「どんな風に生きれば、幸せになれるんだろう。苦しい今を変えたくて。でも答えは出ないまま、どこへも行けず、青い空見上げていた」 (高田梢枝『メダカが見た虹』2007年 より引用)
水槽の中で飼われたメダカを見て、不意に思い出した曲の1節である。ご存知、昨年、はまりにはまった『おおきく振りかぶって』のエンディングテーマソングでもあった。
天然のメダカが昨今、姿を消しつつあるようだが、多摩川には戻って来ている…という話をテレビ番組で今年2008年になって知った。特別、メダカに対して思い入れがある訳ではないが、学生時代の中期あたりで馴染んだ魚ではある。
時に、引用した詩の中にあるように、「幸せ」というものに、出会いたくまた掴みたくなる想いがあるが、その中身は案外、漠然としていて、泡の様に実態が無い。自分の胸の奥で描いた理想が現実に形になれば、多分、それを「幸せを掴んだ」と言える気がするが、あくまでも私だけの意見であり、一般論にはならない。
『おおきく振りかぶって』の主人公、三橋廉は、エースといピッチャーという地位から半ば追放される形で、チームを移籍し、彼の存在と能力を認めたキャッチャーやチームメイトに出会い、再び、彼はマウンドに立ち上がる事が出来た。それは、「幸せ」と呼べる。 どんな風に生きれば、そんなドラマチックな幸せに人は会えるのだろうか?会う為には勿論、何かしらしなければならないだろうが、何でもうまく行かないのが現実である。実態があってないままに、幸福を願う私はなんて愚かなんだろう、と誰かが言った悲劇の何とやらにしか成れないようで。昨年の今頃も今年の今も心境的にさして代わり映えしない私は…。