先週の日経新聞「読書欄」のコラムに、斉藤環先生が、中井久夫先生の書物を取り上げていた。その中に、中井久夫「『昭和』を送る」、みすず書房、2013年の紹介があった。
タイトルになっているエッセイ「『昭和』を送る」の初出は、1989年であり、ながらく一般の読者が目にすることができなかった。
あとがきなどで、エッセイ集への収載が遅れた理由が述べられている。
中井久夫の「昭和天皇論」の体裁を取っているが、一般性のある「『君側の奸』コンプレックス」なる概念を提唱していたりして、興味深い。
ただ、天皇・皇太子・皇族のセットで、うまく機能するようになっている日本の天皇制度だとすると、将来に若干の不安も感じる。
このエッセイに登場する症例には、自我以前の心的外傷に関するものが取り上げられており、いろいろと考えさせられた。
個人の神経症の問題にしても、家族の問題にしても、地域の問題にしても、日本の問題にしても、その解決を時間にゆだねざるを得ないこともあり、
早く問題を解決したいと思いながら、そのまま、解決に向けて生きていく生活を続けて行かざるを得ない事柄は多く存在する。
東北大震災から、2年余。未だ復興のめどが立たない一端には、住民の意思統一がとれないこともあるのだと、NHKのドキュメンタリー番組は
伝えていた。
問題の解決が困難なときは、とりあえず、気にはしつつも、それを抱えながら生活していくことしか方策がないのかもしれない。