コロナで全てが変わりましたね
リモートワークで出社しない生活で体力がなくなったり、人と話さない生活は辛い…
リモートワークでなくても、マスク生活で人と話さなくなり、友達とも会わないし、当然、新しい出会いも少ない…
楽しい食事の会話もなく…
一人、無言で時が過ぎる。
笑う数も減り…
寂しい…
孤独感が強くなるばかり…
ラインやメールで話してもある程度は会話ができますが、心が動かない。
気がつけば愚痴ばかりで話してつまらない…
建設的な会話が全くなくなりました。
孤独が強くなると、
不安も増え、
良くない方向に行くばかりです。
そして体調を崩す原因にもなります。
その全てを
自分が駄目な人間だから、とまた良くない方向へ行く人もおられます。
大切な話ができる相手が減りました。
人それぞれ、悩みが多い時代ですので、人のことまで手を差し伸べることもできなくなってしまったのです。
でも…本来は人が人を支える方が、たくさんの人が楽になれ、その先に自分も楽になれる方法なのですが
天国と地獄の食事の方法が違うことを知っておられる方は頷けると思います
ある30代のお客様のお話です。
会話も減り、
楽しみもなく…
目標も見失い…
日々、同じことを繰り返し…
そこまではみんなと同じなので我慢できますが、
どんどん孤独が強くなり、寂しさよりも、苦しみの感情も出てきて…
精神が不安定になるのではないか?と心配していました。
仏教で、全く人に会わない、話さない、と云う修行があります。
私は禅宗で修行体験をしたことがあります。
一切の会話外出禁止。
三度の食事も一人です。
一日、二日…数日すぎる頃にはカーテンで仕切られた隣の部屋からは他の人達から泣き声が聞こえていました。
私は楽しくて仕方ありませんでした。
なぜなら…普段できない経験をすることが大好きな人だからです。
でも修行が終了して街に出たときに、
世の中にはこんなに物や音が溢れていることに気が付きました。
…これなら疲れるのもわかるわ…と思いました
本物の凄い修行になると、山の中の小さな小屋の中で、お風呂にも入れす、3度のご飯を運んでくださる人が来るのですが、会話禁止、その他は小屋の内外で座禅のみ。
これを3年。
真冬も真夏も関係なし、です。
病気になっても、動物に襲われてもそのままです。
食事を運んでくれる人が安否を確認してくれるだけです。
突破される方はほんの少しだそうです。
他には十数年、薄暗いお堂から出られない修行。
山道を千日間走り回る修行。
超高い山の上で、極寒の時期にされる超強力な修行の内容を聞いたときに、
聞いているだけで○ねるわ、と思うこともありました。
まさに選ばれた人しか生きて帰れない内容。
当然、途中で挫折、病気…精神的に折れてしまう人がほとんどで超えられる人はほんの数人。
共通点は
『孤独』『飢餓』『心の戦い』。
孤独は心身の痛みのボリュームが上がり、受けている感覚を強くします。
孤独を“闇”と取るか、“気づき”と取るかです
超孤独を超えて行くときに見えてくる世界…
…の前に普通の人なら精神が崩れます。
論理的な人は考えすぎて、闇の原因を追求しますが、
感覚的な人は五感を楽しみ、変化に気づき、
日が昇り、
花が咲き、
風に揺れ、音が鳴り、
鳥が飛び、
虫が歩くことを楽しみます。
自分の心臓の音を知り、
髪や爪が伸び、
汗をかき、
肌に脂が湧き、
体に垢がたまり…
…汚い、汚くない、の差さえ無くなります。
同じ物を食べても悩むタイプの人は痩せ、
楽しむタイプの人は太るそうです。
孤独は、年齢に関係なく、一度経験したことがある人は強烈な苦しみを与えてくるものと知っています。
ええ、苦しいのです。
お客様としばらく心の会話をしました
彼女が思っていることを全て話してもらったのです。
彼女は自分を責めていました。
自分が思っている自分になっていないからでした。
理想、目標、大切なことです。
苦しみ、悩むことも必要ですが、悩みすぎるのは毒です。
呼吸も多すぎると体によくありません。
修行ではないので、孤独に打ち勝つことよりも、
孤独な生活から変化させて楽しむことを実行しないと
孤独前の感覚を思い出してもらいました。
忘れていた物を思い出してもらいました。
彼女の五感の喜びは人一倍強かったので、それをまた喜びというエネルギーに戻してもらったのです。
追求すること、
突き詰めて、突き詰めて…
喜びとなるものであれば良いけれど、
あなたは修行者ではなくて、今世は女性として生きることを決意していること。
「あなたが楽な道を見つけることはあなたの生き様に反することではないですよ。むしろ周りの人達に希望を与え、安心を与えるものです」と話すと、とても喜んでもらえました
私の孤独ですか?
私は孤独ではありません。
いつも神様や仏様がそばにおられることを信じています。
なぜなら…
病気で辛かったときに、
あの声が今でも私の耳に残っている限り、たとえ闇に囲まれたとしても、私は神様、仏様とともに私を守って行けると思っています。