ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

相撲道と女人禁制(2)4:20

2018-04-20 00:14:11 | 相撲・女人禁制

相撲道と女人禁制(2)・・聖書を学ぶ       415

・先日書き忘れたので追加です。相撲開始の初期は土俵上はあくまでも国の支配権・部族をかけての力を代表した戦いだから、勝敗に女の感情を差し挟まない公平で無私の神に懸けての審判をしたかったために、女人禁制にする必要があった事を感じる。要するに勝敗の審判に有無を言いがち感情的な女性の参加を禁止した経緯が推定できる。部族同士の戦いだから戦争と言う、血と命の多くの欠損を避けての、代表者としての力の戦士=力士の戦いとしたことだろう。

・しかし仏教は逆に女の感情を利用して物理的利益を得てご利益主義を追求している。仏僧が坊主なのも利用している仏像等の偶像は女性(日本の天照大神)であって、仏僧が仕えているのは天照大神や卑弥呼など。銅鏡も女性系鏡であり、日本の神道的天皇家の系統の信仰対象は未確認だが女性系の様な?・・そして面白い日本古代出土品を思い出す。縄文のビーナス土偶と仮面の女王土偶。おおよそ6000年前頃の土偶とされ、その頃から蛇モチーフの土器や模様が多くなり、不思議なことに聖書のアダムとイブの楽園追放の立役者が蛇で、同じ6000年前頃と言う話だ。


相撲道と女人禁制・聖書を学ぶ

2018-04-13 00:26:27 | 相撲・女人禁制

相撲道と女人禁制・・聖書を学ぶ  4・13
・日本国技の相撲が土俵に女性の登壇を禁止しているという問題が世間をにぎわしている。日本には昔から女人禁止は多く存在している。一番身近なことでは仏教は女人禁制だった。しかし長野県の善光寺は日本の原始仏教の元祖とも言われているが善光寺は女性住職が最高位の存在だから仏教も本来は女人禁止ではなかった可能性も考えられる。
・相撲の最初は諏訪大社の神事に相撲が存在している事から、相撲は日本最古の公認スポーツだったようだ。おそらく諏訪上社神と下社神が戦ったのが始まりだった可能性が強い。推定ではこの地域の支配権を決めるような戦いを相撲力士に代理させて戦った。そして諏訪大社は日本最古の信仰の残された神社で諏訪地域は縄文中期は世界一遺跡の多さで知られ、この時代世界最大都市の中心地だった。
・問題は神聖とされる土俵に女性が上がるのは禁制という、男女平等の時代に問題とされる。そもそも聖書の創世記ではアダムの補佐役として女性イブが作られた。禁断の命の木の果実を龍=蛇の策略にかかり、女性イブはアダムという夫がいながら蛇(サタン)の甘言に迷い、後アダムとイブは楽園を追われ地上(地獄)に落とされた。女性が最初に竜=サタンに騙され、それを容認してしまった男性アダムの関係性も問題だが、日本にも同等な古事記の物語・日本神話が存在する。
・日本の場合は最初はアダム(日本式には伊弉諾尊)より女神の伊弉諾尊は活発だったようで、イブに当るイザナミノ尊が男神に結婚を申し込み、問題児が生まれた。男神の伊弉諾尊から結婚申し込みをしたら良い子が生まれた(良い国造が行われた)ので、以後結婚の申し込みは男性からするようになったそうだ。その後女神伊弉冉の尊は天界を落とされたのか不明だが、海の大王と結婚し、女神・伊弉冉尊を迎えに行った男神・伊弉諾尊は海の大王の国の繁栄の様子を見て逃げ帰った。その時禊として水を被る聖書で言う洗礼を行っている。
・洋の東西共女性の多情が問題となり楽園を失ってしまった。原因は物質優先・性優先の蛇(サタン)の甘言に乗った女性だった。女性は感情が強い性情を持つ。この感情が曲者で我が子なら神の掟も律法もお構いなく無視し、又は無許可で、どんな悪事を働いても我が子を救助する、又は逆に我が愛する子供(夫)を助けるため、どんな残忍なことも敵に対し行う、鬼女にも簡単に変身する。
・洋の東西を問わず女性は魔物に変身を簡単に行うので、男性の持つ義とか公平とか言う規律や冷静さを必要とした、熟考すると女性の与えられた性癖の(妬み・恨みなどマイナス思考)故に女性は男性の補佐役・穢れた者という形で認識されたと思える。神(光)の秩序を破壊するのも女性(闇)の関りが強い為のようで、女性の地位が一段低められてしまった所以だろうと想像した。だから相撲でも仕来たり=慣習対今の男女平等という事との争いという事だが、今再考する必要があるのかも知れない。
・その点聖書では女性の人格をかなりはっきり認めている。仏教は場合によっては女性の人格さえ否定する勢いがあるので、私は聖書の女性への扱いを高く評価している。一市民の存在で‥ちょっと傲慢な事を書いてしまった。