私は、物心が付いたときから、自分のおとなしすぎる内向的な性格が嫌で、何とか変えたいと思ってきた。
高校の頃、主に新書本であるが、宮城音弥氏の「性格」「精神分析」、池見酉次郎氏の「心療内科」、相場均「性格」などを読んできた。
法律を学ぶように親に勧められて法学部に入ったものの、気持ちとしては、政治思想史などの思想系に興味がわいた。とりわけ、ルソーには興味を持って、全集の半分ぐらいは、図書館で読んだ。
性格を変えたいという思いは、大学に入っても変わらず、英語の勉強もかねて、度胸をつけようとESSに入門したが、二兎追うものは一兎をも得ずの譬えのようにうまくいかなかった。
哲学、とりわけカントには親和性を感じたが、よい先生に出会わなかった。カントの理解は、我流である。
カントは、科学史で言うと、ニュートンのような存在である。
物理学の世界が、力学から電磁気学へとつながっているように、哲学も、系譜があって、前のものを知らないと分からないこともある。ただ、物理学が、相対性理論から量子理論へ広がったのとは、別な仕組みで、思弁的なヨーロッパの大陸系哲学と経験主義的な英米哲学に分かれた。これは、広がりのようにも見えるが、ローティーがいうように「分裂」なのだろうと私も思う。
経済学を学ぶと、経済現象を説明できるようになるが、そのことと、金儲けには結びつかないように、心理学も、説明を与えることにより、心的平衡が得られるようになるが、そのことにより、性格が変わるわけでもない。
しかし、考える材料や見方が増えることで、心的世界は、豊かになる。
また、試行錯誤を重ねていけば、実践への道も見えてくるかもしれない。
そういう希望が見えることが、すでに人生において役立っているのだろう。