文庫本の帯には
孔明、
いいかげんにしなさい!
三顧の礼を受け、劉備軍団入りした孔明。
関羽、張飛、趙雲など豪傑ぞろいの軍団の中で、
奇人・孔明は活躍できるのか?
酒見版「三国志」、待望の第弐部文庫版。
第壱部では、孔明が就職(?)するまでが描かれていた。
描かれていた孔明は十分奇人であったが、まあ、世に出る前の孔明であるからして、そんなんでもいいのか、と思っていた。
そして、第弐部ではいよいよ劉備と組んで「天下三分の計」を実行すべく活躍するのではないか、と期待していたのである。
なにしろ、これまで読んだ酒見賢一の中国を舞台にした小説「墨攻」「陋巷にあり」では、新しいそしてホントらしい歴史物語風だったのである。
酒見版:三国志にはそんなカンジで期待していたのである。
ところで、これまで読んだ三国志は、子供のころに読んだ「少年少女世界の名作文学」での三国志と、青春時代から何度か読んだ「柴錬三国志」である。
いずれも、正統派というべき三国志だ。
そして、宮城谷昌光の三国志も読んでみようかと思っている。
さらに、北方謙三も気になる。
というようなときに別冊文芸春秋で始まった酒見賢一。
期待十分である。
しかーし、第弐部で孔明は奇人ぶりを発揮しはじめた。
孔明の奇人はまだいい。
酒見賢一がさらに暴走を始めたのである。
鯨統一郎のタイムスリップシリーズなみの三国志である。
つまり、現代の感覚で三国志を描き、現代の感覚や詳細な考証をすると「なんだかおかしい」ところを徹底的に分析するのである。
確かに三国志を読むと、関羽、張飛、趙雲、あるいは呂布など本当にそんなに強かったのか?!と突っ込みたいところがある。
それでも「三国志」なんだからと、無理に納得して、あるいは読み流してしまっていた。
それを酒見賢一は見逃さない。
そういわれれば、天下無双の軍師と言われた割には、とうとう蜀の建国だけにとどまった。まあ、天下三分の計を実施できたといわれればそうなのだが・・・・、評判の割にはあまり成功しなかったというか勝たなかった。
その部分を著者は鋭くそしてしつこく語るのである。
マニアックな狂気さえ感じる。
というか、今やこういう形でしか歴史小説は書けないのではないのか、と思う。
鯨統一郎のタイムトラベルシリーズもそうなのだと思う。
つまり、大方の面白そうな歴史的なお話は、すでに多くの先達たちが書いている。
それをまた題材にして描くには「新たな解釈」が必要である。
しかし、新たな解釈といったって、結末は決まっているし斬新な解釈が面白いとも限らないのである。
であるなら、今まであった解釈を検証していくか、タイムスリップして荒唐無稽にしてしまうかはいい方法のような気もする。
ただ心配なのは、青少年がこれを歴史だと信じてしまうことである。
まあ、NHKの大河ドラマよりは影響は少ないし、毒がいっぱいあるからいいとは思うのだが。
そういえば最近のテレビの歴史物は、いかにも本当のようにして荒唐無稽であるから、百害あって一利なし、である。
それに比べれば、この物語は毒はいっぱいであるが、いっぱいの毒であるだけに薬にもなるのではないかと思っている。
第参部楽しみである。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。

孔明、
いいかげんにしなさい!
三顧の礼を受け、劉備軍団入りした孔明。
関羽、張飛、趙雲など豪傑ぞろいの軍団の中で、
奇人・孔明は活躍できるのか?
酒見版「三国志」、待望の第弐部文庫版。
第壱部では、孔明が就職(?)するまでが描かれていた。
描かれていた孔明は十分奇人であったが、まあ、世に出る前の孔明であるからして、そんなんでもいいのか、と思っていた。
そして、第弐部ではいよいよ劉備と組んで「天下三分の計」を実行すべく活躍するのではないか、と期待していたのである。
なにしろ、これまで読んだ酒見賢一の中国を舞台にした小説「墨攻」「陋巷にあり」では、新しいそしてホントらしい歴史物語風だったのである。
酒見版:三国志にはそんなカンジで期待していたのである。
ところで、これまで読んだ三国志は、子供のころに読んだ「少年少女世界の名作文学」での三国志と、青春時代から何度か読んだ「柴錬三国志」である。
いずれも、正統派というべき三国志だ。
そして、宮城谷昌光の三国志も読んでみようかと思っている。
さらに、北方謙三も気になる。
というようなときに別冊文芸春秋で始まった酒見賢一。
期待十分である。
しかーし、第弐部で孔明は奇人ぶりを発揮しはじめた。
孔明の奇人はまだいい。
酒見賢一がさらに暴走を始めたのである。
鯨統一郎のタイムスリップシリーズなみの三国志である。
つまり、現代の感覚で三国志を描き、現代の感覚や詳細な考証をすると「なんだかおかしい」ところを徹底的に分析するのである。
確かに三国志を読むと、関羽、張飛、趙雲、あるいは呂布など本当にそんなに強かったのか?!と突っ込みたいところがある。
それでも「三国志」なんだからと、無理に納得して、あるいは読み流してしまっていた。
それを酒見賢一は見逃さない。
そういわれれば、天下無双の軍師と言われた割には、とうとう蜀の建国だけにとどまった。まあ、天下三分の計を実施できたといわれればそうなのだが・・・・、評判の割にはあまり成功しなかったというか勝たなかった。
その部分を著者は鋭くそしてしつこく語るのである。
マニアックな狂気さえ感じる。
というか、今やこういう形でしか歴史小説は書けないのではないのか、と思う。
鯨統一郎のタイムトラベルシリーズもそうなのだと思う。
つまり、大方の面白そうな歴史的なお話は、すでに多くの先達たちが書いている。
それをまた題材にして描くには「新たな解釈」が必要である。
しかし、新たな解釈といったって、結末は決まっているし斬新な解釈が面白いとも限らないのである。
であるなら、今まであった解釈を検証していくか、タイムスリップして荒唐無稽にしてしまうかはいい方法のような気もする。
ただ心配なのは、青少年がこれを歴史だと信じてしまうことである。
まあ、NHKの大河ドラマよりは影響は少ないし、毒がいっぱいあるからいいとは思うのだが。
そういえば最近のテレビの歴史物は、いかにも本当のようにして荒唐無稽であるから、百害あって一利なし、である。
それに比べれば、この物語は毒はいっぱいであるが、いっぱいの毒であるだけに薬にもなるのではないかと思っている。
第参部楽しみである。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
