相撲道と女人禁制(2)・・聖書を学ぶ 4:15
・先日書き忘れたので追加です。相撲開始の初期は土俵上はあくまでも国の支配権・部族をかけての力を代表した戦いだから、勝敗に女の感情を差し挟まない公平で無私の神に懸けての審判をしたかったために、女人禁制にする必要があった事を感じる。要するに勝敗の審判に有無を言いがち感情的な女性の参加を禁止した経緯が推定できる。部族同士の戦いだから戦争と言う、血と命の多くの欠損を避けての、代表者としての力の戦士=力士の戦いとしたことだろう。
・しかし仏教は逆に女の感情を利用して物理的利益を得てご利益主義を追求している。仏僧が坊主なのも利用している仏像等の偶像は女性(日本の天照大神)であって、仏僧が仕えているのは天照大神や卑弥呼など。銅鏡も女性系鏡であり、日本の神道的天皇家の系統の信仰対象は未確認だが女性系の様な?・・そして面白い日本古代出土品を思い出す。縄文のビーナス土偶と仮面の女王土偶。おおよそ6000年前頃の土偶とされ、その頃から蛇モチーフの土器や模様が多くなり、不思議なことに聖書のアダムとイブの楽園追放の立役者が蛇で、同じ6000年前頃と言う話だ。