放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

便利な電子ブック「涼宮ハルヒの憂鬱5」を読む

2013年12月18日 | 臨床心理学

伊藤 ゆう「天使のdéjà vu」 講談社、1993年は、どうも絶版のようなので、今は、読むことが出来ません。

「涼宮ハルヒの憂鬱5」が電子書籍にありましたので、読んでみました。 キーワードは、「既視感」と「ループ」です。


「ループ」する感覚というのは、わかりにくいのですが、今の若い人たちには、そういう感覚に共感するものたちも出てきたと、川部哲也先生はおっしゃっていました。

この作品から受ける印象は、安部公房チックな感じもしなくはないのですが、70年代の時代精神における位置づけとは、現代では、かなり乖離があるので、読んでも懐かしい感じはしないのだろうと思います。

映画「マトリクス」(The Matrix)の話も出ていて、これは、劇場公開されたとき見ていたのですが、アクション映画と勘違いしていたこともあって、がっかりした記憶がよみがえってしまいました。しかし、空間がコンピュータによって閉鎖されている事態を描いた映画だと聞いて、そういえば、なるほどという思いがしました。

この「マトリクス」に対する評価は、話題にはなったけれど、誤解に基づいた批評も見られた。たとえば、そんなところに、漂っていないで、みんなで脱出するなりできひんの?といったイライラ感などを表明する人もいたように記憶しています。

 

時代は、「回る」時代から、「無限ループ」の世界に移りつつあるのかもしれないですね。

たとえば、就活がうまくいかなくて、派遣社員として、工場に赴いたとしよう。技術がないから、コンピュータによって管理されることになる。昔だと、人間がいて、「この部品は、あそこの棚の2段目にあるので、探してきなさい。」とか会話があるのだが、部品がなくなると、コンピュータが、部品調達カートのスイッチを入れよという指示を出すので、そばにあるそのスイッチを押すと、「D-4」という文字がディスプレイに表示され、矢印が、ピコピコと点滅し始める。その矢印の方向に沿ったラインに沿うように進むと、方向転換のアラームが鳴って、倉庫の方へと矢印の点滅が変わる。機械に指示されながら、倉庫の棚に着くと、カートと棚のセンサーが交信して、その部品のあるボックスのLEDが点滅する。手に取れるところのものは、箱が開いたら、ディスプレイに表示された個数をとるまで、カウントされ、終わると知らせてくれる。次の棚に行くように、ディスプレイに表示される。標準原価計算に基づく数量の製品を作るために定められた、標準移動速度より遅かったときは、今回の部品の運搬の出来具合は、CC評価になり、それは、コンピュータに記録される。次回も同じC評価だと、コンピュータは、解雇要因リストに自動的にピックアップしデータ化する。

連続C評価がたたり、それを見た人事課の人が、解雇してしまうと、次の職場に派遣されるのだが、今度は、バウムクーヘンの材料を運ぶ係だとしても、すべて、コンピュータに命令されて働くことになる。

 

そのとき、人は、既視感を体験するかもしれない。ループという世界に入ってしまうと、それが、普通の体験として認識するようになってしまうのかもしれないですし。

先日、ウェラブルコンピュータの話題をNHK「クローズアップ現代」でやっていたが、そういう時代が来ているのだろうと思うひとも多いかもしれません。

 

中島みゆきが「回る 回るよ 時代は回る」と謳ったときは、そこには、また、よいときも来るからねというメッセージがあったように思うのは、私だけでしょうか。

 

「ループ」は、そこから逃れられない。「ループから逃れようとする」ものには、ループから排斥されるのである。