著者の「立川志らく」はあの立川談志の弟子である。
本書は、志らくの自伝のようであり自伝の形を借りた談志伝であり、更に落語論でもある。
文庫本の帯
<正面>
不世出の鬼才 立川談志と その魂を受け継ぐ 愛弟子の25年
とあり、
裏側には
「志らくは俺と同じ価値観を持っています。弟子でありながら同志です」
立川志らく真打披露パーティでの立川談志の口上
とある。
私は、落語好きである。
好きであるが、そうめったに寄席に行ける環境にないし、CDやDVDで聞くわけでもない。
そこに落語があれば聞くという態度である。
つまりそれほど通ではない。でも、好き。
さて、志らくは談志に愛された弟子である。
この本を読んでいるとそう思う。
何故、愛されたのか、というと、談志と価値観を共有できたから、と志らくは言います。
そう言い切るところが、志らくのすごさだと思う。
さて、私は立川談志の落語はすごいと思うのであるが、それほど好きではない。
なんというか、立川談志の落語は「どうだすごいだろう!」というのがすごくあるからだ。
「そういうところがいいんだ」
という人たちも多い。
立川談志は、立川流の家元であり、更に教祖であるのではないか、というのが私の印象である。その教祖的なところがもう一つのめり込めないところだと思う。
でも、志らくは立川談志にのめり込んだ。
のめり込んでどうなったのか。
或いは、どうのめり込んでいったのか。
それは本書を読むとよくわかる。
師匠大好き、落語大好き。というのが志らくの言いたいことだと思う。
そんなに談志の落語ってすごいのか、ちょっとCDかDVDで確認をしたくなった。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。

本書は、志らくの自伝のようであり自伝の形を借りた談志伝であり、更に落語論でもある。
文庫本の帯
<正面>
不世出の鬼才 立川談志と その魂を受け継ぐ 愛弟子の25年
とあり、
裏側には
「志らくは俺と同じ価値観を持っています。弟子でありながら同志です」
立川志らく真打披露パーティでの立川談志の口上
とある。
私は、落語好きである。
好きであるが、そうめったに寄席に行ける環境にないし、CDやDVDで聞くわけでもない。
そこに落語があれば聞くという態度である。
つまりそれほど通ではない。でも、好き。
さて、志らくは談志に愛された弟子である。
この本を読んでいるとそう思う。
何故、愛されたのか、というと、談志と価値観を共有できたから、と志らくは言います。
そう言い切るところが、志らくのすごさだと思う。
さて、私は立川談志の落語はすごいと思うのであるが、それほど好きではない。
なんというか、立川談志の落語は「どうだすごいだろう!」というのがすごくあるからだ。
「そういうところがいいんだ」
という人たちも多い。
立川談志は、立川流の家元であり、更に教祖であるのではないか、というのが私の印象である。その教祖的なところがもう一つのめり込めないところだと思う。
でも、志らくは立川談志にのめり込んだ。
のめり込んでどうなったのか。
或いは、どうのめり込んでいったのか。
それは本書を読むとよくわかる。
師匠大好き、落語大好き。というのが志らくの言いたいことだと思う。
そんなに談志の落語ってすごいのか、ちょっとCDかDVDで確認をしたくなった。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。またクリックしてもらうと私の人気度が上がるということにもなります。そのへんもご考慮いただき、ひとつよろしくお願いします。
