今は、介護の端緒についたばかりだが、介護施設から何かあると電話がかかってくるようになって、大阪から京都へ駆けつけることが多くなった。昨年度は、そのために、面接授業(臨床心理学と、その他科目)に行けなかった。日本で、間主観的アプローチについて、まとまった研究をされた精神分析家の著書をベースにしたもので、大変興味深かったが、悔いが残る。
今後は、認知行動療法が、心理療法の主流となり、精神分析や分析心理学は、おそらく、20世紀の遺産として語り継がれていくのかも知れない。あるいは、認知行動療法では、どうしても対応できないケースを精神分析家などが引き受けることになるのだろうか。
被介護者は、身体的生活水準(adl)に主眼が置かれるが、心身一如の観点から見ると、個としての被介護者は、心理的な悩みを抱えているように見えることが多い。
それは、認知症のような精神症状を患っていない「健康な」老人でも見られることだと思われる。
こういう状況は、私が若い頃には、おそらくまれだっただろうし、親戚などを見渡しても存在しなかった。
みんな、70才を過ぎると、何らかの病気等でなくなっていった。80才だと、めでたいかのような取扱で、葬儀も心なしか明るかった。
80才を超えるひとが増えてきたことによって、たいそうな病気でも、入院すると治ってしまうために、体は不自由だけれど、生きている人が増えた。
介護する側も、長期の予定が組めなくなってくる。高齢者は、転倒や免疫低下による感染症罹患などのリスクが高く、介護施設に入居できても、その施設で完結した対応が不可能なためである。
ひとつは、医療と介護の分離により、介護現場には、医学知識や経験を持ったひとが少ないため、脳梗塞などの発見が遅れたりする。
病院だと、看護師が毎日接しているし、医師も診察に来るので、異変には対応しやすいが、介護現場は、そうではない。
そのことが、急変という形で現れたりもする。
介護者は、そのたびに駆けつけざるを得なくなる。
地獄の始まりである。