ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

弥生時代は紀元前1000年頃から?

2015-11-29 18:22:37 | 弥生時代は3000年前
弥生時代は紀元前1000年(3000年前)頃始まった?
今畿内(奈良や大阪など)の古代史調べているのですが、どうしても銅鐸時代に土師器時代(弥生土器の模様がない少し進んだ後の時代)があって結構長く1000年とか続いたようです。縄文時代の後の時間が銅鐸や銅鏡や巨大古墳時代があったのだから、1000年間位期間があったと思えるのです。縄文時代を切り詰めて土師器時代=?弥生時代が紀元前1000年頃に始まったのではないかと考えられるのです。そして須惠器時代になって(紀元前500年頃?)土師器時代と須恵器時代が2-300年間平行存続期間・文化時代があって、その期間が関西の巨大古墳時代で、その間関東では須惠器時代=陶器時代=仏教(善光寺信仰)時代になっていた。飛鳥時代の前の聖徳太子の時代は紀元後4―500年頃から東西日本文化が日本として国際社会にデビュー時代になって、皇室=日本の支配者を一つに絞る政争で聖徳太子文化勢力の敗退から一挙に藤原氏の推挙する皇室文化・藤原氏が改竄した血統や諸々を一つに統一したという日本史が見えてきた気がするのですが、ももちゃんの古代史のブログがあまり読まれていないみたいで最近は余り古代史興味がなくなっています。やっぱり人に読まれるという楽しみは生まれるものですね。今まで考えていなかったけど、そんな感情が産れてしまいました。今難しい聖書読み始めました。でも聖書は一人では難しくて読み切れません。意味が解らない。でも仲間の解説で、とても精神性の深いものだと理解ができます。

縄文製鉄に反論に回答

2015-11-24 20:47:55 | 縄文製鉄に反論があったので回答
縄文製鉄論に反論があったので回答
・私の縄文製鉄論に反論=否定・があったので回答書きました。
①装飾性強い縄文土器では土器炉にはならないから縄文製鉄は否定・ということでした。しかしブログ「ももちゃんの古代史」に縄文土器の写真をいくつか載せましたが飾りの多い縄文土器は1割位で多くは土器炉になる模様が質素なものが作られていたから、また現に埋め甕土器炉に縄文土器は使われていたから縄文時代の製鉄は可能です。
②縄文時代に鍛造技術は中国や韓国から伝来していなかったから、鍛造でできた鉄鐸は縄文時代には作られないと縄文製鉄論を否定していた。しかし鍛造技術は輸入・伝来技術ではなく日本人が考えたことは発掘報告書で明らかです。松本市笹賀熊野川遺跡発掘報告書を読んでください。其処から出土鉄鐸は鍛造技術で曲げられていたと書かれています。銅鐸の形やシンボルとしての使われ方を見れば、銅鐸は鉄鐸をまねて作ってシンボルとして発展し後に独自に巨大化したのは、鉄鐸の発想をまねていると解ると思いますが、銅鐸の前の文化の鉄鐸の時代が、問題です。鉄鐸時代は古墳時代のような??でも今回は資料不足ではっきりと縄文時代だと断定は書けませんがそのうち写真など載せて解明します。
 以上新たにユーチューブで「縄文製鉄から銅鐸へ」のタイトルで投稿したので読んでください。

三重県に穴窯多い・ちょっと工夫してカマド発明?

2015-11-20 17:02:04 | 日本文化の見直し・須惠器も日本にルーツあ
三重県に須恵器のルーツ?
三重県の県史見てたら穴窯が多く出土している。穴窯は土師器=弥生土器の焚火的酸化焼成から、蒸し焼き的竈の手前の穴窯で多量に土器を焼いている窯が多く出土している。この蒸し焼き技術が始まれば、火の回りが良いところは半生の須恵器は焼け易いし、煙の処理から煙道を考えたりすぐカマドの発明になるし。穴窯でも火の回りのいい場所の土器は須惠器に焼ける率が高まる。今まで須恵器のルーツは松本市と言っていたが、場合によっては三重県の方が早くカマド=窯を発明していたかもしれない。でも松本の場合は縄文中期後半頃。
 一方三重県の場合は時代が弥生時代中期としてあるので未だ時代が突っ込める資料が見つからない。穴窯出土土器の写真や須恵器の写真や見取り図が見られれば時代の判断も少し楽になるのだけれど。松本の須恵器はまだ糸切底ではない。糸切技術未開発のため丸底だ。三重県の穴窯出土土器が糸切底の土器の場合は糸切底の方が後の時代になるのだけれど。・・・。
 もう今年も後1カ月と僅かになりました。皇居のもみじ一般公開が来月初めだそうです。死ぬまでに一度見たいけど一人で行く勇気がない。約束すれば守るために気が進まなくても出かけるのだけれど。段々行動するのが面倒になってきたのです。

日本文化見直し・須恵器も日本にルーツあり

2015-11-04 23:49:48 | 日本文化の見直し・須惠器も日本にルーツあ
日本文化の見直し・須恵器(かまど)の発明も日本よ!!
ご無沙汰しました。寒くなりましたね。車譲っちゃったら不自由で出歩けなくなって、今年は紅葉見物もままならない。でも最近は高齢者の事故が多いから、シルバーになったので事故起こす前に譲ってしまいました。
 古代史は今ぼちぼち新情報を探してます。でも私の古代史の考えと、今の常識・学校で教わる古代史の根本が違ってるから、どうしても理解してもらえない点がネックですね。一番の問題点は土器区分で、焚火で焼ける酸化焼成の土師器までの土器とカマドを発明して、土器を蒸し焼きにして焼いた還元焼成(土器窯とか)の須惠器と続く釉薬(上薬とか自然釉薬とか高温で焼く土器=陶器)の性質が全く異なることが、いま使われている編年基準で無視されている・考えられていないので時代が全く違ってしまうということですね。
 その上日本は縄文時代から土器を1万年も焼いていたのに、須恵器(かまど)の技術は日本では生まれなかったと考えられていて、日本人は新しい事は全く考えないバカだと公表していることですね。
 だって焚火で土器焼いていたら、少しでも強い火力が欲しくなって囲いを作ってその中で焼いてみるとか工夫したり、火力を強く高温が得られるようになれば、土器を作っている土の中の鉄や銅が高温で自然に溶け出して土器に掛かって固いしっかりした、水もれしない土器が偶然に焼ければ、はるかにその方が優れているから、そっち(須恵器など)の研究が進んで、鉄や銅の釉薬で美しい陶器を焼くようになったはずです。でも日本の編年基準では、偶然に変わる土器の色の変化などを全く無視している。おかしいですよ。須惠器の技術まで中国等から伝来したと、根拠もなく信じ込んでるからね。日本が全くの後進国見たいに世界から扱われていた。でも世界の人は見る目があって、日本に来たらスゴイ緻密な美しいものがいっぱいだと、観光客が押し寄せてる。