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僕の実家は自転車屋です。
僕が小学生6年生の1月15日にオープンした。あの日は雨だった☔️
それから10年後、大学生の僕は、
「実家を継がない」ことを決めた。
当日大学生の僕に深い考えがあったわけではないけど、まだ40歳代で、尖りまっくていた父と一緒に仕事をするイメージがわかなかった。
だけど、どこが父への憧れがあったのか、商売をしてみたくて、ラーメン屋に就職した。
どうとんぼり神座の味を山口県に持って帰るという夢を抱いて。
ところが、
5年後、結婚を機に、ラーメン屋を辞め、長崎に行き、妻の実家の保険屋を継ぐことにした。
この時気付いたのは、僕はラーメン屋をやりたかったのではなく、
商売をしたかった。
そして、社長というものになってみたかった。
あれから18年、未だに社長の座は遠い。
そして、最近気付いたこと・・・
ラーメン屋になりたかったわけでも、
商売をしたかったわけでも、
社長になりたかったわけでもない、
【阿野友範】になりたかった
ということだった。
【阿野友範】になる手段が、
大学であったり、
ラーメン屋であったり、
保険屋であったり、
役職であったり、
最近ではSNSであったり。
全てが、
パズル【理想の阿野友範】のピース。
今日もピースを埋めに行ってきます(^^)
自転車屋の息子としてのピースが見れます↓
30年ぶりのパンク修理ですが、
なかなかの手際でしょ?
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69年、自分を生きてる父。
そんな父とスタバで仕事の話を聞かせてもらえるのが、最高の幸せです。