ここ数週間、気持ちも体もあわただしく落ち着かなかったが、やっと肩から力を抜くことができるような環境へ戻りつつある。
というわけで、部屋の中に散らばっている本を片付けようと思ったのである。
で、2006年のオール読物1月号から2月号までを箱詰めすることにした。
ちょっと話は変わるが、オール読物などの本を片付けるのに2リットルのペットボトルが6本入る箱を使用している。寸法が丁度なのである。
もうひとついえば、そのうち、これら箱詰めした本を並べておける場所を確保したい、と強く思っているのである。
箱詰めをする前に、目次を見たら読んでいないものがいっぱいあって、読んでみようと思ったのである。従って、本日朝に箱詰めをしようと思ってはじめたのに、終了したのが夕方になってしまった。
で、今回紹介するのは、村松友視(視の偏は「示」そのものである)と伊集院静で以下の作品。
・古備前 伊集院静 2006年3月号
・あかぎ坂 村松友視 2006年5月号
・むしかご 伊集院静 2006年8月号
・浅野川園遊会 村松友視 2006年8月号
・キリストの涙 村松友視 2006年11月号
一言で言えば「大人の小説」というカンジか。
伊集院静の2編はいずれも料理人が主人公である。
<古備前>では
「この学校には子どもがこわして困るものは何ひとつ置いていません」
と
「うちの店にあるものでお客様と店の者がこわして困るものは何一つありませんよ」
というセリフがいい塩梅であった。
<むしかご>では
店の常連客の「心遣い」が身に沁みる。
いずれも「古くさい男たち」が登場するが、颯爽と時代の先端を行く男や、謎を解く男たちもいいが、こういう男が日本を支えている中にいるのか、と思うとなんだか安心する。
ただ、この料理人たちは非常にすばらしいらしいのだが「タバコ」を吸うのはいただけないと思う。
村松友視の3篇はそれぞれ違った設定である。
<あかぎ坂>は東京神楽坂の「たまねぎ屋」という居酒屋が舞台。
<浅野川園遊会>は金沢が舞台。
<キリストの涙>は神戸そしてジャズが舞台である。
それぞれ趣のある物語で、読後感は爽快である。
大人の恋、が描かれていて、大人の恋というものは、自身の問題、社会との関わりなどから複雑な動きをするものだということが、なんとなく感じられる。
さて、両氏の小説を読むと、この二人はエトランゼなんだなあ、と思うのである。登場人物たちとの距離が、そう思わせるのである。
その距離感が「いい」と思うのである。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。
というわけで、部屋の中に散らばっている本を片付けようと思ったのである。
で、2006年のオール読物1月号から2月号までを箱詰めすることにした。
ちょっと話は変わるが、オール読物などの本を片付けるのに2リットルのペットボトルが6本入る箱を使用している。寸法が丁度なのである。
もうひとついえば、そのうち、これら箱詰めした本を並べておける場所を確保したい、と強く思っているのである。
箱詰めをする前に、目次を見たら読んでいないものがいっぱいあって、読んでみようと思ったのである。従って、本日朝に箱詰めをしようと思ってはじめたのに、終了したのが夕方になってしまった。
で、今回紹介するのは、村松友視(視の偏は「示」そのものである)と伊集院静で以下の作品。
・古備前 伊集院静 2006年3月号
・あかぎ坂 村松友視 2006年5月号
・むしかご 伊集院静 2006年8月号
・浅野川園遊会 村松友視 2006年8月号
・キリストの涙 村松友視 2006年11月号
一言で言えば「大人の小説」というカンジか。
伊集院静の2編はいずれも料理人が主人公である。
<古備前>では
「この学校には子どもがこわして困るものは何ひとつ置いていません」
と
「うちの店にあるものでお客様と店の者がこわして困るものは何一つありませんよ」
というセリフがいい塩梅であった。
<むしかご>では
店の常連客の「心遣い」が身に沁みる。
いずれも「古くさい男たち」が登場するが、颯爽と時代の先端を行く男や、謎を解く男たちもいいが、こういう男が日本を支えている中にいるのか、と思うとなんだか安心する。
ただ、この料理人たちは非常にすばらしいらしいのだが「タバコ」を吸うのはいただけないと思う。
村松友視の3篇はそれぞれ違った設定である。
<あかぎ坂>は東京神楽坂の「たまねぎ屋」という居酒屋が舞台。
<浅野川園遊会>は金沢が舞台。
<キリストの涙>は神戸そしてジャズが舞台である。
それぞれ趣のある物語で、読後感は爽快である。
大人の恋、が描かれていて、大人の恋というものは、自身の問題、社会との関わりなどから複雑な動きをするものだということが、なんとなく感じられる。
さて、両氏の小説を読むと、この二人はエトランゼなんだなあ、と思うのである。登場人物たちとの距離が、そう思わせるのである。
その距離感が「いい」と思うのである。
「ブログ村」というところにこのブログを登録しています。読書日記を探しているかた、下のバナーをクリックするとリンクされていますので、どうぞご覧ください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます