篠原美也子の1998年のナンバー、“Boxer”、を、アルバム“magnolia”より、聴いてみる。
限界の終結。
しかし、それでも、明日が来る――人生は、命つきる限り、それが繰り返される。
篠原美也子1993年のアルバム『満たされた月』から、『冬の夜』を聴いてみる。
暖かい春の曙は、来なかった、この31年は、冬の夜、でもあったなと思って、選曲。
篠原美也子『ガラスの靴』(1998年)を、聴いてみる。
希望が傷つき、もう、光さえ鈍くなり、消えかけた31年の終わり時に、丁度良い1曲。
2003年の篠原美也子のセルフカバーアルバム“SPIRAL”から、『名前の無い週末』を聴いてみる。
何があっても、終末は来る。
週末の終末時、自分には何もなく、他人だけが、成功をおさめていく姿ばかりが、目立つ。
篠原美也子『ありふれたグレイ』(1994年)を、聴いてみる。
きっと、明日を終えても思うだろう。全ては、はっきりとせず、思惑には、とどかず、淀みどよついた31年であったと。
篠原美也子の1995年のアルバム『河よりも長くゆるやかに』から、“Dear”、を聴いてみる。
スーパープライマリーウィーク2019年でも、元号変わり祭り開催中でも、1日1日は、どこにでもある日々である。
1994年の篠原美也子のナンバー、『パーティ』を、アルバム『いとおしいグレイ』より、聴いてみる。
このお祭り騒ぎウィーク2019年だからこそ、この歌、と思う所で、ピックアップ。
元号変わりが終わって、スーパープライマリーウィーク2019年が終わったら、全ては、この歌詞にある、
――海の泡よりも儚い――
である。
篠原美也子『ひとり』(1993年)を、聴いてみる。
スーパープライマリーウィークも元号変更騒ぎでも、ひとり、と言う諸々の想いは、この胸にある。
1994年の篠原美也子のアルバム『いとおしいグレイ』から、“Tokyo 22:00”を、聴いてみる。
元号変わりで沸き立つ、2019年4月27日土曜日、22時。でも、我が国以外では、普通の4月27日土曜日でしかない。
篠原美也子『名前の無い週末』(1995年)を、聴いてみる。
我が国、日本が年号変わりとスーパープライマリーウィークで、沸き立ちはしても、いつもの土曜日であることに、なに一つ変わる事はない。