ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

三角縁神獣鏡は99%日本製

2016-07-14 09:06:07 | 七夕まつり
三角縁神獣鏡は99%は日本製 7・14
・生活科学の目で見た銅鏡・日本出土銅鏡はほとんど日本製
東京の顔の候補も出そろった。政治と金の問題の要点は予算が単年度か複年度かの問題で、いくら都民の税金無駄使い減らしても年度の内に使い切りでは、予算案の中で無駄使いは当然で、国も都道府県も税金の無駄使いは当たり前。明治時代以来赤字を積み上げて来たのだから。其処を指摘しないと日本の赤字など減るわけがない。傍観する立場でしかないのだけれど。さて暫くぶりに日本の古代史の中で関心の深い銅鏡問題を今回と次回に分けて投げかけておきたいと思います。
・日本で最も多出している三角縁神獣鏡で540面程出土しているという。銅鏡は多くの点で日本古代史に重要な位置を占めているが、今、日本出土銅鏡を古代史の中での扱いは非科学的で大きな問題が見逃されているという点を指摘したい。
・邦製鏡と中国鏡の区分について、邦製鏡の定義は日本製で、銅鏡製造技術が幼稚なため日本製の銅鏡は模様がはっきりしない鋳上りの悪い銅鏡を言という。
・日本出土銅鏡の分類が邦製鏡と中国鏡という分類が古くから存在し、現在でも時々その区分が使われているが、生活科学的な目で銅鏡・銅製品について考えると、少し技術が劣る初期的な技術で銅鏡を作った場合、銅鏡の製造は銅を溶解し粘土や土や石で作った鋳型(銅鏡模様をかたどった鋳型)に流し込み、冷やしたところで鋳型を割る等して銅鏡を作りあげるが、問題として熔解した銅の温度は純度が高い銅の熔解は1200℃以上とか高温を必要とする。しかし自然界の中では純度の高い銅が存在することより、多くが鉄分等と混合し自然界の岩などの鉱石として存在している。
・不純物が多く存在した鉱石の場合の熔解温度は、百科事典によると純度の高い鉱物は熔解温度が高くなり、純度が低い鉱物は低温で熔解すると書かれている。ということは銅の熔解も鉄の熔解も各種の鉱物が混合して存在している自然界の中では、純度の高い鉱物の熔解温度を測定する実験室の中では銅は1200℃以上なければ熔解しないとしても、自然界の中では900℃程度の低温で溶解した可能性が高いということ。
・その上「村の野蹈鞴を生業とした人々」の伝承では、鉄が熔解すれば鉄の溶ける温度で自然と高温になり銅の熔解は簡単だといわれている。だから野蹈鞴で製鉄や製銅をしていた弥生時代等の人々は、900℃程度の低温の焚火等で溶解した銅を得ていたと考えられる。

七夕祭りは織姫の祭りで天白信仰=蚕様信仰

2016-07-08 18:49:19 | 七夕まつり
七夕まつり
七夕祭りは織姫の祭りで天白信仰
・七夕まつりはいまでは幼稚園や公共の図書館で行われるくらいで、各家庭ではほとんど行われなくなった。七夕まつりは彦星と織姫の一年一度のデイトが天の神に許され天の川を中心に展開する物語で、主役は織姫。この織姫は古事記では天照大神とされる女神の人間界の仮の姿という。霊的な姿が天照大神という。
・織姫といえば弥生時代といわれる静岡の登呂遺跡で出土した布は中国との交易に使われている。その織物のルーツはユーチューブや以前のブログ「ももちゃんの古代史」でも書いているが、織物(縄文時代と異なる紡錘器利用の機織り機)のルーツは長野県塩尻から松本辺りの多量出土紡錘車からの推定でルーツを松本・塩尻地域と考えた。
・それは機織り機が松本お多賀様(多賀神社)や安曇野で有名な穂高神社、そして伊勢神宮の各々の神宝として祭られていることでも実証できる。
・機織り機を使用した織物は上田・東信地域の錦織氏の出現等に繋がっている。東信の岳の雨乞祭りの出し物は反物(織物)そのままの祭りでもあり、絹織物の発展の経過ともいえる。
・七夕祭りの天白信仰だが、古代の祭り故に今ではほとんど消滅してしまったらしいが、ネットで見ると天白祭りの信仰は古く縄文時代にさかのぼる可能性があるとし、天体・星等対象の信仰とされ、伊勢・名古屋・北り・長野・松本・上田・東信から静岡および、呼び名等から東北の「おしらさま信仰」にまで及ぶ信仰とされる。
・一方で静岡登呂遺跡の中国との交易品の絹織物は弥生時代紀元前の話で、その時代に日本では交易品として中国に絹織物を持って行っている程、絹織物は発展しているのだから、この絹織物及び関連の蚕様信仰等ひっくるめた織姫信仰=天白信仰だったことが考えられる。
・日本の古代史はかようにルーツが日本にありながら全て中国伝来によって誤魔化されていることを寂しく思うけれど、今年は七夕祭りに宇宙飛行士が宇宙に飛び立っている素晴らしい現実。七夕祭りは天白信仰であり織物=錦・絹・蚕信仰だったと考えられます。
・ニフティブログだった「ももちゃんの古代史」が行き場がなくなって、どうにか「ももちゃんの面白古代史」でブログが繋がっているけれど、本出版したくとも無名の私の本出版の発表の場も閉ざされて、でも何処かで書き続けていきたいと思いますので、今後は「ももちゃんの面白古代史」で見てください。