翡翠さんへ。
コメントをありがとうございます
お話にありましたように調べてみると、あらぁ~の世界でした。
すっかり忘れていました。
思い出しましたよ、これ。
実はふるらん家ではお正月、親戚が集まると百人一首をしていました。
北海道は読み札は紙、取り札は木です。
そして『下の句かるた』というルールなのです。
お習字の字で書いてあったので幼い時はまったく読めず、
当然大人の世界でしたので、同じ札の字を何回も親に聞いていました。
そうそう、いろいろ思い出しました。
「読み終わりの音についていき、取り札の一番最初の音が入れ替わる時があるので、それを感覚で聞き取りなさい」とおばあちゃんに言われて、必死に取りましたよ。
当時は御着物を優雅に着て取りましたね。
スピードではなくて美しく取る、という時代でした。
そしていつの間にか・・
お正月のお酒やタバコでぐるぐる巻きになった麻雀や花札のワイワイ、ガヤガヤ感に押されて、百人一首をまったく行わなくなりました。
しかしそのおかげ(なのか)で花札はとても強くなり、大人相手でも勝てるようになりました。
今思えば、百人一首の優雅さを子供の時に学んでいたのね、と思うばかりです
子供の時のお正月のことを思い出させてくださってありがとうございます
ちなみに百人一首の意味もなにも・・すべて忘れています(大笑)
本州に来て百人一首を聞いて、初めて北海道との違いを知りました。
一番最初に詠む歌が「難波津・・」の歌です。
小倉百人一首競技かるた 第65期クイーン位挑戦者決定戦 2回戦 2020(解説なし)
ある方のブログを読んでいましてね、
そうそうそうなんですよ、と思わずうなづいていましてね
詳しいことを書くと、
「私もそうなの?」と思ってしまう方などおられますのであえて遠回しに書くことにしました。
神社の境内で葉っぱが・・云々と書いてあるブログがありましてね。
そのお話です。
実はですね。
神社の葉っぱってすごいんです。
すごいと書いたら、神社の葉っぱをちぎる人も出てくるかもしれないので(困ったものです)、あえてその葉っぱの種類は書きませんが、
葉っぱの持つ意味が深いのです。
今、コロナでしてね。
神社の水で手を洗うところ『手水舎(てみずや・ちょうずや)』の水が出ていないところがたくさんあります。
神道系のお客様の場合、
水の代わりに手を清められる葉っぱがあるのです。
今、その葉っぱが境内になかなかないので、手を清められないのですが、
もしあったら、神様にある“お言葉”を述べて、一枚いただきます。
そしてその葉を手のひらに乗せて・・という方法があります。
お寺に行く場合は塗香を使い、これで手を清めます。
ものすごくよい香りがします。
〇感のある人は
「鼻もすっとするけれど、体が軽くなる気持ちがする」と言われます。
塗香入れに入れて持ち歩くのです。
もちろん神様のおうちから葉っぱを一枚頂くのですから最大の敬意を示し、
清い心で言葉を発しなければなりません。
神様は見ておられます
神社の葉っぱってすごいんです
(と言って勝手に自分のエゴのために勝手にちぎってきたらバチが当たりますよ)
お客様が“あること”で悩まれている場合にはそのお話をして、その種類の葉っぱを花屋さんで買ってきてもらい、身に着けてもらいます。
するとですね、葉っぱに異変が起こりるのです。
黒くなったり、枯れた色になったりします。
自然界の葉っぱですからね、
普通に身に着けるとそうなりますが、“あること”で悩まれている場合は「え?」と思うような変化になります。
こんな色になるの?状態に
それを見ると驚き、現実に起きている見えないことが見えて対応しなければならないとわかりますし、
お客様が問題への意識が変わると思います。
自分の考え方に気が付き、意識を変えようと決心されます。
そしてその葉っぱ一枚だけで
「気持ちが楽になりました」と言われる方もおられますし、
中には問題の解決の糸口になったりもします。
ただ、これは約束ことがありますので、守っていただかないとならないことがあります。
でも人って話してしまうのですよね・・・
そしてそのあと・・効かなくなってしまうのです。
いずれにせよ、困ったときだけお願い参拝に行くのは遠慮しましょう。
自分の縁とゆかりのあるところへ“感謝”をお伝えに行きましょう
違うところへ行くと、『眠っていたモノ』を起こすことになりかねませんから。
起こしてしまったお話はまたあとでさせて頂きたいと思います
お盆でしたが、店内を見ると皆さん静かそうなお客様ばかりで安心。