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Mind Feeling0917-1 Morning on 水曜日

2008年09月17日 07時11分40秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
「‘‘力無い晴れとは、今日みたいな日を言うのでしょうか?季節に似合う台風も接近中で、秋らしいな、と思います。夜明けも日暮も早まり、明かりの向こうが恋しい所ですが、今宵もどこかの酒場で宴があったら絵になりそうです,,と頂きましたのは、ラジオネーム、ラジエーターさんです。確かに、移り変わりつつある9月中葉ですね。酒場の中で、宴、私はどこかで物語の世界を想像してしまいましたが、秋の夜長の奇談、何故かそれが、パッと脳裏に現れます。きつねの擬人化物語なんていうのも良さそうですね」

おおよそ、木田麻衣子氏が言わなさなそうな話であるが、取り留めもなく書いていたらそんな台詞が飛び出した。きつねに騙されてしまったか?木田麻衣子…という所ではある(謎)。
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トレイントーク0916~0917- 終止符を打って見ようか、京成、急行の謎

2008年09月17日 00時29分31秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
以前から気になっていた、京成の「急行」に関する話をしてみたい。
学生時代の末期に、「かつての京成には、今の急行以上特急未満の‘‘急行,,が存在した」
と聞いたのが、そもそもの発端で、○急(=急の漢字の廻りを丸で囲む)と急行では、停車駅が違ったと言うのである。
だがいくらネットで調べてもその違いは出ていなかった。そこで、話を聞いたご本人からどこかの会員限定のサイトから資料をもらい、確かに同じ急行で停車駅が異なる事は解ったが、どちらが○急なのかは解らなかった。
今年になって、『鉄道ピクトリアル2007・3月臨時増刊号』を入手し、謎が解けた気がしたので書いてみたい。
騒いだ当時は2001年~2002年位で、当時の急行は、
京成上野-日暮里-町屋-千住大橋-青砥(★)-京成高砂-京成小岩-国府台-市川真間-京成八幡-東中山-京成船橋-船橋競馬場-(この間各駅に停車)-京成成田/東成田/成田空港
押上-京成曳舟-京成立石-青砥(★へ)
であった。2008年現在は、押上-京成高砂間しか急行は運転されていないので、馴染みは薄い。
今年に至るまでの間に、京成佐倉まで通過駅を持つ急行と船橋競馬場から先、京成成田方面に向け全ての駅に停車するパターンがあったという情報は、リンク先の名川2000系様からもうかがっていたりするので間違いは無かった(その節はありがとうございます)。
さて、ここからが本題になるのだが、『鉄道ピクトリアル2007・3月臨時増刊号』をみていくと、今から丁度40年前の急行は、2種類あり、京成上野発着と都営浅草線内発着とで別れていた。『鉄道ピクトリアル2007・3月臨時増刊号』138ページから停車駅を追うと、1968年11月9日までは、
京成上野-日暮里-町屋-堀切菖蒲園-青砥-京成高砂-東中山-谷津遊園-京成船橋-京成津田沼-八千代台-京成佐倉-京成成田
というパターンで1968年11月10日からは、センター競馬にも停ったようで、京成佐倉-京成成田間の全ての駅に停車となっている。
 一方の浅草線直通は、1968年5月1日の時点では、
押上-京成曳舟-京成立石-青砥-高砂-東中山-京成船橋-谷津遊園-(この間各駅に停車)-京成大和田(ここで運用打ち切りのようである)
となっており、1968年6月15日になると、京成八幡にも止まる様になったそうである。
さて、どちらが○急かと言うと、画像(『鉄道ピクトリアル2007・3月臨時増刊号』の140ページより引用)で観て察しがつくと思うが、浅草線内発着、つまり押上から来る「急行」が「○急」で「谷津遊園-京成大和田間は各駅に止まる」というのが正しい答えの様である。○急も1968年11月10日からは、センター競馬にも止まり京成佐倉まで運転されるようになったとある。
この2つの急行は1978年には、○急の停車駅に、町屋、千住大橋、京成小岩、国府台、市川真間を追加して、統合されたようである。
ちなみに、この当時、特急は「開運号」に相当したのか、京成上野-青砥-京成成田にしか止まらず、「通勤特急」(しかし、電車先頭部の差し替え板式種別板は、縦書きで「特急」としか表記されていない)という形であったらしく、1968年11月9日まででは浅草線発着で押上-京成曳舟-京成立石-青砥-京成高砂-京成小岩-東中山-京成船橋-京成津田沼-八千代台-京成佐倉-京成成田とあり、同年11月10日からは、京成八幡も停車になっている。
尚1968年11月10日からは、京成上野からも走ったようで、
京成上野-日暮里-青砥-京成高砂-京成八幡-東中山-京成船橋-谷津遊園-八千代台-京成佐倉-京成成田 が停車駅で、浅草線から来る通勤特急とは、京成小岩と谷津遊園を止まるか通過するかが違いの様である。京成上野発着は普通に「特急」だったそうだ。
そして基の、2001年当時の特急は、今の快特の停車駅で、京成上野-日暮里-青砥-京成高砂-京成八幡-京成船橋-京成津田沼-八千代台-勝田台-京成佐倉-京成成田-空港第2ビル-成田空港だったので、確かに、過去1968年の急行は、2001年でいう、急行以上特急未満であったといえる。 尚、京成には、これらの種別の他に、通勤急行、通勤準急、準急もあったらしい。但し、これらの電車「通勤」と冠がついても、案内されたりされなかったり、表記されなかったりがあったようである。
京成は、優等列車の歴史を紐解くと楽しいが複雑怪奇な物が出てくる興味の尽きない路線である。押しなべて、旧国鉄対策や浅草線乗り入れと関わって生まれたらしく、苦労が耐えなかったそうである。
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