読書日記 嘉壽家堂 アネックス

読んだ本の感想を中心に、ひごろ思っていることをあれこれと綴っています。

戦国名臣列伝 宮城谷昌光 オール読物連載

2005-12-25 16:59:40 | 読んだ
2004年4月号から2005年7月号までオール読物に連載され、もう単行本も出ている。

戦国の名臣といっても、日本の戦国時代ではなくて、中国の戦国時代(紀元前)のことであり、この時代が終了すると「秦」の始皇帝が天下を統一する。

列伝は16人。列記すると(これが難しい漢字でパソコンでは非常にややこしいことなのである)
1.越の范蠡(はんれい)2.魏の呉起<呉子>3.斉の孫臏(そんびん)4.秦の商鞅(しょうおう)5.燕の蘇秦(そしん)6.真の魏冄(ぎぜい)7.燕の楽毅(がっき)8.斉の田単(でんたん)9.楚の屈原(くつげん)10.趙の藺相如(りんそうじょ)11.趙の廉頗(れんば)12.越の趙奢(ちょうしゃ)13.秦の白起(はっき)14.秦の范雎(はんしょ)15.秦の呂不韋(りょふい)16.秦の王翦(おうせん)

さて「名臣」とはなにか?ということだが、それは「主」(王)にとって名臣なのである。従ってこれらの人たちが「人として」とか「庶民にとって」<いい人>だったかというと、それは・・・わからないのである。

また、中国史に出てくる人たちの多くに共通していることに「自分の才能を発揮したい・天下に示したい」という自己顕示欲の強さがある。この気持ちが時には天下を泰平にし時には乱すのである。
そしてもうひとつ中国史を読んで思うのは「陰謀の凄まじさ」である。この陰謀の多くが「嫉妬」というか誰かを貶めるために考え出される。そこに民の平和などがない。あるのは「おのれ」だけのような気がする。そして「おのれ」が強ければ強いほど陰謀は成功するのである。もっとも陰謀で成功したものの最期はあまりよくないのだが・・・

中国史を読んで、ああ日本とはスケールが違うなあ、と思っていたのだが、近頃、ローマ人の物語を読んでいるので、今回改めて「戦国名臣伝」を読むと、西洋と東洋の違い、「おのれ」ということについて考えることの違い、ということに考えさせられるのである。

狩猟民族と農耕民族という差であるとよく言われるがもっと突っ込んで考えると、
中国は「穏やかさ」が基調であって「乱」をいかに制するかが課題。
ローマは「乱」が基調であっていかに「穏やかさ」を確保するかが課題。
と考える。

ローマのリーダーは「決断力」が優先され、中国のリーダーは「長者」であることが求められる。
従って、中国のリーダーである「王」や「皇帝」には有能である「臣」が必要なのではないだろうか。
そして、ローマは資質が血に勝り、中国は血が資質を優るのである。

ウーン、ローマ人の物語を読みたくなってしまった。

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2 コメント

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縁みたいなもの (嘉壽家堂)
2005-12-26 20:26:04
本というか物語というか、読むに当ってはなにか「縁」のようなものがあると思います。

特に買ったのに読まないというのは、買ったときから読むまでの間に「何か」があるのではないかと。



何か、がくるまでは無理をしないでいいのではないだろうか、と思うのです。

だって、本は逃げないんだもん!

って、昔のフォーリーブスみたいでした。
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結局 (北上 祐)
2005-12-26 17:53:39
目の前には「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」と「代行返上」があるのに、読み始められません。結局、第3弾「入谷・鬼子母神殺人情景」を読んでいます。



何かを読み読み始めるためには、ほんのちょっとした決断が必要な時もあるんですよね。



というわけですが、明日はまた別な何かを目の前に置いているかもしれません。やらねばいけない仕事もあるのだが…
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