他にも寄る予定をしていたため前日の夜には、いつもより丁寧にお風呂に入り、身を清めた。本日、8時過ぎに起きて、朝食を取り、10時前に家を出た。最初の計画では、イオンの駐車場に車を止めて、京都駅からタクシーで知恩院に行こうと考えていたのだが、道路の掲示板によると、山ジャンクションから渋滞していると出ているけれど、思ったほど、車の混みようが少ないので、知恩院周辺に停めることにして、直行した。
阪神高速京都線に鴨川東出入口が出来てから、九条通りから東大路通りに抜けやすくなった。
ただ、3連休の初日なので、観光客も多く、四条通まで混雑していた。
東山三条近くのコインパーキングが空いていたので、そこから知恩院をめざした。
東山通りを東に入ると、「京都地検の女」のロケで有名な古川町商店街が左手にあったので、帰りに探訪してみようと思った。
白川沿いの道は、柳の緑に映え、なかなか風情のある場所である。
古い方の知恩院の門から山手をめざすと、知恩院の山門が見えてくる。
昔は、その前の観光バスの駐車場に車を止められたが、いつの間にか、観光バスのみとなった。
まだまだ暑いが、行楽日和でもあり、観光客の姿も多い。
今は、御影堂が修繕工事で使えないため、法要なども法然上人御堂で行われる。
二人分の回向料を支払って、日中法要が終わるのを待った。
2~30分待ったあと、始まったが、それまでの法要における何人ものお坊さんによる読経は、独特のハーモニーがあり、ありがたい気分にさせられる。
玄侑宗久の「アミターバ」のことなど思い出しながら、阿弥陀仏信仰の世界も、言語で世界を創作しているという点で、面倒なところもあるのだが、こういうあり方もよいのだろうなどと考えていた。
歴史的には、「浄土教」の布教師たちは、地獄絵を見せながら、畏怖の念を抱かせ、信仰を強制しようとしていたのを法然が、地獄の世界をおもての世界から放逐し、「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで往生できるという思想を流布させ、それによって救われたものも多いのだろうと思う。
しかし、死んでからの地獄も問題なのだが、死ぬ前の現世での地獄に関しては、宗教は、本来的に無力なはずだ。個別具体的な活動はあるにせよ、坊主たちが、我が身を犠牲にしてまで、他者を救えるかというと、あるだろうけれど、全員がそうかというと、なかなか困難だと考えられる。
この世の地獄を天国に変える秘法は、まだ、ないし、将来もおそらくないのだろうと思う。
たとえば、今回の回向は、位置づけとして、先祖供養であって、現世に生きる我々とは、直接的には無縁である。本当は、おばあちゃんも、この回向料の1万円(二世帯分)を、このような回向のようなものに使わずに、何かうまいものでもくったらどうかと草葉の陰から願っているのだと、私は、思っている。ただ、確認のしようがないから、お参りをするわけだが、そのあたりを、たとえば、坊主が、教えてくれるとかしてくだされば、すごく納得がいくと思う。このあたりの理論は、そうそう見当たらない。
すべての坊主が、先祖霊に憑依して、いたこのように口寄せできなくてもよいから、誰か具体的に知らせてくれる人はいないのだろうか。
そういうシステムをたとえば、知恩院は持ち合わせていないので、新興宗教のように、超能力を持った教祖様を信じてしまうひとが多いのではないかと考えたりする。
そんな不思議なことは、非科学的であり得ないという反論はあるだろうえが、よしもとばななも、そういうのはあるのだというように、やはりあるのだと思う。
元良勇次郎の弟子である福来友吉は、一種の超常現象の解明に失敗したが、そもそも「偶然性」(シンクロニシティ)の概念なしに、実験をしたのであるから、まあ、仕方がないことだと言えよう。
統計学では、確率論的に、「たまたま起こった事象」を根拠のないものとして切り捨てるが、95~97.5%ぐらいあり得なくて、2.5~5%ぐらいならあり得る事象は、はたして、なんなのだろうか。まったく意味のないことなのだろうか。
つらつらと、そのようなことを考えながら、千姫のお墓と、濡髪神社を参拝し、下山した。ちなみに、もらい忘れていた御朱印をもらった。
そして、行きしなに見た古川町商店街の食道で、おばんさい弁当(750円)を食べた。
お店の名前は、覚えていないのだが、ひじきの炊いたのと、干し大根の炊いたのと、あんかけ豆腐とサンマの蒲焼きが入っていた。
値段の割には、リーズナブルで、愛想のよい女将さんがいて、よかったです。でも、ちょっと観光客を意識しているなあという印象もある。
また、寄ってみたいお店だ。でも、たぶん、昔は、揚げ物屋さんか何かではなかったのではないかと、メニューと店構えから想像される。
帰りの道は、混雑しており、どうも五条坂下あたりで、交通事故があったみたいで、しばらく車が動かなかった。消防車両や警察官も出動していた。