読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

青春のうた52 1980年代前期⑥

2008-01-28 20:55:49 | 読んだ
1.悪女/中島みゆき 1981年10月

中島みゆきの歌では「へたれ系」というか「強がり」を歌っているのが好きだ。
この歌もそうだし「わかれうた」なんかもである。

中島みゆきはこちら側から見れば、美人だし才能もあるし、なにひとつ「へたれ」になるような要素はないと思うのであるが、へたれの強がりがこちら側の心を揺さぶり共振させるのである。

この悪女だが、イメージとして「札幌」の歌のように思っているのである。
その理由はわからないのだが、マリコは札幌に住んでいるし、ホテルも札幌のホテルのような気がするのである。

♪悪女になるなら 月夜はおよしよ 素直になりすぎる♪

いいフレーズである。

2.ふたりの愛ランド/石川優子とチャゲ 1984年4月

JALのCMソングとして、あの

♪夏 夏 ナツ ナツ ココ 夏
 愛 愛 アイ アイ 愛ランド♪


というフレーズは、印象的、強烈でしたねえ。

で、振り返ってみると「それだけ」だったりするのです。

改めて聞きなおしてみると、なかなかの愛の歌なのであります。
ところが、石川優子とチャゲの歌声は、愛を元気よく歌っているので「なかなか」の部分、つまり「色っぽい」ところがあまり伝わらないでいるのです。

「それがいい」というところもありますね、この歌。

3.パープルタウン~You Oughta Know By Now~ 八神純子 1980年7月

ノリのいい曲と八神純子の高音がうまくマッチしたいい歌だと思う。

実は1980年代あたりから「歌を覚える」ということが難しくなってきた。
その理由は
1.英語の歌詞が覚えられない。(英語の歌詞がよく挟まるようになった)
2.曲と詞のバランスが悪い。(日本語が通常の場所で途切れない)
3.テンポが速くなってきている。
4.コードがあるいはコード進行が複雑、専門的になってきた。
ということから「自分で歌いたいと思えなくなってきた」ことによると思うのだ。

ということで、このパープルタウンも「いい歌だな」とは思ったのだが、ぼんやりと全体像を覚えていることと

♪パープルタウン パープルタウン♪

という部分が耳に残っているだけなのである。

4.蜃気楼/クリスタルキング 1980年4月

クリスタルキングは「大都会」しか覚えていないのである。
この曲は化粧品のCMソングだったらしいのであるが、これもよく覚えていないのである。

で、作詞が「天野滋」とあるのを見てビックリ。
あのNSPの天野さんが、このような「キザ」な詞を書くなんて・・・

クリスタルキングは対照的なツインヴォーカルがウリなのであるが、これも同じような歌を聞かされると「飽きる」のである。
本号で、高音担当というかあの印象的な歌声の田中昌之のインタビューが載っているが、彼も歌いながら飽きていたようである。

まだこの時代までは、一つ売れると同じパターンでという「繰り返し」が多かったような気がする。
それは大量生産・大量消費という時代がまだ幾分続いているということもあったのだろうが、実はそろそろ「消費者ニーズの多様化」がはじまっていたのではないか。
だから、大量生産・大量消費のパターンで成功するものもあったが、うまく消費者ニーズをつかんだものが勝つようになっていった、と思うのである。

クリスタルキングはせっかくいいものを持っていたのに、幅広く使う前につぶされてしまった、という思いがあるのだ。
そういう意味で、クリスタルキングというと『一発屋』という言葉でくくりたくないのである。

5.ふられ気分でRock'n'Roll TOM☆CAT 1984年11月

この歌を聞いたとき「不機嫌」になった。
それは

♪たかがRock'n'Roll されどRock'n'Roll♪

という部分の「いやらしさ」だった。

当時はこの「たかが○○○ されど○○○」という言い方が流行っていたというかあった。
でも、この言葉は人生を長く生きて経験を積んだ者がいう言葉のように思っていたのである。
それを、体制を批判するあるいは体制を壊そうとするロックンローラーが使うのはなんだか変だという思いが強かった。

つまりは「売れればいい、売れたら勝利者」というような考え方が、若い人たちにまで広まってきたのではないか、ということが私を不機嫌にさせたのである。

「商業主義に身を売った」という表現があったが、すでにそのことは死語になリかけてきたのかもしれない。

そしてこの歌は何を歌っているのかわからない、ということも不機嫌にさせた要因なのかもしれない。
言っていることは、新しそうなのであるが、根には古い因習みたいなものがあるような気がしたのである。

とまあ、ケチョンケチョンに批判をするのであるが、売れるということはどこか人の心をつかむところがあるんだろう。
そのあたりは認めているのではある。

6.街が泣いてた 伊丹哲也&SIDE BY SIDE 1980年11月

この歌は好きだった。
なんだか「わかる」のであった。

一つには単純というかシンプルな「つくり」が性に合ったんだと思う。

ところで、この歌を久しぶりに聞いて驚いた。
伊丹哲也の声ってこんなにハスキーだったけか?
ドスが効いているということは覚えていたのであるが、こんなにハスキーというかかすれているというか、ありゃりゃ、と思ったのである。

それにしても

♪街が泣いてた♪
というフレーズは、なんだか心を打つのである。
しかも

♪淋しそうに♪
街が泣いているのである。
そういう情景が思い浮かぶと胸がジーンとなって鼻の奥がツーンとなるのである。

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