。
身体に心地好く感じることが、身体に良いことである。
しかし、ストレスが身体の働きや感受性を狂わせる。
13.先天性の病気も、遺伝的な病気も、発現するかどうかが、環境によって決まる。
遺伝子病も発現しないで終わることもある。
14.人間にはストレスが必要である。ストレスがないと人間は生きていけない。人はストレスを求めて冒険にでかける。しかし、うまくストレスに適応できないと病気になる。
15.人間には、本来病気になった時に、それを治す能力を生まれつきに持っている。その力が妨げられた時に病気になる。環境に適応できない時に、自然治癒力が働かなくなり、病気になる。
その原因の第一は、ストレスから来ると言っても過言では無い。
自然環境に適応できない時に、社会環境に適応できない状態すなわちストレスがあると病気になる。
16.人と感染する病気は、人間と適応関係にある。人間の今までの病気の歴史は、感染症との適応関係の歴史であった。ヒトゲノム計画で人のゲノムが解読されて見ると、そこには人と病気の歴史が書かれていた。
17.しかし現代では、生活習慣特に食生活に起因する病気が増えている。しかし、これも単純に食生活だけではない。そこにストレスが加わって、人間のもつ摂食中枢と満腹中枢の働きが身体のバランスをとれなくなって、病気になる。人間は体のすべての働きが働いていれば、病気になることはない。そのようにできている。それがうまく働かなくなって病気になる。
だから、食生活がうまくいかなくなる最大の原因は、ストレスである。
18.癌も、人間と発ガン物質との適応関係で生じる。人には、発ガン遺伝子と発ガン抑制遺伝子があるし、免疫の仕組みには自己と非自己を認識する仕組みがある。確かに、癌は自らの身体から発生したものであるが、正常細胞ではない。正常の細胞と異常(正常でない、できそこないの)細胞を認識する仕組みがある。丁度、工場の検査部門のように、出来損ないの製品を見つけてはじき出す仕組みを人間も持っている。それでなければ、人間の細胞は60兆個とも千兆個(出典により異なる。時代の差か?)とも言われるが、出生後は分裂しない細胞と細胞分裂を繰り返す細胞がある。後者の方が圧倒的に多い。それだけの細胞が分裂すると、必ず確率的に異常が生じるのは必然である。だから、それを処理する仕組みがある。その仕組みが働かなくなった時が病気である。
癌は、その中でも、細胞分裂を繰り返し、止まらなくなったものである。それを制止させ、異常細胞を破壊する仕組みが働かないために癌になり、進行したり、再発したりする。
19.自然に生きていれば、人生に苦しみはない。苦しみを生ずるのは、その環境に適応できないときに病気になったり、戦いをしたり、人間関係からくる悩みである。
だからブッダはその苦を逃れるために、修行をし、法を考え付いた。
人は、生まれ、成長し、女性は月経が始まり、子どもを産み、育て、閉経し、人は死んで行く。この自然の流れに痛みが生ずることはない。ただ、お産は、人が二本足歩行になった時から、難産になることがでてきた。それ以外は、成長痛もないし、生理痛は病気だし、更年期障害は半分の女性しかならず、病気である。病気にならなければ、痛みはない。死ぬことには苦しみはない。自然死、老衰は苦しみはない。
本来、生、病、老、死のうち、病にしか苦はない。
20.宗教は、人の悩みを、悩みから解放するために生まれた。もともと医療は原始宗教の中の一部分であった。だからシャーマンの仕事の中に治療があった。そこから呪術的なものや天文学、もめ事の裁きなどもあった。
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