午前中は、隣の町内の90歳を越えたおじいさまの葬儀に出席し
午後からは、先日亡くなった身内の七七忌(四十九日の法要)でした。
【お寺の庭で】 | 自分の父が亡くなるまで、葬儀やこうした法要というものは 必要ないのではないかと思っていました。 亡くなった人は帰って来ないのだし、皆で集まって悲しんでも 更に悲しくなるだけではないかと考えていたのです。 自分が身近な人を亡くし、いざその立場に立って考えてみると これらの儀式は、亡くなった人のために行われるのではなく 残された人のためだということを、身に沁みて感じました。 これらの、行事をこなすことに心が行き 落ち込んでいる暇を無くしてくれるのです。 そして、故人の生前の姿を思い出し語り合うことが 悲しみにくれるお互いを慰め励ますことになることになるのですね。 |
昨日の法要では、若くして亡くなった彼を悼んで 親しかったお友達にも出席していただきました。 その後の食事の会では、故人の思い出話に花が咲きました。 出席していただいた方達の八割が同じ高校出身ということもあり 年齢の幅はあるものの、まるで同窓会のようになりました。 最初は、涙ぐむ人も多かったこの会も 帰る頃には、また同窓会しような・・・という言葉も聞こえて 笑顔で再会を誓うのでした。 また、元気で会おうな。体大事にしような・・・。 こんな私達を、見ていてくれますか。 一緒に笑ってくれましたか。。 | 【お寺の牡丹:雨に濡れてボケてしまいました】 |
【旧中山道の坂道に咲くサツキ】
一日出掛けておりましたので、
皆さんのブログにお邪魔することがでいませんでした。
また、仕事の合間に必ず読ませていただきますね。
いよいよ、GWも間近です。
楽しく充実した一週間になりますように。
今日もお付き合いしてくださってありがとう~!
お祝い事より、そういう会のほうが断然多くなっていますものね。
今回、こんなに年の近い身内が亡くなると
昼間は忘れていても、(死が)怖くて眠れなくなるときがあります。
そうですね。悔やんでも戻らないのですが
ふとした瞬間にそういう思いが募ることがあります。
自分を大切にしていかなきゃと思う瞬間でもあります。
それほど疲れはしませんでした。
故人を偲ぶ良い会になったと思います。
招く側の時には、本当にどっと疲れが出ますよね。
これから、次々といろんな種類の色鮮やかなサツキ・ツツジを
見ることが出来ますね。
残されたものの悲しみの深さを改めて感じました。
でも、いつまでも泣いてばかりはいられない。
一日も早く元気になって生きて行くことが
彼に対しての供養になるのだと
皆で確認しあいました。
長い歳月をかけて、こういう習慣ができてきたのでしょうね。
救われるとは、こういうことを言うのだと最近わかった気がしています。
緊張の糸がふっと緩んだときに、悲しみがどっと襲ってくるのですよね。
きっちり、80年生きられたお父様。
生前のご性格が偲ばれます。
大勢の方に来ていただいた葬儀の後、一人でも多くの人にお別れに来ていただけることが
供養になるのだと思い出来るだけ出席するようになりました。
いつかは同じところに行く・・・
そうなんですよね。
またいつか会える・・・
会った時に、恥ずかしい思いをしないような
生き方をしなくちゃいけませんね。
直太郎君の今度の歌、心にバシッと来る歌ですね。
最後に、皆で、遺影にCHU!したりしたんですよ。
本当に、みんなの心に生きているんだなって思いました。
そうでしたね。きょうさんのところも
お父様の法事を済ませられたばかりでしたね。
夫方の身内でしたので、話したこともない方もいらっしゃいました。
できれば、生前に一緒に語り合いたかったなあと思いました。
長い歴史の中で、色々な智恵が積み重なって
こういう形が出来てきたのでしょうね。
後世に伝えたい大切な風習、伝えたくない悪しき習慣
ちゃんと見極められる大人になって欲しいですね。
・・・ありがとうございます。・・・
そういう行事でもないと、なかなかお寺に行くこともないです。
こういう機会でもないと、皆揃って顔をあわせることも少なくなりました。
うちの姪も法事を楽しみにしています。
今度はどこでご馳走を食べられるの?と言いますよ。
昔の人は、兄弟姉妹が多かったですから
親戚も半端なく多くて、しょっちゅう法事がありましたよね。
段々と少子化になって、兄弟少なく子どもを持たない人も増えていますから
これからのお葬式や、法事の形も変わっていくのでしょうね。
法事を終えられた・・・という方 私の伺うブログに多いということが不思議な偶然です
やはり年を経ると・・・あちらに逝かれる方が増えてきて 父もですけれど(pinkyさんもですよね?)なんだか自分が死ぬということが
怖くなくなってくるものだと感じます・・・
でも・・・ずっと今生で共にいたかったな・・・と 考えちゃいます
それはお疲れ様でした。
法事はやった後に疲れがどっと出ますよね。
中仙道でさつきが咲いてるんですか?^±^
もうつつじの季節ですよね。^±^ノ
若かった小父さんは帰郷する新幹線の中で一生懸命葬儀の本を読みながら家にたどりつき葬儀をとりしきりました。
父方、母方とも大家族だったので四十九日は大勢集まっていただき、私も張り切っていました。皆の前でしゃべってトイレに行って鏡の前で手を洗っていたところ、親父の為にあんなにたくさんの人が来てくれたと満足感を味わっていて「だけど親父はもういない」という現実が急に頭をよぎり、涙があふれ出てきました。さみしさに気づいたんですね。そのことを思い出しました。
他人様の法事への出席も大切にしています。
人の死は悲しいけど
みんないつかは同じ場所に行く
早いか遅いかだけの違い…
みんな同じ場所へ行く、
だから…
今を精いっぱい生きていけばいい。
♪生きてる事が辛いなら
嫌になるまで生きるが良い…
直太朗の歌を思います。
法事は亡くなった方に縁のあった方々が集まり、
そこで楽しく語らいます、
それは故人にとっても1番の供養、
膝を崩して和やかに過ごすと良いと思います、
亡くなって直ぐはとても悲しいけど
やがてその魂は子孫や親族や友人たちの心の内に生き、また輝くんですよ、
私も今、亡父の魂を身体の内側に感じます。
そして旦那に言うのです、
私を虐めたら
私の後ろにはトーちゃんがおるよ、
恐いぞ~~~(爆)
私のところは先日父の13回忌を行いましたが、
その意味は残った者たちが普段疎遠になっているのを、
新らためて健在を確認しあうという意味が強いですね。
先人の知恵には、いろいろ深さ意味を感じますね。
日本の文化としても、守っていかなければならないのかもしれません。
一日、ご苦労さまでした。
私は小さい頃 こういった法要によく行ってました。何しろ 祖母に育てられたこともあり お葬式から こういった 法要は多かったです
そこで ご馳走を食べるのが 一番の楽しみでした。
動かずにお経を聞くことも得意でした。
たくさんの方がこうして 集まってくださったことは ご家族の方にも 又 亡くなられたかたにとっても おおきな喜びですね
きっと 一緒に 笑っていられたでしょう。
お葬式に行くと その方の人生が でていますね。
父のお葬式は とても寂しいものでした。
たしか 3人しかいない静かな お葬式でした。