僕が小学校の頃に友達と自転車に乗ってしょっちゅう訪れていた場所があった。そこは住宅街の一つの住宅に接したガレージで中には深緑色のニッサンフェアレディS30Zが置いてあった。ガレージのドアは何時も開いており勝手にガレージの中に侵入して観賞し、フロントノーズをなでたりもしていた。今思うとあれ程足を運んだのにオーナーに出合う事がなかったのが不思議である。もしも出会っていたら怒鳴られていたか、或いは頼み込んでちょっと乗せてもらっていたかも知れない。上の写真は僕のパソコンの中にある1972年 Datsun 240zZのコクピットである。当時大人になったらこれに乗ると決めていたあの雰囲気をそのまま感じるZカーのコクピットである。
当時の友達と交わした会話を昨日の事の様に覚えている。その時僕は大人になったら“ゼットに乗る”と宣言した。友達はこう言った。これから先の未来もっといいクルマが出て来るから今から決める必要は無い、と。僕も、そうだな。と思って当時は納得した。それから随分と時間が経過した、世の中には燃費や性能の良いクルマが沢山現れた。そして、クルマを所有するにおいて車種の選択は大きく広がっている。しかし、自身の中ではいいクルマは沢山存在するが欲しい車は今も当時のゼットなのである。クルマに対して憧れや想いを持っているのは片想いに似ている、それは結ばれなかった初恋のようでもある。男は何時の時代も愛する対象を求めているのだ。しかし、愛する対象(クルマ)を手中に収めたならばやがて心はそこから離れていくかも知れない。よって、馬の前にぶら下げたニンジンを追いかけ続けていた方が実は夢が継続して幸せなのかもしれない。
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