昨日を そして今日をありがとう

Demain il fera jour.
遠回りして歩きましょう 
素敵な景色に遇えるかも・・・

木曽 福島宿ぶらり街歩き

2012-10-10 | 小さな旅の思い出

【福島宿 高札場の脇の色付く木々】

先週末、母と叔母と一泊旅行に出かけてきました。

先日立ち寄った温泉に入ったところ、痛かった足の調子がとてもよくなったとか。

今度は、もっとゆっくりとあのお湯に浸かりたいと繰り返し言います。

年齢を重ねてくると苦手になることの一つに「待つ」という言葉があります。

思い立ったら、もう待ってはいられません。

そんな訳での『湯治の旅~ついでに紅葉も観てこよう~』に出かけることとなりました。



先日訪れた「せせらぎの四季」にほど近いく

リピーターが多いと評判の「おん宿 蔦屋」さんの木曾川を眺めることのできる部屋を取りました。

宿に到着し、一息ついた後

話の尽きない二人を部屋に残し、福島宿をひとりで散策してみることにしました。

 
【木曽川】                【おん宿 蔦屋】

木曽福島は、信州松本から木曽11宿の5番目にあたる中山道の宿場町として栄えた町です。

江戸防衛のための関所を創設以来約270年間設けていた町でもありました。

天下の四大関所と呼ばれ、険しい山々と切り立った木曽川の断崖に望む町は

関所に適した場所でした。

そのため、あちらこちらに江戸時代の遺構が残り

独特な風情を見せています。

関所跡や山村代官屋敷、木曽義仲ゆかりのお寺などは今まで訪れたことがありましたが

町の中を散策するのは初めての事です。


【行人橋】

何度か架け替えられていますが、今から300年以上前にはすでに
この地に立派な橋が架けられてうたそうです。

対岸には御嶽山に登る信者が身を清めた滝があり、御嶽街道の起点
聖域への入り口でもありました。

当時、この辺りにあったのはこの橋だけで

このため、関所があった事だけではなく、中山道を通って御嶽参拝に

訪れる者は皆この木曽福島にやって来たことになります。


当時の賑わいが彷彿とされます。

今では、この隣に足湯が設けられ

観光客の憩いの場にもなっています。



【藪裏(やぶら)公園内にある藪裏清水】

藪裏とは、この地で山村代官の代々家老であった千村家が、竹藪の裏に居を構えて
「藪裏の千村様」と呼ばれていたことに由来します。

また、千村様が住居を移され度に、不思議とその場所から清水が湧き
以来、 「藪裏千村家の湧水(清水)」と呼ばれていたそうです。

千村家はこの水場に水桶を作り、塀で囲まれた一段目はお屋敷用
二段目は街の人々の飲み水用(現在は飲用不可)
三段目は野菜洗いに使えるよう町の人々に開放していたそうです。

なかなか粋な計らいをするご家老だったんですね。


【福島宿上の段】

急な階段を上がると、そこは江戸時代にタイムスリップしたかのような景色が現れます。

昔の風情をのこしたまま、懐石料理やイタリア料理のお店

「八沢春慶」と呼ばれる工芸品を紹介するお店に改装されています。

 福島宿上の段のこうした街づくりと取り組みは高く評価され
「第7回中部の未来創造大賞」の優秀賞と中日新聞社賞を受賞しているそうです。

ちょっと覗くと、レトロモダンというのでしょうか、とてもお洒落なお店になっていました。

また、こんどみんなで来よう~♪

そんなことをつぶやきながら、ゆっくりと歩いていきました。



【晴明神社入口の五榜星の描かれた旗】     【寺門前小路】

晩年を御嶽の麓で過ごしたとされる平安時代の陰陽師「安倍晴明」所縁の神社もありました。

江戸時代以前は殿様の住まいのあった場所は武田信玄所縁のお寺になっています。

そこへ通じる道は、 「門前町小路」と呼ばれる蔵のなまこ壁が美しい昔ながらの小路でした。

ちょんまげの町人が飛び出してきても不思議に思えないような空間です。

そんな事を思いながらきょろきょろと歩いていると

下校途中のランドセルを背負った小学生たちが

「こんにちは~!」と大きな声で挨拶をしてくれました。

そう言えば、山の方に向かって歩く子供たちは

ランドセルに「熊よけ鈴」をちり~んちりんと鳴らしながら駆けて行っていました。

町の子たちは、観光客に出会うけど

山の子たちは、熊に出逢うこともあるかもしれないんですね。

 
【うえんだパーク水場】

馬宿のあったとされる小路をいくと、小さな休憩所がありました。

木曽馬の産地であった開田村から馬を連れてこのやってくる人も多かったことでしょう。
往路は休憩のために、帰路では馬を売ったお祝いに立ち寄ったのではないでしょうか。

屋根の掛けられたベンチも設置されています。

ちょっとここで一休み。

ほんのり色づいた木々が秋を感じさせてくれました。

旅先でひとりこうして歩くことがとても好きです。

写真を撮っている間、人を待たせることもなく

好きなようにぶらり旅。

さてこの辺で、食事の前に温泉に浸かろうと待っている

母と叔母の待つ宿に戻ることにいたしましょう。

続きはまた次回にて~




木曽 福島宿の地図は こちらをクリック → 福島宿ぶらりまっぷ






秋の空の下 雲は流れ そして輝く・・・

2012-10-05 | 四季折々のひとりごと


女心と秋の空・・・

そんな言葉があるけれど

台風が去った後は 清々しい秋晴れ続き

それでも 秋の空は 毎日違った顔を見せてくれる



白菊の上に広がるうろこ雲



コスモスをそよがせる風のような雲



黄金色に輝く 夕焼雲



そして 昨日の夕暮れの雲

ユーミンの歌のフレーズが頭をよぎる


♪~金色の夕映え讃えるように色づく木々

今日の日はゆっくり
燃え尽きる 知らぬまに
離れゆく時へと 少しずつ~♪




まだちょっと早いかもしれないけれど

紅葉に逢いに 遠出してきます

帰ったら またご報告いたしますね





あの花 どの花 彼岸花 ~お月見団子はサツマイモ~

2012-10-01 | 四季折々のひとりごと
~夕日射し 燃ゆる想いの 彼岸花~



台風17号が日本を縦断し あちこちで被害をもたらしたようです。

被害に遭われた方々には お見舞い申し上げます。

皆さんのところはいかがでしたか?

こちらは 南に連なる山の向こうに上陸とのことでしたが

雨も風も激しくなることなく 過ぎ去ってくれ ホッとしているところです。



うちの近くの竹藪脇に 今年も真っ赤な彼岸花が咲きました。

毎年お彼岸の頃に咲くから彼岸花・・・




「家が火事になるから 彼岸花を持って帰ってはいけません。」

「毒があるから 触ってはいけません。」


子供の頃 祖母や母がよく口にしていました。



昔は田んぼの畔や土葬のお墓に植えられた花でした。

それは モグラやイノシシに掘り起こされたりしないためだったそうです。

そんな獣除けのはずの花を持ち帰っては 折角植えてある意味がなくなるから

真っ赤に燃える炎のように見えるところから

そんな謂れを作って 彼岸花が無くなってしまうのを予防していたのかもしれませんね。



そうした理由からか 別名もちょっと気味の悪いものが多いこの彼岸花。

毒があることで知られている彼岸花ですが 実は灰汁抜きをすると

食用にもなるのだそうです。

毒があることで 年貢の対象からはずされたことから

非常食として田んぼの周りに植えたのだという説もあると聞きました。

飢饉のためにわずかしか採れなかった作物でさえ 年貢だけはしっかりと

徴収された時代に 食料になるのに年貢の対象から外されたものというのは

とても貴重な存在だったことでしょう。

人々の暮らしに密着していた彼岸花・

それが証拠に 各地に残る別名の多さに驚かされます。

いったい 幾つぐらいあると思われますか?

彼岸花の別名

どうです? 数の多さに びっくりされたでしょう?

お墓に植えられることも多かったからでしょうか

ちょっと怖い名前も多くみられます。

この花を庭に植える人も増えてきたのは 山口百恵さんの「曼珠沙華」がヒットしてからなのだそうです。



曼珠沙華

作詞:阿木燿子
作曲:宇崎竜童

涙にならない悲しみのある事を
知ったのは ついこの頃
形にならない幸福が何故かしら
重いのも そうこの頃
あなたへの手紙
最後の一行 思いつかない
どこでけじめをつけましょ
窓辺の花が咲いた時
はかなく花が散った時
いいえ あなたに愛された時

曼珠沙華 恋する女は
 罪作り
曼珠沙華 白い花さえ 真紅に染める

この歌が発売されたときの百恵さんは 19歳だったそうです。







***** 追記 ******

昨晩は 満月の十五夜でした。

台風のせいで 残念ながら中秋の名月を眺めることが出来なかったので

黄色の丸いお団子をサツマイモで作ってみました。



ジャガイモ餅を作る要領で 片栗粉、お砂糖と牛乳 塩少々を混ぜて練り

満月を思いながらまあるく丸め

蒸し器で蒸しました。

お月見団子の代わりの サツマイモ団子です。

ススキに庭の菊 林檎と梨 初物の里芋 小さなカボチャをお供えしました。

このままでも食べられますが ちょっと焼いてみたらし団子のタレを

絡めて食べたら美味しかったです。



今夜は晴れそう・・・

一日遅れの十六夜 いざよいの月を楽しむことにいたしましょう。