放送大学で、学んでいます

大学を出ているので、編入で全科生になりました。心理学を中心に学びまして、今は、再入学により、再び学びを始めました。

再び、北山修。

2016年11月11日 | 精神分析
やや、強迫観念的かもしれないが、たとえば、毎日の仕事を始めるときに、たとえば、ZARDの「負けないで」を聞くことにすると、何となく、うまくスタートできることがあった。
学習心理学などでは、条件付けと考えうるが、その曲調や歌詞が、うまくマッチしないと、そのような効用がなかったことを考えると、たぶん、コンテンツが意味を持つのだと思う。
北山修作詞「戦争を知らない子どもたち」の「戦争」を「人生」に置き換えて、口ずさむと、何となく気分がいいことを経験してから、北山修の歌詞を適当に変えて歌うと、気分がいいことを経験した。
北山先生が、きたやまおさむだと気づくまで、時間がかかった。
心理学、とりわけ、精神分析学やユング心理学などの書物を本屋に行くと、必ず、眺めていたものだが、「ウィニコット」に関する本を手にした時も、最初は気づかなかった。
精神分析の九州学派には、関心があったものの、それは、西園先生であったり、前田先生などの方が連想されて、異質な雰囲気を感じたからかもしれない。
かといっても、慶応学派の小此木先生などとも少し違う感触があった。
後年、一般向けの書物も書かれることになったが、京都市出身である上に、そこが中心部ではない生まれにもよっておられたからかもしれない。
河合隼雄先生も、そうであったが、職業柄、自身の自己開示に慎重にならざるを得ない特殊性があるのかもしれない。
河合先生は、薄く短く、自伝的内容の書物を著されたが、ほんとうに知りたい本質部分は、開示されることなく、この世を去られた。
それらのために、私の人生における布置を投影するかのように、全体が見えないままに、宙ぶらりんである。

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