こうしてできたF1マシンはオランダのザントフォールトサーキットでテストが行われました。2025年現在、マックス・フェルスタッペンの人気もあってオランダグランプリが開催されるサーキットですが、コースレイアウトは今とは異なります。
ホンダのマシンはさまざまな部分で重く、12気筒エンジンということもあって他のF1マシンに比べても著しく重くなりました。実に60キログラム以上重かったとも言われており、この重量との戦いは、その後のホンダの参戦でも大きな課題となります。このエンジン、横向きに搭載されたのも特徴でした。通常は(今日でも)エンジンはマシンの前後方向と平行にとりつけますが、この横向きエンジンのレイアウトは本田宗一郎のアイデアだった、という声もあります。
(こちらは実車ではなく、1/20の模型です。模型のことは次回紹介します)
レーシングカーと言うのは本来なら時間をかけて熟成するのが常道でしょうが、ホンダは早速これをレースに持ち込みます。できたからにはレースに出したかった、というのもあるようです。しかも、初戦の舞台がドイツ・ニュルブルクリンクのドイツGPというのは初陣を飾るチーム、ドライバーにとっては過酷なものでした。1周が22キロ余りと、昔のコースには長いところもありましたがこちらはその中でも特に長く、コーナーも多く、バンプもあり、ということで最も難しいコースとの評価でした。ドライバーのロニー・バックナムはレンタカーでコースを習熟します。レース以外に走る際には走行料を払わなくてはならないのですが、ドイツの関係者はホンダにかなり協力的で、最終的には無料パスまで発行してくれました。
それでもバックナムの経験不足については他のドライバーから危惧され、出走させるべきでない、という意見もあったそうです。最終的にはアメリカ人ドライバーの先輩たちが太鼓判を押してくれ、出走がかなうようになりました。
しかし、実際のF1マシンについてはそもそも細かな調整があまりできていないのと、マシンに過酷なサーキットゆえに練習走行、予選もままならず、主催者から特別に練習走行の時間を与えられて、ようやく最後尾グリッドに着くことができました。それでも、ポールタイムから1分(!)離される結果でした。
レースは22キロのコースを15周するもので、予選では上手く走れなかったのが決勝では思わぬ好走を見せ、一時は9位まで順位を上げたバックナムでしたが、結局は12周目でマシンを壊してしまい、ここで最初のレースが終わりました。
初戦は可能性を感じさせつつも、やはりほろ苦いデビューでした。でも、彼らの努力を見ていたのはレース関係者だけではありませんでした。チームが宿泊した宿屋では、夜遅くまでの作業で彼らが食べた夜食代についても、宿屋の女主人は請求しなかったそうで、ホンダ側が払いたい、と言っても「これは私たちからのささやかな賞金と思って」と言われたそうです。
RA271はこの後、イタリア、アメリカの2レースに出場しますが、いずれもリタイアに終わり、このマシンの挑戦はここまでとなりました。イタリアでは高速性能の高さを見せるものの冷却不足に泣かされました。馬力のあるいいエンジンさえ作れれば、後は楽勝、くらいに思っていたエンジニアもいたそうですが、エンジンだけでなく、車体の剛性、冷却、足回りなど、さまざまな要素で優れていないと勝てないのがレーシングカーです。まだ、F1マシンというものをホンダも完全には理解していなかったのでしょう。
実車の話はここまで。次回はRA271の模型の話をしましょう。
コクピット周りのクローズアップです。あちこちに打たれたリベット、独特な形状ののミラーなどに注目
(参考文献 前回までにご紹介したもの以外に 「ひとりぼっちの風雲児 私が敬愛した本田宗一郎との35年」中村良夫著 山海堂)