「全盲の僕が弁護士になった理由」大胡田誠氏
12歳で両目の視力を失われた大胡田さん。
視力が完全に失われる瞬間の恐怖から、超難関資格の司法試験に合格し、結婚そしてお子様を授かるという半生が書かれています。
本書の一節より
「障がいを持ちながらこの社会を生きていくことは、決して楽なことではない。多くの人にとって当たり前のことが、僕には当たり前ではない。視覚障がい者に対する無理解に悔しい思いをしたり、隠然たる差別を感じたりすることもあった。だからその分、社会の中で弱い立場に置かれている人の気持ちを、ぼっくは敏感に察することができる。恐らく教えられて身につく感覚ではない。弁護士という仕事をする上で、これは何ものにも変え難い財産になっている」
青木社長の言われる「問題が問題ではない。問題に対する捉え方が問題なのである」という格言を思い出す。
どんな状況であれ、考え方次第で人生が変わる。
プラス思考とかポジティブシンキングと言われるが、その究極がこの領域なのだと思う。
この思考を手に入れることが人生の目的のひとつと言っても過言ではないでしょう。
弁護士の仕事といえば、争いごとに対し、依頼者の主張が通るように資料を揃え、答弁することだと考えていたが、この大胡田さんは、違う。
依頼者の痛みに寄り添うことで、少しでも重石を軽くしてあげて、もう一度前をむけるようにすることだとされている。深い孤独や絶望の中にいる人のところへ、真っ先に駆けつける弁護士でありたいと。
もうひとつ。親のかかわり。
障がいを持ったお子さんとどう関わるか?
ご両親は、特別扱いしないという特別扱いに徹したという。
これって、頭でイメージはできても、なかなか実行できることではないと思う。
ご両親は、そうとうの苦労と、我慢と、涙をこらえて大胡田さんと向き合われて来たのだろう。実は、大胡田さんの弟さんも目が見えない状態です。
母の一言
「人生で迷った時には、○○と思うほうを選びなさい」と。
○○に何を入れるか?
厳しい、相手のためになる、遠回り・・・
母は、こう言った
「人生で迷った時には、心が温かいと思うほうを選びなさい」
損か得かとか、人からどう見られるかではなく、自分の心が何を本当に欲しているのか、答えはそこにしかないと教えた。
このモノサシは私にはなかったので、これからの人生で気に掛けてみようと思う。
ハンディを乗り越えて生きていくために重要なのは、「助けられ上手」になることだ。1人で何でもできる力を身につけるよりも、周りの人に「力を貸してやろう」と思ってもらえるような自分になろう。
ここは自分には足りない部分なんですよね。
自分の人生は自分で切り開かなきゃという思いが強くて・・・
これも、私の人生の目的のひとつかな。
大胡田さんの生き方を見ていると、一切の言い訳は通用しないことを思い知らされます。