It is just clear sky and azure.Good Sunday afternoon came.Are we fine or do we have no unhappiness?
2001年の篠原美也子の7枚目のアルバム『新しい羽根がついた日』より、『秒針のビート―Studio Version―』を聴いてみる。
準完成曲でも日中に聴いて違和感なし。
1994年の篠原美也子のサードアルバム『いとおしいグレイ』より『灰色の世代』を聴く。このアルバム『いとおしいグレイ』の看板歌は、『ありふれたグレイ』だが、この『灰色の世代』がそれのB面的存在であり、お気に入りソングである。
篠原美也子“Passing”を1993年のファーストアルバム『海になりたい青』より聴いてみる。失恋ソングなのに、無機質な曲のアレンジになっているから不思議である。失恋は、勢いで忘れるべきものがあるのだろうか?
篠原美也子のサードシングル『ジレンマ』(1994年)を聴く。
日曜日なので、ぼんやり1日テレビばかり見るのもありだが今は、テレビではなく、Webサイトだろうか?
↑お馴染みリアルタイム解析のページをみると、
↑見事、777位を記録した。良い瞬間に出会えた。
今日も明日も今週もあなたに私に幸運があらんことを。
篠原美也子の1998年の9枚目のシングル“Still”の中に収録されている“Life is a Traffic Jam”を聴いてみる。昼時の華々しさにも使えるナンバーだなと改めて思うが、このシングル“Still”に収録されている曲、看板の“Still”以外がセルフカバー化されると言う珍事?が起きている。“Still”の作曲が篠原美也子本人ではないのが起因しているかもだが、色々とある世の中である。
篠原美也子の4枚目のシングル『ありふれたグレイ』(1994年)を聴いてみる。晴れの日なのに――だが、このシングルのジャケットを見て、何かの小説の表紙写真みたいだなと思う。今は忘れ去られ、その当時しか味わいを感じられない物が描かれた作品の如く。
篠原美也子の1997年の8枚目のシングル『Always/風の背中』より、『風の背中』を聴いてみる。
両A面シングルは、当時の流行りだったのだろうか?とジャケットを見ながら思う。今では死語になってしまった気がするが、時は風と共に流れたようだ。
篠原美也子の1993年のセカンドシングル『誰の様でもなく』を聴いてみる。
1993年10月21日のリリースだそうだが、秋口なイメージがないナンバー。