世の中にはいろいろな人がいて、
自分のストレスを発散するために“ゲーム”を仕掛けている人もいる。
そのゲームにいつの間にか自分も参加させられていて大変なことが起きることがある。
午前中のアルバイト。
職場のシフトがあり、チーム制で一日〇人態勢で仕事を進めている。
全員で〇人で働いている場所。
就職当時はとても和気あいあいの雰囲気で働いていたですが・・
気が付いたのはなぜか順番性で人がいじめられる。
いじめている人がいじめられる日もある。
いつか自分の番がくる、と思っていたらその日が来た。
突然周りが厳しくなり、
口もきいてもらえなくなったり、ほとんど無視の日もあり、
顔色を変えて強い口調で注意される。
それに耐えられなくなってやめる人もいる。
おかしいわ、と思いながらもやっと見つけた近所のアルバイトであり、通勤が楽。
シフト希望の融通も利くので我慢していたけれど、
耐えているとますますきつい言葉が飛んでくる。
「辞めるしかないのかしら」と彼女は悩んでしまった。
彼女の年齢は60代後半。
「この年齢でやっと見つけた仕事なのに・・このいじめではしんどくてたまらない」と思い悩んでいると、友達の紹介で私のセッションを受けることになった。
「よく耐えていましたね」と話すと、
「ええ、さすがに年齢的に何事にも耐えられるようになりました」と苦笑い。
「でもやっぱり女の子なんだから、弱いところは弱いし、胸は痛めていると思いますよ」と話すと
「久しぶりに女性という風に見てもらえてうれしいです」と言われました。
そうよね・・
年を重ねるとひとまとめに「おばさん」「おばあちゃん」「高齢者」・・と言われますものね
女性、なんですけれどね・・
誰かが悪さをしているのよね~このお話と思い、
お客様の彼女お話を聞いていると見えてくるのが
「60代後半かしら?小柄で、ちょこちょこ動く痩せた人が浮かんでくるのですが」と話すと、
「ええいます、え?もしかして」
「もしかして、と言われると何かにひっかかりがあるのですか?」と聞くと
「ええ・・彼女、上司に対しては態度が違うので」と言われたので、
「この人が周りの人を使ってゲームをされてます」と言うと
「え」と言われたので
「あの人があなたの良くないことを言っていた云々・・と言いふらして、周りを怒らせて、それを順番にやって楽しんでいるみたいですね」と話すと
「あ・・なんとなくわかります」と言われました。
人によって態度を変える人は信用してはいけません。
当然、言葉の中の本心も変えているので。
その要は人は、立ち振る舞いが違うので、よい人に見えたりするのですが、
それをそのまま受け止めてその人の評価のままでいると間違えを起こして、巻き込まれます。
それと人の悪口をそのまま信じる人が多いのです。
とくに
「あなたのことを悪くいっていたわよ」というと
「え」になり、そしてもっと刺激を与えると
「ええ」と怒るのを見て楽しむ人がいるのです。
悪い人はいるのです。
ですから、人の悪口をそのまま信じないこと、
言っている人を見て、
なぜそれを言うのかを冷静に判断することです。
話している内容をそのまま感情で受け取ってはいけません。
・・ということは社会人の若い時にすべて勉強しているはずなのですが、
何歳になってもそのまま信じてすぐ怒りに変換して、
その先に
「そんなことを言っているのなら、いじめてやる」になる人もいます。
あのですね、
悪口をいう人はちゃんとわかっています。
“ゲーム”に引っかかる人を狙っています。
そうですね、例でいうと、
借金を申し込んでくる人はお金を貸してくれる人をちゃんと見抜いています。
断れない性格を見抜かれています、ということです。
“嘘”を楽しむ人がいます。
嘘に引っかかった人を見るのが楽しいのです。
“嘘”をすぐ信じる人もいます。
でも上手に“嘘”を話す人も多いのです。
そして自分の行いを隠すために嘘を言う人もいます。
本当なら“事実”ですが嘘でゲームをスタートさせて、
参加人数を増やし、自分のテリトリーに巻き込み、仲間を増やしていきます。
目的の一つは
「自分の楽しみを増やすための参加人数増やし」でもあり、
もう一つは
「自分の大きな嘘を隠すために、バレたくない相手や仲間に先に大きな刺激を与え、自分を正当化する」です。
常日頃、周りの人を良く観察することです。
そして「悪口」という刺激に反応しないようにすること。
反応するとゲーム仲間に引っ張られます。
悲しいかな、その仲間も“利用されているだけ”なのですが、自分たちが利用されていることに気が付いていなことが多いのも事実です。
ただ、基本的に悪口を言う人には気を付けてくださいね。
一緒になって言うと、そこから
「この前あなたのことをこう言っていたよ」とほかの人に報告されるので。
「この女性、仕事を辞めることはないのかしら?」と聞くと
「年齢的にほかに仕事は無理と思うので、まだ続いていくと思います」と言うので、
「多分、上司も彼女から嘘の報告を受けていると思うから、無理だと思うし、このメンバーならこの・・人」とある女性の名前を指をさすと
「この人は逃げ腰なのです。社員さんなのに、私はできないとか」と言うので、
「この女性の取り扱い説明書をお話します」と話すと
「あ~わかります。そういう反応します」と言われたので
「それではこうしましょう」と話しを進めました。
逃げ腰の社員さんは30代。
おばちゃんたちの戦いから逃げたくなるのはよくわかる。
でもその彼女でさえ、おばちゃんたちの攻撃を浴びる日がある。
方法を説明して、
「やってみます」と言われて帰られました。
そしてその次の日から社員さんに何をどうやっていうかと実践。
一週間を過ぎたころから社員さんの態度が少しずつ変わっていきました。
その変化に気が付いた“ゲームの女性”がまたゲームを始めようとして、周りに社員さんの悪口を流してきたので、相談をされてきた彼女が
「それって事実?間違いなく事実?いつ、どこで誰が?」と聞きなおし、
「本人に確認するからね」ととどめを刺すと、あいまいな話になったので
「事実だけ聞くから」と言い返し、
すると今度は社員さんに嘘を言いに行ったそうで、それを社員さんから確認の連絡がきて・・
やはり嘘ということになり・・
周りの人たちにその事実を伝えました。
一番の大元は会社の上司。
すっかりその嘘つきさんの言葉を信じているので、
嘘つきさんは早速
「みんなにいじめられている」と上司に話したそうでして、
まぁそれも想定済みなので、
すべてのことを文章で報告。
それをしった上司は嘘つきさんに事実確認をして、いままで良くない人たちと思っていた人たちに謝罪しました。
その謝罪の文章を職場のみんなに見せて、みんなで仲直り。
まもなくその嘘つきさんは退職することになりました
チームワークに拍手
「よく頑張りましたね」と私がメールをすると。
「取説を聞いていた時はできるかな?と思っていましたが、正しいことをする人には必ずよいことが起きるよ、と言われてそれならこの年齢でも楽しみがある、と思ったらやる気がでました。ある意味私もゲーム感覚だったかも」と笑っていました。
ええそのなのよ。
相手がゲームならこちらもゲームのつもりで
取説を読んで、ゲームをしましょう。
相手はストレス解消だけれど、
こっちは正義の力で“人の輪”を取り戻そうとする勇者なのよ。
神様は正しい方に味方してくれるのよ
人を判断するのは難しいことかもしれないけれど、
少なくても相手のストレス解消のゲームには乗っからないようにしてね。
利用されて、とんでもないことになった人もいますし、
嘘つきの人の方を信じて、自分にとって大切な人の縁も切ってしまう人もいたので。
嘘つきさんほど嘘が上手。
よく聞いているとわかりますよ。
相手を陥れたいと思っている人ほどあなたを怒らせる内容に仕掛けてくるので。
その言葉の“毒”を飲みこんで自分の心を毒で怒りや悲しみの心にさせ、正しい判断ができないように麻痺させたりしないようにね。
正しくありたいと思っている人は
人の言葉に染まらず、
自分の心を信じて日々過ごしているので相手に支配されるような行動にはつながらないようにし、
常日頃からいろいろな事柄に感謝し、間違えるとすぐ謝り、道を汚さないように歩いているはずだから。
神社の葉っぱの続きです
神社の葉っぱは神聖なのです。
葉っぱだけではありません。
すべてです。
空気も土もです。
ですから決して汚してはいけません。
そして足元の砂利もできるだけ乱さないように歩きましょうね。
足跡なんてつけて歩いたらダメですよ
静かに、静かに歩くのです。
自分の家に誰かが大きな足音を立てて歩きてきたら嫌でしょう?
神聖な気持ちで歩いている人は少し頭を下げて静かに静かに歩きます。
ちなみに“靴音”で“あること”がわかります。
では「起こしてしまったお話」を。
数人で奈良の〇〇神社様へ参拝に行かせていただきました
神社や仏閣は好きだからという集まり。
そしてそのうちの一人の男性が
「ちょっと系統が違うかな」と思っていたのですが、お友達のお友達だったので言えず・・
まぁ静かに行くしかないわ、と心していきました。
神社へ到着、
参道を歩いていると、その男性がたばこを吸っているのでさすがに注意しましてね、
するとその人がその吸い殻を参道脇の排水溝へ捨てたのです。
それで私はまた注意しました。
もちろんその場の空気は最悪・・
でも
「バチが当たるよ」は言ってはいけないので、我慢しました。
言ってはいけない理由は
「ここは参道、清らかな場所。言えば自分にも遠からず当たるから」(ここがポイント)
う~我慢、でも心の中は腹が立つ(本音)
鎮めよ、鎮めよ・・わが心・・・
神様の前で暴れた心であらぬように。
するとその男性、吸い寄せられるように参道にぶら下がっていた灯篭へ進み
え?と思っていると、いきなり灯篭の角に頭をぶつけていました。
その灯篭、行事のために氏子のみなさんから集められたご寄付で灯された清き光のものなのです
「痛い・・」とうなっている彼。
そうよね・・
そうなるわよね。
神様のおうちにたばこなんて捨てるから。
でもそこで
「ほら、そうなるでしょう」と言ってはいけません(ここがポイント)
そのあと、この男性は仕事や家のことでいろいろなことが起きてしまいました。
系統に触れたかしらと思いました、
参拝後に起きることが続いたからです。
特に対人関係によく出ます。
それと小さな怪我など。
ですから本来神社は自分が生まれたところと、住んでいるところに参拝するのが一番です。
それと・・
前にも書いたことがありますが、
神社の写真は撮らないことです。
遥か昔は絵に描いただけで捕まったそうです。
(天皇家がお忍びで参拝に来られる某小さな神社前で代々茶店をされているおばあさんのお話。詳しいお話はもっと面白かったですよ
へぇ~へぇ~の連続でした)
そうでしょうね。
だって神様のおうちですものね。
私たち人間の思考の範疇ではない壮大なお方のおうちを時代の流れなど一般論で結論付けてはいけないですものね。
雅楽のお勉強を始めたころ、ある県の神社へ行かなければならないという感覚が降りてきましてね。
私のおうちの系統とは違う神社さんだったのでちょっとおっかなびっくりで行きました。
(警戒するって必要)
それで新幹線と電車を乗り継いで到着。
〇感スイッチオン
すごいな・・
何がすごいって、これを建てなさいと指令を出した人のプライド
ビシビシ来るわ、体に。
普通建物の中を歩いていただろう人たちの気配があるけれど、まったくそれがなくて、
正確に言うと“抜けてしまっている”ような空虚感。
御神体の気配があるので、そちらの方へ行ってご挨拶。
お静かな“方”でした。
少し斜め向こうを示すので、早々にその神社を出て、その“向こう”へ行くとお寺があって、
「あ~ここから移されたのですね、一部分」とわかると
その移された方向、つまり道筋を白っぽい流れで教えてくださいました。
もちろん先ほど神社に入ったので、このお寺には入らず外からのご挨拶で失礼をさせて頂きました。
一切の不浄なしで歩くしかない“系統違いの参拝”
帰り道も言動に気を付けました。
深いところは探らず、視ず。
触れてはいけないと悟っていたからです。
呼ばれた理由もあえてお伺いを立てませんでした。
いつか教えてくださるタイミングが頂けると思っていただけです。
これが“系統違い”の注意点です。
呼ばれていないのに行くのはやめましょう。
ご先祖様同士がせっかく今まで静かにしていたのに、相手側の神社へ行って寝ていたご先祖様の感情を起こしては大変だから。
そしてその神社さんの答えをずっと掘り下げず、十数年・・
ある日テレビをつけるとその神社さんの歴史とドラマをしていましてね、
あら~答えを教えてもらっているわ、と食いついて見ていました。
あら~
あら~(おばさんになるとあら~の連続)
そうなのよ、その感覚は神社にあったわ。
これを建てよ、と指令をした人の性格もその通り。
そしてどうしてそこの建てたのか、その深い意味。
そうだったのね、それでそういう風に見えたのね、とやっと理解と着地。
私が〇感で探っていたらきっと別系統の地雷を踏んで、きっと私に何か来た、となるけれど、探らなくてよかったわ。
つまり、いろんな経験を積んで、やっとこの系統の方とも少し和らいで軽~~く挨拶できる距離まで来られたかしら、と思いました。
触れてはいけない、
視てはいけない、
探ってはいけない・・
神様にかかわる人の歴史は深く、普通の光が届くまでの時間がかかる闇があるのです。
そうしてしまったのは人間の欲や誤解や様々な“必要でない感情”なのですけれどね。
あえて強い光を指していただいたとしても拒否をされる場所や、
触って怒らせる場所もあります。
『触らぬ神に〇りなし』ですが、“〇り”にしてしまったのは人間だということを忘れないように、年を重ねるように自分が謙虚になっていかなければならないといつも思うのでした。
神社へ参拝へ行き、体調を崩される方もおられます。
少しでも気が進まないときは勇気を出してお友達にお断りをしましょう。
自分のご先祖様のご配慮を大切に受け止めてくださいね。
・・ということと、
〇のいたずらで
「そこへ行くと運気が上がるので行かせたくない」というややこしい“くっついている人”や日頃のお付き合いの人で邪魔をする人もおられます。
と、聞いていたら本当にややこしいでしょう?人って。
ですから、先に書いたように自分の生まれたところと、住んでいるところを静かにご挨拶が一番ですね
〇感のある人たちは必ず心が休まる場所を見つけています。
神域とは神様が心をほどいてくださる素晴らしい場所です
清浄なる場所ですのでありがたい気持ちを忘れずに感謝をささげてくださいね。
もちろん普段の自分の生活の中にも感謝を
生きているってすごい奇跡なのですから・・
ある方のブログを読んでいましてね、
そうそうそうなんですよ、と思わずうなづいていましてね
詳しいことを書くと、
「私もそうなの?」と思ってしまう方などおられますのであえて遠回しに書くことにしました。
神社の境内で葉っぱが・・云々と書いてあるブログがありましてね。
そのお話です。
実はですね。
神社の葉っぱってすごいんです。
すごいと書いたら、神社の葉っぱをちぎる人も出てくるかもしれないので(困ったものです)、あえてその葉っぱの種類は書きませんが、
葉っぱの持つ意味が深いのです。
今、コロナでしてね。
神社の水で手を洗うところ『手水舎(てみずや・ちょうずや)』の水が出ていないところがたくさんあります。
神道系のお客様の場合、
水の代わりに手を清められる葉っぱがあるのです。
今、その葉っぱが境内になかなかないので、手を清められないのですが、
もしあったら、神様にある“お言葉”を述べて、一枚いただきます。
そしてその葉を手のひらに乗せて・・という方法があります。
お寺に行く場合は塗香を使い、これで手を清めます。
ものすごくよい香りがします。
〇感のある人は
「鼻もすっとするけれど、体が軽くなる気持ちがする」と言われます。
塗香入れに入れて持ち歩くのです。
もちろん神様のおうちから葉っぱを一枚頂くのですから最大の敬意を示し、
清い心で言葉を発しなければなりません。
神様は見ておられます
神社の葉っぱってすごいんです
(と言って勝手に自分のエゴのために勝手にちぎってきたらバチが当たりますよ)
お客様が“あること”で悩まれている場合にはそのお話をして、その種類の葉っぱを花屋さんで買ってきてもらい、身に着けてもらいます。
するとですね、葉っぱに異変が起こりるのです。
黒くなったり、枯れた色になったりします。
自然界の葉っぱですからね、
普通に身に着けるとそうなりますが、“あること”で悩まれている場合は「え?」と思うような変化になります。
こんな色になるの?状態に
それを見ると驚き、現実に起きている見えないことが見えて対応しなければならないとわかりますし、
お客様が問題への意識が変わると思います。
自分の考え方に気が付き、意識を変えようと決心されます。
そしてその葉っぱ一枚だけで
「気持ちが楽になりました」と言われる方もおられますし、
中には問題の解決の糸口になったりもします。
ただ、これは約束ことがありますので、守っていただかないとならないことがあります。
でも人って話してしまうのですよね・・・
そしてそのあと・・効かなくなってしまうのです。
いずれにせよ、困ったときだけお願い参拝に行くのは遠慮しましょう。
自分の縁とゆかりのあるところへ“感謝”をお伝えに行きましょう
違うところへ行くと、『眠っていたモノ』を起こすことになりかねませんから。
起こしてしまったお話はまたあとでさせて頂きたいと思います
2年ほど前に知り合った60代の女性のお話です。
仕事をしていて、会社が入っているビルのトイレに行くと、お財布が忘れてあって、びっくり!
このトイレを使う90パーセントの女性は自分の会社の人だから
それを持ってとりあえず、会社に戻り、
「トイレに忘れてあったけれど誰かのじゃない?」と聞くと、
「あ~私が入っていた時にもあったわよ」
「私も知ってた」
「私も」
「私も」
え?一体何人の人がこの財布を見てそのまま置きっぱなしにしたの?と思っていると、
「だって人のだし」
「関わり合いになりたくないし」
「防災センターにもっていくのはめんどくさいし」という言葉が飛び交う。
え~~~~~~~~
何それ
落とした人がもしかして今頃慌てていると思って、大変、かわいそうと思わないのか
と心の中の怒りが湧いてきて、
それで自分で防災センターにもっていって届けたそうです。
「それって何か悲しくなる話ね」と私が言うと、
「そうなのよ、落とした人の気持ちなんてまったく考えないで、めんどくさいが先にあって。
今の時代そんな風になってしまったのかな?」と言われたので、
「かもね・・残念だけれど」と話すと、
「時代はどんどん良くない方に進んでいくのかな」と少し寂しそうな顔をしていました。
おばさん世代の私たちにとっては考えられない対応で、とっても悲しい。
彼女は
「私ってこの会社の仕事のストレスがたまる理由がわかった気がしたわ。今頃気が付く私が鈍いのね」と苦笑いをしていました。
う~ん
今困っている人がいる、という気持ちにならないのかな・・
という考え方も古いのかな・・
ああ、第一発見者にはなりたくない、という気持ちもわからないではない。
昔、聞いた話で、お財布を届けて
「もっと現金が入っていたはずだ」と落とし主さんから言われて傷ついた人もいたという話も聞いたことがあって、
親切をして悲しい目にあう、ということもある。
ああ、複雑
ただね、
私自身の性格からすると、
絶対そのままにしておく、は自分の選択にはない。
いつも拾ったものは届けているし、
そしてその決断と行動のお蔭で先日落としてしまった銀行のキャッシュカードが無事手元に戻ってきた事実もある。
その場の判断にもよるけれど、
誰かのために自分が役に立ったらうれしいという気持ちは忘れたくない。
それと
知らない顔をして逃げる姿を神様や仏様に見せたくはない・・
ああ、でも、落とし主さんがややこしかったらどうしよう・・の複雑さ。
お財布ゆえの心の迷いが出るわ
ですから、みなさんもお財布だけは落とさないようにね。
もちろんあまり大きなお金を入れないように。
ちょっとした油断で置いちゃって、
そして忘れるから。
くれぐれも外であまりお財布を出さないようにね。
「あせってはいけませんよね。つい焦るけれど、落ち着いて生きて行かなければなりませんよね」と私におっしゃってくださいました。
栗好きな私は、
もやしは19円。
整骨院の先生は