私がアフガニスタンに行った頃はソ連が侵攻する数年前でした。バックパッカー全盛期で 日本人の旅行者もたくさんいました。
その頃のアフガニスタンは 女性もブルカをかぶっている人が多かったように思います。西洋風の服装の女性もいたので聞いてみると「私は教師だからいいのよ。」と返答がありました。
カブールは 海抜1800メートル。砂漠の都市は通りにはソース顔の男性が行き交っていました。よくここを一人で歩いたものです。男性は民族服の上から 背広の上着を着ている人が多かったです。
かわいい女の子がいたのでスケッチ。名前はザレホ。
背景の建物は モスクでしょうか。とてもきれいなのですが、リアルタイムでその場にいると、この美しさはありふれたものに映ります。カブールはあちらこちらが、破壊されたままでした。ソ連侵攻前ですが。紀元前からアレキサンドロスが 侵入して征服したり(アレキサンドロスはアフガン北部のバクトリアの女性と結婚しました。)その後のアフガニスタンの歴史を見ると、複雑でわかりにくい。
実際に行ってわかったのは、古代のままのような街並みと、残されている廃墟が多いと言うことです。争いばかりの歴史だったのでしょう。中村 哲医師の本に「アフガニスタンのことを忘れないでほしい」と書いてあった文面が印象的です。「アフガニスタンの診療所から」という本です。中村医師は、庶民のことや、欧米諸国の事など、ニュースとは、違う視点から、情熱的に書いてあるので、驚かされる事が多いです。
ネット記事を読んでみると、アフガンの子どもたちの中には地雷が何なのかをわからずケガする場合が多いので、地雷が何かを教える取り組みから始めているということです。もちろん、おとなも、アメリカ人兵士も地雷で手足を失ったり、命を無くしたりしていると思います。
その後 家にも連れて行ってもらい、ご家族の写真を撮りました。おとなっぽい女性がたくさんいますが一夫多妻の奥さんか、姉妹か区別はつきません。長崎から来たと伝えると、お父さんが「アトミックボンブ」と言っていました。長崎は有名です。
ザレホの家族
「サラ-ムアレイコム」 ペルシャ語で 「こんにちは。」