工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

わたくし版、JRでスキーに連れていって

2022年02月04日 | 鉄道・鉄道模型
 冬季五輪が「正式に」開幕しました。一昨日から一部の競技の予選が始まっていて、中継を観ておりました。中国については氷の競技はともかく、雪の上はまだまだという印象があります。中国もコロナ禍、国内、国際問題いろいろある中での開幕ですが、選手たちがベストを尽くせるよう祈るばかりです。
 さて、私自身が人並みにできる少ないスポーツがスキーでして、冬のスポーツはそれもあって大好きです。今年、JR東日本がスキーキャンペーンを始めてから30年ということで、主要駅には過去の広告のコピーとCMをイメージしたポスターが各年毎に作られて貼りだされています。それを見ていたら国鉄民営化以降、スキーにはどんな列車で行ってたっけ、ということを思い出しました。それが今回のテーマです。
 JRになってからのスキー、と言いますと、JR発足直後はバブル期でスキー場に向かう人たちも今よりはるかに多かった時代です。あのころスキーヤーがスキー場を目指す場合は、自分(あるいは家族)の車で行く→新幹線で行く→シュプール号などの夜行列車を使う→スキーバスを使うという感じで、それぞれの懐具合で使う交通機関も違いました(これは今も変わらないでしょう)。私は家族で越後湯沢まで行くことが多かったので、上越新幹線のお世話になることが多かったです。200系にE1系MAXといったところがよく使った車輌となります。新幹線は速くて便利なのですが、一つ困ったことがありました。スキーというのはどうしても荷物が多くなるもので、スキー板、バッグなど、たくさんの荷物を効率よく収納したいものですが、新幹線の座席上の荷物棚はそれほど大きくなかったですし、網棚ではなくなっていたことで、スキー板の取り扱いも厄介でした。というのも昔はスキーを入れたカバーにベルトを巻いて、そこにフックをつけたもので網棚にスキーを提げる、といったことがよく行われていたのですが、それができなくなってしまったわけです。E2系あたりから、車端部にスキーなどを入れるコーナーができましたが、東京から越後湯沢までの1時間ちょっとではありましたが、席に座ってスキーの入ったカバーを両手で支えながら過ごしたことも一度や二度ではありませんでした。
 初代MAXのE1系は登場当初はグレーを基調にしていて、あの時代のオフィス家具みたいな色だったことを覚えています。越後湯沢まで、と書きましたが、駅から近い岩原(いわっぱら)や湯沢高原などを愛用していました(これは今も変わりません)。岩原は眺望がすばらしく、湯沢高原は滑る側に手を抜かせないというか、丁寧な滑りを求められる感じがして好きなゲレンデです。山頂から迂回するコースを選び、麓までの約5キロのコースを滑り降りるのも楽しいものです。ガーラ湯沢ができてしばらくして、話のタネに行ってみたことがありましたが、手ぶらで来てすべてレンタルしてそこそこスキーを楽しんで帰れるような感じで、時に不便さも我慢して楽しむというそれまでのスキー場とは違うものを感じました。岩原ではレンタルスキーなどのコーナーや売店が入った建物の一角にアラン・プロストのサイン入り写真と彼のマシン(確かマクラーレン・ポルシェ時代だったと思う)の模型がガラスケースに収められていました。プロストが岩原に来ていたかどうかはともかく、あの時代のひとこまとしてよく覚えています。
 上越だけでなく、たまに山形蔵王というときもありましたが、新幹線ができてからは朝、東京を発てば現地でお昼を食べて午後からスキーができ、帰る日も昼まで滑っても余裕でその日のうちに帰京できるというのは便利になったものだなあと思いました。子供の頃「やまばと」や「つばさ」に乗って山形を目指したときは、宿に着いたら陽も少し傾いて、東京でお昼にやっている番組が夕方放送されているのに驚いたことを覚えています。山形駅から温泉街までの道路事情も改善されているのかもしれません。
 また「長野行き新幹線」ができる前でしたが「あさま」に乗って信越線方面のスキー場に行ったこともありました。赤倉や菅平など、それまで行ったスキー場とは違う雪質と広いコースに感激したものです。菅平には勤め先の同期4人で行ったのですが、在来線の特急で駅弁とお酒をお伴になかなか楽しい道中でした。
 30代にはゲレンデから遠ざかっていた時期もあったのですが、40代以降、またスキー場に足が向くことになりました。昔のようにノルディカの靴にロシニョールの板を自宅から持っていくことはなく、宿で板と靴を借り、慣れないカービングスキーで斜面を攻める(というほどでもないですね)ことになりました。父親と行っていたときはガンガン滑ってご飯食べて、お風呂入っておやすみなさい、という「合宿」スキーでしたし、職場の同期と行った際も上級者ばかりでしたので、体育会なスキーでした。ゲレンデにも麓にも美味しいお店があるのでそういったところで食べる楽しみもありますが、スキーに行く=山に行くという気持ちは忘れずに安全に気をつけて滑っております。コロナでスキーにもしばらく行ってませんし、豚児がもう少し大きくなったら雪遊びからデビューさせたい、と思うのですが、コロナが落ち着いたら旅を楽しみながらまた雪山に、と思っています。
 今回は鉄道というカテゴリで書いていますが、模型の車輌の写真もありません。実は東北、上越系の新幹線はE2系を持っているくらいで、さみしい限りなのです。200系はいろいろお世話になったので、今年あたり買いたいなあ、などと思うのですが。
 列車とスキーの思い出というと、子供の頃の「国鉄でスキーに連れて行って」の方がご紹介できることがたくさんありそうです。それについては181系の「とき」が私の鉄道にいつの日か入線した折にお話ししましょう。
 

 

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