はじめにお知らせから。先日のブログでご紹介した深夜の待合室の小さなジオラマ、秋葉原YFS様のご厚意で展示させていただいております。お店からは新しい宿題をいただいていますので、いずれお店のSNSページなどでお目にかけることができるかと思います。
さて、予定であれば今週末がF1の日本グランプリだったわけで、ツイッターなどで「エア日本GP」を楽しまれている方も多いようです。私も月曜の出勤の時には日本GPウィークの始まりの「儀式」としてT-SQUAREのTRUTHを聴きながら出勤でしたし、木曜の夜も「これから東京駅に行ってドリーム号乗ってたんだろうなあ」などと妄想しておりました。
F1を現地観戦しているときには、空いた時間は何をしているんですか?と家人から同僚まで、いろいろな方から質問をいただきます。朝から夕方(土曜日には前夜祭もありますね)まで何らかのイベントが現地であって、ホテルのある名古屋に戻る頃には夜になっていることが多いので、ホテルの近くで美味しいものを食べて、お酒飲んで、ホテル戻ってお風呂入っておやすみなさい、ということになります。初めて鈴鹿でF1を観た1990年代後半には、珍しさもあって名古屋の地元の料理を食べに行くこともありました。近年では名古屋駅の再開発に合わせて東京のお店も随分と入ってくるようになりましたし、何といっても大都市ですから、世界各国の料理が食べられるお店もあります。私もそんなさまざまな味を楽しむわけですが、食後に喫茶店に入ったり、あるいはホテルの自室で眠るまでの時間のお伴が読書だったりということもあります。この時に持っていく本ですが、スポーツや自動車もののエッセイだったり、比較的軽めのものが多かったのですが、どうも昼にとてつもない速さのマシンを観て、さらにマシンの轟音を聴いた後では、こういったエッセイも何か物足りない感じがありました。
あれは10年以上前、もしかしたら富士スピードウェイでF1を開催していた時だったかもしれません。この時も夕食の後で、ホテルの自室で読書をしましたが、偶然に小林秀雄の「モオツァルト・無常という事」(新潮文庫)を久々に読んでみようと思い、荷物に入れておりました。「無常という事」は、高校の教科書で読まれた方もいらっしゃるでしょう。静かな部屋で読みだしたら、いつも以上に文章が私の中に吸い込まれていくようです。昼間あれだけ動的でカラフルなエネルギーの塊を目で見て、耳で感じた後には、どうやら同じくらいの熱量を持った文章を読み、頭で考え、吸収するエネルギーが満ちているようでした。F1と知の巨人という意外な組み合わせは私にとっては久々に頭で感じ、深く考えさせるきっかけを与えてくれたのかもしれません。小林秀雄を論じるなどというのは畏れ多くてできないことですが、表面だけをなぞって分かったつもりで読んでいると後でしっぺ返しを食らう、いつもそんな感じを持ちながら読んでおります。もしかするとあのグランプリの予選の後で読んだ「無常という事」もまだ「分かったつもり」なのかもしれませんが・・・。
あれ以来、グランプリのお伴には少々難しい本を連れていくことが習慣となりました。最近ではホテルでこのブログを書いたりしますので、本に目が向かない時間もありますが、これからもそんな私流の観戦が続けばいいなと思っています。
それから、グランプリの週末でこんな楽しみ方もしていました。日本GPの週末は「体育の日」の前日の日曜に決勝が行われることが多く、日曜は名古屋で過ごして、帰京を翌日にということもよくありました。名古屋に欧州料理のお店があり、欧州各国のビールが飲めることを売りにしておりまして(日本のビールもあります)、私も毎年のように通っています。決勝の後でそのお店に行き、表彰台に立ったドライバー、あるいはチームにゆかりのある国のビールをいただく、ということをよくしていました。あれは2012(平成24)年のこと、小林可夢偉が3位表彰台という日本にとって久々の嬉しい決勝となりました。その日の夜はスーパードライに始まり、二位のマッサの乗るフェラーリに因んでイタリア、さらに優勝したベッテルに因んでドイツと各国のビールを楽しんだのでありました。来年あたりホンダつながりで日本のビールが決勝の後で飲めたらなあ。
さて、予定であれば今週末がF1の日本グランプリだったわけで、ツイッターなどで「エア日本GP」を楽しまれている方も多いようです。私も月曜の出勤の時には日本GPウィークの始まりの「儀式」としてT-SQUAREのTRUTHを聴きながら出勤でしたし、木曜の夜も「これから東京駅に行ってドリーム号乗ってたんだろうなあ」などと妄想しておりました。
F1を現地観戦しているときには、空いた時間は何をしているんですか?と家人から同僚まで、いろいろな方から質問をいただきます。朝から夕方(土曜日には前夜祭もありますね)まで何らかのイベントが現地であって、ホテルのある名古屋に戻る頃には夜になっていることが多いので、ホテルの近くで美味しいものを食べて、お酒飲んで、ホテル戻ってお風呂入っておやすみなさい、ということになります。初めて鈴鹿でF1を観た1990年代後半には、珍しさもあって名古屋の地元の料理を食べに行くこともありました。近年では名古屋駅の再開発に合わせて東京のお店も随分と入ってくるようになりましたし、何といっても大都市ですから、世界各国の料理が食べられるお店もあります。私もそんなさまざまな味を楽しむわけですが、食後に喫茶店に入ったり、あるいはホテルの自室で眠るまでの時間のお伴が読書だったりということもあります。この時に持っていく本ですが、スポーツや自動車もののエッセイだったり、比較的軽めのものが多かったのですが、どうも昼にとてつもない速さのマシンを観て、さらにマシンの轟音を聴いた後では、こういったエッセイも何か物足りない感じがありました。
あれは10年以上前、もしかしたら富士スピードウェイでF1を開催していた時だったかもしれません。この時も夕食の後で、ホテルの自室で読書をしましたが、偶然に小林秀雄の「モオツァルト・無常という事」(新潮文庫)を久々に読んでみようと思い、荷物に入れておりました。「無常という事」は、高校の教科書で読まれた方もいらっしゃるでしょう。静かな部屋で読みだしたら、いつも以上に文章が私の中に吸い込まれていくようです。昼間あれだけ動的でカラフルなエネルギーの塊を目で見て、耳で感じた後には、どうやら同じくらいの熱量を持った文章を読み、頭で考え、吸収するエネルギーが満ちているようでした。F1と知の巨人という意外な組み合わせは私にとっては久々に頭で感じ、深く考えさせるきっかけを与えてくれたのかもしれません。小林秀雄を論じるなどというのは畏れ多くてできないことですが、表面だけをなぞって分かったつもりで読んでいると後でしっぺ返しを食らう、いつもそんな感じを持ちながら読んでおります。もしかするとあのグランプリの予選の後で読んだ「無常という事」もまだ「分かったつもり」なのかもしれませんが・・・。
あれ以来、グランプリのお伴には少々難しい本を連れていくことが習慣となりました。最近ではホテルでこのブログを書いたりしますので、本に目が向かない時間もありますが、これからもそんな私流の観戦が続けばいいなと思っています。
それから、グランプリの週末でこんな楽しみ方もしていました。日本GPの週末は「体育の日」の前日の日曜に決勝が行われることが多く、日曜は名古屋で過ごして、帰京を翌日にということもよくありました。名古屋に欧州料理のお店があり、欧州各国のビールが飲めることを売りにしておりまして(日本のビールもあります)、私も毎年のように通っています。決勝の後でそのお店に行き、表彰台に立ったドライバー、あるいはチームにゆかりのある国のビールをいただく、ということをよくしていました。あれは2012(平成24)年のこと、小林可夢偉が3位表彰台という日本にとって久々の嬉しい決勝となりました。その日の夜はスーパードライに始まり、二位のマッサの乗るフェラーリに因んでイタリア、さらに優勝したベッテルに因んでドイツと各国のビールを楽しんだのでありました。来年あたりホンダつながりで日本のビールが決勝の後で飲めたらなあ。