工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

グランプリの週末

2020年10月10日 | 自動車、モータースポーツ
 はじめにお知らせから。先日のブログでご紹介した深夜の待合室の小さなジオラマ、秋葉原YFS様のご厚意で展示させていただいております。お店からは新しい宿題をいただいていますので、いずれお店のSNSページなどでお目にかけることができるかと思います。
 
 さて、予定であれば今週末がF1の日本グランプリだったわけで、ツイッターなどで「エア日本GP」を楽しまれている方も多いようです。私も月曜の出勤の時には日本GPウィークの始まりの「儀式」としてT-SQUAREのTRUTHを聴きながら出勤でしたし、木曜の夜も「これから東京駅に行ってドリーム号乗ってたんだろうなあ」などと妄想しておりました。
 F1を現地観戦しているときには、空いた時間は何をしているんですか?と家人から同僚まで、いろいろな方から質問をいただきます。朝から夕方(土曜日には前夜祭もありますね)まで何らかのイベントが現地であって、ホテルのある名古屋に戻る頃には夜になっていることが多いので、ホテルの近くで美味しいものを食べて、お酒飲んで、ホテル戻ってお風呂入っておやすみなさい、ということになります。初めて鈴鹿でF1を観た1990年代後半には、珍しさもあって名古屋の地元の料理を食べに行くこともありました。近年では名古屋駅の再開発に合わせて東京のお店も随分と入ってくるようになりましたし、何といっても大都市ですから、世界各国の料理が食べられるお店もあります。私もそんなさまざまな味を楽しむわけですが、食後に喫茶店に入ったり、あるいはホテルの自室で眠るまでの時間のお伴が読書だったりということもあります。この時に持っていく本ですが、スポーツや自動車もののエッセイだったり、比較的軽めのものが多かったのですが、どうも昼にとてつもない速さのマシンを観て、さらにマシンの轟音を聴いた後では、こういったエッセイも何か物足りない感じがありました。
 あれは10年以上前、もしかしたら富士スピードウェイでF1を開催していた時だったかもしれません。この時も夕食の後で、ホテルの自室で読書をしましたが、偶然に小林秀雄の「モオツァルト・無常という事」(新潮文庫)を久々に読んでみようと思い、荷物に入れておりました。「無常という事」は、高校の教科書で読まれた方もいらっしゃるでしょう。静かな部屋で読みだしたら、いつも以上に文章が私の中に吸い込まれていくようです。昼間あれだけ動的でカラフルなエネルギーの塊を目で見て、耳で感じた後には、どうやら同じくらいの熱量を持った文章を読み、頭で考え、吸収するエネルギーが満ちているようでした。F1と知の巨人という意外な組み合わせは私にとっては久々に頭で感じ、深く考えさせるきっかけを与えてくれたのかもしれません。小林秀雄を論じるなどというのは畏れ多くてできないことですが、表面だけをなぞって分かったつもりで読んでいると後でしっぺ返しを食らう、いつもそんな感じを持ちながら読んでおります。もしかするとあのグランプリの予選の後で読んだ「無常という事」もまだ「分かったつもり」なのかもしれませんが・・・。
 あれ以来、グランプリのお伴には少々難しい本を連れていくことが習慣となりました。最近ではホテルでこのブログを書いたりしますので、本に目が向かない時間もありますが、これからもそんな私流の観戦が続けばいいなと思っています。

 それから、グランプリの週末でこんな楽しみ方もしていました。日本GPの週末は「体育の日」の前日の日曜に決勝が行われることが多く、日曜は名古屋で過ごして、帰京を翌日にということもよくありました。名古屋に欧州料理のお店があり、欧州各国のビールが飲めることを売りにしておりまして(日本のビールもあります)、私も毎年のように通っています。決勝の後でそのお店に行き、表彰台に立ったドライバー、あるいはチームにゆかりのある国のビールをいただく、ということをよくしていました。あれは2012(平成24)年のこと、小林可夢偉が3位表彰台という日本にとって久々の嬉しい決勝となりました。その日の夜はスーパードライに始まり、二位のマッサの乗るフェラーリに因んでイタリア、さらに優勝したベッテルに因んでドイツと各国のビールを楽しんだのでありました。来年あたりホンダつながりで日本のビールが決勝の後で飲めたらなあ。

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定番でどうでしょう!?

2020年10月06日 | 飛行機・飛行機の模型
 月刊誌モデルアートの最新号(11月号)では、1/72飛行機キットの「定番」商品に再注目するという特集を組んでいます。この定番商品というのは模型屋さんに行けば必ず棚の上にあって、いつでも手に入る(しかも比較的安価)という位置づけでして、表紙にも「作るものに迷ったときは昔からあるキットを」とあるように、比較的ロングセラーの商品も含まれます。
 私自身、飛行機のキットは1/72を主に楽しんできたところがありますので、この特集に掲載されているハセガワ、タミヤの零戦、ハセガワのF104のシリーズなどは随分とお世話になりました。
 私がこうした「定番キット」を組みたくなるのは、凝ったものや時間のかかる大物を作った後で、手軽に「完成させる楽しみ」を味わいたいなあという時や、何かを作ったけど失敗してしまい、作り慣れたもので「リハビリ」したいという時が多いです。もちろん、こういった定番キットを使って作りこんでみよう、ということもあります。
 私にとっての「定番キット」ですが、フジミのF86Fが一番ふさわしいかったと思います。過去形で書いたのは残念ながら現在は販売休止中のようで「定番」ではなくなっているからです。発売から30年以上は経っていますが、それでも発売時はこのスケールの決定版として歓迎されました。デカール替えや米軍仕様など、バリエーションも多いのですが、もともと発売された当初は航空自衛隊の代表的な部隊のマーキングが多数セットされていまして、長らく模型屋さんで見かけました。
 F86Fのシンプルな姿はキットでも組みやすくできており、さすがに「寄る年波」もあるのですが、それでも丁寧にバリを取ったりして作っていけば昔のジェット機らしい姿をした日の丸セイバーが出来上がります。基本の塗装は銀一色ですし、コーションデータも今どきの機体に比べたらはるかに少なくて済むため、ストレートに作れば「なかなか仕上げが終わらないなあ」ということは無いと思います。銀色塗装なら缶スプレー(私はGM鉄道カラーの銀色を愛用しています)でもできるという手軽さもあります。何色もの迷彩があったり、F15のようにエンジンノズルを作るだけで一仕事、塗装が終わってからデカールを貼るのも途中でお腹いっぱい、というキットとは対極です。
 モデルアート誌の特集に絡めて書きますと、私もF104Jはすべての飛行隊のマーキングを揃えるほど好きで、そういう意味では定番キットで遊び倒した、ということになるでしょう。F104Jについては胴体後部の無塗装部分の仕上げが目立つだけにポイントとなり、少々気軽とは言い難いところもあります。銀塗装が苦手と言う方には機体全面を塗りつぶした迷彩塗装機もありましたので、いろいろな機体を楽しめると思います。
 零戦につきましても、いわゆる「飴色論争」に振り回されたりもしましたが、やはり各型をタミヤ、ハセガワ両方のメーカーで作っています。塗装とマーキングが豊富ですので、キットに入っているもの以外でも楽しめます。また、最近では以前ブログでも紹介しましたハセガワのF16が組みやすさと言う点から、プラッツのT33はマーキングの豊富さや塗装のしやすさ、もちろんキットの組みやすさからも私の「定番」になりつつあります。
 これらの定番キット、長年にわたって作っていますので、今の自分の技量を知るバロメーターにもなります。飛行機に限らず、他のジャンルのキットに関しても、モデラーの皆様の中には「定番キット」があのではと思います。涼しくなって塗装にも持って来いの季節ですから、こういったキットで気軽に、あるいはどっぷり楽しんでみるのもありですね。

私の「定番」だったフジミのF86F。自衛隊50周年マークはご愛嬌。よく見ると主翼下の増槽のマーキングを忘れています。


銀色のF104Jは塗装を慎重に進めるイメージがあり、なかなか「手軽」というわけにはいかないときがあります。思い入れが強い機体はどうしても時間がかかり(入れ込み過ぎて失敗、ということもあり)ます。
F104についてはイタリア空軍のS型も製作しました。こちらは小さなジオラマ仕立てにしています。人形はプライザー、機体側面に置かれた梯子はプラ材と真鍮線から自作しました。

 

 
 

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ホンダのF1撤退

2020年10月04日 | 自動車、モータースポーツ
 今月はF1日本グランプリが予定されていましたが、コロナ禍の中で中止となりました。それでも毎年このブログではF1ネタの記事を書いているので、今月もいろいろ書きたいことがあったのですが、衝撃のニュースが入ってきました。既に報じられているとおり、ホンダが2021年を以てF1から撤退することが決まりました。私は関係者でもありませんので、撤退の理由や真意についてここでどうこう書くことはしませんし、現場で戦っているスタッフが、やはり一番残念に思っているのではないかと思います。一般紙が撤退のニュースを報じて(優勝した時よりも大きな扱いで)おり、皆様もそれらをご覧になっていると思いますが、報道の中には少々焦点がぼやけているものもありました。このブログでネガティブな言い方はしないつもりなのですが、それでも一般紙には載っていない背景なども含めて、今回の撤退について触れたいと思います。
 ホンダは1964(昭和39)年の初参戦から参戦と撤退を繰り返しており、2015(平成27)年からの参戦が第四期と言われています。この第四期参戦、当初はいばらの道であり、優勝できるようになったのは参戦5シーズン目の昨年でした。ここまで時間がかかったのには様々な要因があるわけですが、第三期の撤退(2008年)から第四期の参入までの間にF1が大きく変わっていたことも理由の一つかと思います。マシンの動力は自然吸気のガソリンエンジンから1.6リッターハイブリッドターボとなり、もはやエンジンではなく、パワーユニットと呼ばれています。第二期(1980年代から90年代初頭にかけて)の撤退から第三期の参入の間はホンダと縁のある無限がエンジン供給をすることでノウハウが蓄積されていましたが、今回はそういったことも無い中での復帰で、手探りの中でパワーユニットを開発したわけです。
 昨年、レッドブルとのコンビで復帰後初優勝を遂げたわけですが、チャンピオンのメルセデスと時に互角に戦い、大いに評価を上げました。今年もやや苦戦はしていますが、それでもパワーユニットを供給している二つのチームがそれぞれ勝つという1987(昭和62)年シーズン(このときはウィリアムズとロータス)以来の快挙もなしとげています。そうは言ってもチームの目標はシーズンのチャンピオンでしょうし、参戦最後となる来季にそれが達成できるのか、見守るしかありません。
 撤退について、膨張する開発費用との関連も報じられています。よくマスコミが引き合いに出す1988(昭和63)年シーズンの16戦15勝など、第二期参戦時は一つのグランプリに二人のドライバー分とは言え両手では済まない数のエンジンを持ち込み、レースによっては鈴鹿スペシャル、などと特別にアップデートを施すこともしていました。今では一年間に使用できるパワーユニット、各部品の数に大幅な制限がかけられていますし、サーキットのテストの日数も限られています。以前、私の本業で出会ったホンダの協力会社の方から聞きましたが「第二期のときは短納期でパーツを改良してほしいといった要請がシーズン中によくあった」そうですが、そういうことも難しくなっています。
 第二期参戦の頃などは、車体を作るチームの予算が年間数十億で運営できたのが、今では桁が一つ増えており、これはパワーユニットを提供する自動車メーカーも同じようです。昔のように実車でテストはできない、持ち込めるエンジン数に限りがある、といった中で果たして何が開発・参戦費用を押し上げているのか、レース数が増えたから、というわけでもなさそうで、私のような素人には分かりかねるところでもあります。年間数百億も使うスポーツ、というのはやはり何か正常とは言えないのではないか、とも思ったりするのです。余談になりますが第二期の終わり頃から「多気筒のエンジンを作って燃料をガンガン燃やして、車体が多少うまくなくてもエンジンの力で勝つ」のではなく、エンジンだけでなく車体の空力性能や足回りなどとトータルで考えたチームが強く、その傾向は今でも変わりません。第二期はライバルにトータルの面で「負けて」撤退しましたが、そのあたりの解説も一般紙ではないので、書かせていただきました。
 それから、2021年シーズンを以て撤退、というのも意味のあるところです。F1は数年に一度、大きな規定改正が行われることが多く、2022年から新しい規定でマシンやパワーユニットの開発が行われることになっています。つまりホンダはこれには乗らない、という意思表示なわけですから、新しい規定が有効な数年のうちに戻ってくるということは、ちょっと考えにくいと思います。
 2021年というのはもう一つ気になることがあり、鈴鹿での日本グランプリの開催契約が2021年までと言われています。では2022年以降はどうなるか、もちろんホンダが参戦していない期間もF1は開催されましたが、コロナ後の世界で日本がどのような立ち位置になっているのかも含めて、引き続き開催されるかどうかはなんとも読めないところではあります。ドライバーからもファンからも愛されているコースですので、開催を期待したいところですが・・・。
 パワーユニット、サーキットの話をしましたが、ドライバーについても気がかりなことがあります。ホンダの支援を受けてF1直下のカテゴリーのF2で活躍している角田選手はランキング上位につけ、F1進級の可能性も出ています。ホンダのF1撤退が今後のレース活動のマイナスにならないことを祈ります。なお、F1出走のためのライセンス発給については対象となるカテゴリーの成績で厳格にランク付けされているので、昔のように国際F3000に何度か出走すればOK、とはいかなくなっています。また、F1に乗れる人数も10チーム、20人ですから、かつてのように弱小チームも含めて30台以上が出走して予備予選からひしめき合っている時代と比べて「椅子取りゲーム」も厳しくなっていますし、F1に乗れたとしても成績次第ではシートを失う危険もあるわけです。
 また、ファンなら知っていることですが、前回の第三期の撤退に関して一つ。第三期は車体、エンジンの両方をホンダで開発しての参戦でしたが、リーマンショックのあおりを受け、2008(平成20)年で撤退しました。このとき、既に翌2009年用の車体の開発も済ませており、これを引き継いでメルセデスのエンジンを積んだ「ブラウンGP」というチームが大活躍を見せ、ジェンソン・バトンのドライブでタイトルを獲得しています。さらにそのチームをメルセデスが引き継ぎ、今に至っております。ホンダもこの時は来季に向けて手ごたえがあった中での急な撤退でしたので、残念に感じていた方も多かったのではないでしょうか。
 今回の撤退に関してはファンの間から「なぜ、どうして」という声も聞かれています。全く歯が立たなくて撤退するのではなく、タイトルという「頂上」がなんとなく見えている中での撤退ですから、そう思う気持ちは私の中にもあります。今回はパワーユニットのみの参戦ですが、レッドブルとアルファタウリの両チームがホンダの去った後にどのメーカーと組むのか、ホンダの「遺産」がどこかに活かされるのか、それも注目したいところではあります。
 


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