パワースポットには、ある意味で、たとえば、放射性物質を含有するなど、何らかの科学的に分別できるところと、心理的な、ユング的に言えば、集合的無意識により「本来的」に知りうるかもしれないところがあるとしよう。
神社仏閣は、特に後者の意味においてパワースポットであることが多いとされる。通常の世界(世間)では、意識を主体とした生活をしているが、パワースポツトは、太古から連綿とつづく、たとえば、日本人としてのアイデンティティと向き合えるような場所にある。由岐神社も、そういう意味でのパワースポットである。私は、俗物なので、神様に祈ると言っても、現世利益をもとめるようなことしかしないのだが、それでも、何かいいことがありそうに思えてくるから不思議である。
ただ、最近は、宗教者や、それに付随する業務に従事する人に、神様とのご縁にかかわる仕事をしているという態度の方が少ないように思えて残念である。たとえば、世襲制で、儀式の作法を学べば、免状が降りるとか言ったことがあるが、それでは、現実世界で苦悩する我々と向き合えないかもしれない。
昔の初穂料は、それぞれの事情(収入の過多だとか、その家の格だとか、個人的なこと)により、出せる金額をだすという、所得税制における累進課税制度のような仕組みが存在したように思われる。
それを、一律に決めてしまうと言うのは、神様から遠ざかることであろうと思われるのである。
宗教者には、布教という使命があるのだから、一般の労働者でない態度を見せて欲しいものである。
鞍馬寺の境内にある由岐神社。