冒険・活劇的な夢で、見ていて気持ちいい物語であった。だが、それは、自作自演の物語を見たようで、最後にネタバレみたいなのが出てきた。
「強引なる設定」をした、と言う話が出てきた。「こうでもしないと、物語が閉まらない」と言う言葉さえも出てきた。そして何故か、「この物語はもう2度とやらない」と言う台詞まで飛び出した。
夢なのにである。
夢と言うと、良いところで終わる事が多いが、最後まで見ると、今回みたいに、一気につまらないものに成り変わる事もあるようだ。時に、夢なのに物語が続かなくなって、目覚めると言うのもあったりで、明暗が別れる所が面白くもあり、口惜しくもある。
ここの所、週末のファンのシンガーの曲を聴きては投稿で埋め尽くしたのは、実は数字を弾き出すの為の強引なる手だったが、効果は抜群であった。そして同時に、こんな歌あったなあ、と忘れかけていたもの、時間をおいて聴いてみると、悪くないと思えるナンバーもありで、自己満足は大いに出来た。
だが、しかし、暴投しないと良い数字が出ないのは、ある意味、苦しくもありまた強引さがどうしても拭えずだったり、受け流し的にやってしまったりと心の痛む部分もあった。
篠原美也子の1998年のマキシシングル“Still”を聴いてみる。
最初で最後は未だに来ていない事は、幸せな事でもある――と思えるように成れる時は来るだろうか?
篠原美也子の1997年の8枚目のシングル『Always/風の背中』より、“Always”を聴いてみる。昨日も聴いているが、シングルそうなめで、この曲も外せないので、聴いてみる。
1997年の8枚目のシングル『ガラスの靴』を聴いてみる。日曜終わり時に明日を思いながら聴いてみる。週末のガラスの靴の片方どころか両方消えてしまう気がする今である。
リリースから20年目を迎えている、篠原美也子の7枚目のシングル“Good Friend”(1996年)。今夜もピックアップ。
ランキングは、ご覧の様になった。各記事ご覧くださいました事に感謝と御礼を。ファンのシンガー曲ネタよりも小湊春市のがインパクトがあるようだ。
篠原美也子の1995年の5枚目のシングル『名前の無い週末』を聴く。
シングルカット収録よりアルバム収録の音質のが好きだったりする。同じ曲でも微妙な差異がある。
雨降る夜ではないが、ブルーマンデーと言う迎えたくない明日を迎える中で聴く、篠原美也子のファーストシングル『ひとり』(1993年)。