技術的なことが書かれた書物は、書かれているようにやろうと思っても、事実上出来なかったり、逆に過剰になってしまったりするものだ。
なので、技術的な言及に対しては、それが自分に合うかどうかを見極め、その適用に当たっては、慎重に取り扱われるべきなのであろう。
できれば、練習ができるほどよい場があると、よりいっそう洗練されると思われる。
「忘れる・忘れられない・忘れてしまう」は、ある意味で、つまり、たとえば、フロイトなどの知見を借りれば、抑圧という防衛機制とのせめぎ合いということになろう。
理性化により、それらを客観視できるようになったとしても、無意識レベルでは、ひょっとすると生きているかもしれないのだ。
それは、ともかく、いろんなことに対して、気づいているということが、様々な人間関係で役立つのだろうと期待される。