秋の行楽シーズン真っ盛りですね。
あちらこちらで、紅葉狩りや秋祭りの文字を目にします。
先週末、こちらでは恒例のお祭りがありました。
これらは、展示されていた工芸菓子の数々です。
この日は、叔母を誘って出掛けるはずだったのですが
急用があって、来られなくなってしまいました。
楽しみにしていた母は、がっかり・・・
そこで、二人で出かけてきました。
出掛けた先は、以前もこのブログで紹介したこともある
森の中の隠れ家的ホテルの温泉です。
タイミングよく貸切だったので
スマホでパチリ
周りに一軒も建物が無く、森に囲まれたこのお風呂は
仄かに木の香のする空気と風の音を楽しみ
ベッドのようになったジャグジーで空を眺めながら
のんびりと温泉に浸かることが出来るのです。
無色透明、アルカリ単純泉なのでお肌がつるつる
所謂、美人の湯です。
テラスからも、紅葉が楽しめました。
向こうに見える山々は更に美しく錦織のように彩られていました。
ふと思い立って、このに近くにあるという大平峠の手前にある大平峠まで行ってみることにしました。
ここから飯田市へと抜けるには、清内路峠を越えていくのですが
以前は、標高1350mの大平峠を越えていたのだそうです。
ホテルの方に道を聞きくと、ホテルの裏手にある屏風のように立ちはだかる高い山の上だというのです。
母とふたりで山道を行くのは少々不安でしたが、車で20分ほどで行けるとのこと
思い切って、行ってみることにしました。 (ちょっとオーバー?笑~)
国道から県道(旧大平街道)へ入ると、急に道は狭くうっそうと茂った木々で薄暗く
くねくねと曲がりくねった坂道が続き、何度か戻ろうと思ったほどでした。
(熊に遭ったらどうする!それより人間の方が怖いかも・・・ドキドキしてきました~!)
前日の台風の影響の雨で、カラマツの葉がアスファルトの路面を覆い尽くしていました。
もう3時近いというのに、この日ここを通った車が殆ど無かったことになります。
カーブが30以上あったでしょうか、そのころから周りは広葉樹となり
赤や黄色の葉が多くなり、木立の切れ間から谷が眺められるようになってきました。
すると間もなく空が急に明るく開け、峠に到着しました。
写真ではよくわかりませんが、木々の間から遙か下にある蘭(あららぎ)という名の地域が見えます。
標高1000mを超えているだけあって、寒い!
今でこそ人気のない、時が止まってしまっているかのような場所ですが
昭和の初期までは、木曽谷と伊那谷を結ぶ道として栄え、バスも走っていたのだそうです。
昭和11年秋、そのバスに乗ってやって来たのが飯田に於けるアララギ歌会に出席するために
旅する途中だった斎藤茂吉でした。
斎藤茂吉とは、日本の歌人、精神科医です。
私たちの世代では、斎藤茂太氏、北杜夫氏の父と言った方が身近に感じられます。
伊藤左千夫門下であり、大正から昭和前期 にかけて日本を代表する短歌結社誌『アララギ』の中心人物です。
自分が主宰した歌集『アララギ』と同じ名前のあららぎという名の里を望んで感嘆し
後に『大平峠』と題して詠んだ17首の歌を歌集『暁紅』に収めています。
その時詠んだ歌のひとつが、句碑に刻まれていました。
麓にはあららぎという村ありて 吾にかなしき名をぞ とどむる
かなしき名として とどまったのは何故?
当時を知る創業1932年(昭和7年)茶屋は、残念ながら閉店時間を過ぎていました。
この先を進むと、大平峠県民の森として整備され
無料のキャンプ場や散策コースなどもあるそうです。
そして、廃村になってしまっている大平宿が江戸時代の姿を留めながら
今も残っているのだそうです。
(何故か、西部劇に出てくる人のいなくなった街が頭に浮かびました。)
このまま進んでは、帰りは真っ暗な森の中を長々と走ることになってしまいます。
熊にでも遭遇したら、大変です!
また、夏の暑い頃に来てみようと話し、ここを後にしたのでした。
熊にこそ会いませんでしたが、道をのんびりと横切る美しい雉(キジ)に出会いました!
しかしながら、この街道を走る間の1時間ほどの間に、一台の車にも会わなかったのでした。
Thank you♪