高次脳機能障害の方のケースを扱っていますと、後遺障害診断書に「ADL(日常生活動作)は自立」と書いてあり、その後に様々な高次脳機能障害の内容が書いてあるものがあります。
このようなケースで訴訟になると、被告(加害者)側は、「ADL(日常生活動作)が自立しているのだから、介護料は不要(又は原告の請求は過大すぎる」というような主張を必ずといっていいほどしてきます。
確かに、語感からすると、「日常生活動作が自立している」という言葉には、普通の日常生活は行えるというように聞こえます。
しかし、医学用語としての「日常生活動作」は、通常の日本語とは異なるものだと理解しなければいけません。
医学書、たとえば、千野直一ほか編集主幹による
”リハビリテーションMOOK9「ADL、IADL、QOL」”
という本によると
ADL(日常生活動作)とは、
”個人が毎日の生活を送る上で基本的に必要な動作の一式”
をいうとしています。
これだけでは、まだ何がいいたいのかよくわからないのですが、その後に、
”「基本的」とは、独居のためではなく、施設や病院などでの生活を表し、独居に必要な動作はIADL(手段的ADL)として扱われる”
というところまで読むと、ADLが指している意味が明らかになってきます。
つまり、ADLというのは「施設や病院などでの生活」を前提とした概念で、実際の日常生活における動作は、含まれていないわけです。
実際の日常生活における動作は、IADL(手段的ADL)という別の概念があるわけです。
このようなケースで訴訟になると、被告(加害者)側は、「ADL(日常生活動作)が自立しているのだから、介護料は不要(又は原告の請求は過大すぎる」というような主張を必ずといっていいほどしてきます。
確かに、語感からすると、「日常生活動作が自立している」という言葉には、普通の日常生活は行えるというように聞こえます。
しかし、医学用語としての「日常生活動作」は、通常の日本語とは異なるものだと理解しなければいけません。
医学書、たとえば、千野直一ほか編集主幹による
”リハビリテーションMOOK9「ADL、IADL、QOL」”
という本によると
ADL(日常生活動作)とは、
”個人が毎日の生活を送る上で基本的に必要な動作の一式”
をいうとしています。
これだけでは、まだ何がいいたいのかよくわからないのですが、その後に、
”「基本的」とは、独居のためではなく、施設や病院などでの生活を表し、独居に必要な動作はIADL(手段的ADL)として扱われる”
というところまで読むと、ADLが指している意味が明らかになってきます。
つまり、ADLというのは「施設や病院などでの生活」を前提とした概念で、実際の日常生活における動作は、含まれていないわけです。
実際の日常生活における動作は、IADL(手段的ADL)という別の概念があるわけです。