篠原美也子2DAYSライヴに、行ってきた。
あれやこれや聴けて、聴けなかったのは、毎度の事ではあるものの、参加の価値は、あった。
篠原美也子『ワザリング・ハイツ』、アルバム『満たされた月』(1993年)より聴いてみる。
荒野は、2度は、同じものを作り上げない。風化とは、そんなものである。
篠原美也子の2009年のナンバー、“our song”を、アルバム『いずれ散りゆく花ならば』から、聴いてみる。
私達のものさえ――と言う事を、ふとおもう、2019年4月29日。
篠原美也子の1996年のシングル『前髪』のカップリング曲、『もうひとりの恋人』を聴いてみる。
忘れ去った恋人に、2度とは会いたくない――と言うように、封をされたもの箱が、不意に、目につくから、人生はおそろしくもある。
篠原美也子の1998年のシングル、『ガラスの靴』を、聴いてみる。
いくら綺麗で、美しくても、箱にしまっておきたい、それを見せないで欲しいものも、ある。
篠原美也子の1994年のアルバム『いとおしいグレイ』より、“Tokyo 22:00”を、聴いてみる。
色々あっても、22時は来るので、ピックアップ。
篠原美也子の1997年のナンバー、“Always”を、両A面シングル“Always”・『風の背中』から、聴いてみる。
封印されたシングル曲。
アーティストの意向によるものだろうし、思い出したくない何かが、あるものと思われても、この歌は、良いなと思える。
1995年の篠原美也子のナンバー、『名前の無い週末』を、シングル盤で、聴いてみる。
良い意味で、その形成が認められはしても、創作側としては、その醸成過程の想いを、棄ててしまいたい、思い出したくない、と言うものがある。
週末は、月曜から土曜の総決算。
その6DAYSに、思い出したくない何かがあっても、不思議ではなく、その気持ちのままに、終末が来る。
1998年の篠原美也子のナンバー、『死にたいほどの夜』を、シングル『ガラスの靴』から、聴いてみる。
死にたいほどに、思い出したくない、今日や昨日と歴史があり、それらは、蔵の奥の奥の重箱のすみに、置いて、そのまま、消えて欲しい。
篠原美也子の2009年のアルバム『いずれ散りゆく花ならば』から、『茜』を聴いてみる。
夕暮れから4、5時間と言うところだろうか?今日と言う茜色の空に、残したものは、闇と共に消えて行った。