ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

古墳時代活躍した木曽馬は日本生まれの原産

2015-10-19 21:56:12 | 木曽馬は日本原産・古墳時代活躍の木曽馬・
古墳時代活躍した木曽馬は日本生まれの原産
 木曽馬は日本原産種だと言うのに、なぜかモンゴルから来た馬が木曽で飼われるようになったという常識が通用している。日本文化は原産種の馬まで伝来したことになっちゃっておかしな常識。モンゴル原産の馬がどうやって古墳時代前の時代に日本に渡来してきて、馬を飼う場所いっぱいあったのに木曽の山奥に来て飼われたのか、不思議な学説・常識がまかり通っている。変な日本史です。
 縄文時代中期後半の木曽に近い松本の遺跡から馬具が出土している。その後松本地域や群馬・埼玉等関東で埴輪などで多く出土している事実があります。馬は生き物だから行った先で繁殖させるのは簡単じゃなかったと考えられます。そして馬具は早い移動手段として活用され戦闘にも重宝されたと考えられますよね。原産種の馬まで渡来の馬だなんて読むとさみしくなっちゃいますよね

銅鐸の謎と真相

2015-10-16 04:07:07 | 銅鐸の謎・弥生時代・日本古代史・鉄鐸
銅鐸の謎と真相
 銅鐸の形と使い方、鉄鐸の形と使い方どっちも筒状でどっちも舌を付けて鳴らして使っていたことが解っている。使い方も形も同じなんですね。
 又両方とも信仰の対象というかシンボルにして、境界線的なところで使ってたらしい。鉄鐸は境界線的峰の木に鉄鐸打ちつけてるし、銅鐸は境界線的峰など山中などに飾って使ってたと考えられる場所から出土している。
だから銅鐸か鉄鐸のどっちかをどっちかが真似して作ったとしか考えられない。
 そして調べてたら鉄鐸の形が、自然形成されるカッ鉄鉱・高師小像とそっくりの形だこと解ったのです。それでカッ鉄鉱は質が悪いけど加工で鉄の材料になるらしい。戦前の昭和15年頃に戦争で鉄不足の時カッ鉄鉱の多く産出する諏訪地域に「諏訪鉄山」という製鉄工場が作られて、製鉄を行っていたという情報は以前から知っていたので結びついて、大昔縄文時代にもカッ鉄鉱・高師小像を鉄の材料にして製鉄が行われていた。と考えた。
 その鉄の材料の自然界にある形を真似て自然に感謝して人間が発明・開発した製鉄技術で鉄鐸を作って神に感謝し祀ったのが小さな鉄鐸で、松本地域から多く出土しています。その鉄鐸が諏訪大社のシンボルになった。
 製鉄の文化だった時代に鉄と違った「銅」という金属が製鉄してたら、新たに生まれ出た。この新しい「銅」という物質を知って(銅も製鉄していたら偶然に製銅出来てしまったと考えられます)鉄鐸と違う文化勢力に発展して、鉄文化に対抗し鉄鐸のシンボルを真似て銅鐸を作った。そしてシンボルの銅鐸を掲げて鉄文化に対抗してテリトリーを競って・現実に争ったと考えられます。だから銅鐸の出土地は多くが山の峰や見晴らしのいい場所から出土していると考えられます。
 それで今まで貯めていた写真やネット写真を拝借して動画造って載せました。見て下さい

新説・黄金の国ジパング

2015-10-12 23:21:50 | 黄金の国ジパング・金環・金のルーツ・金鉱
 新説・黄金の国ジパング
 新説黄金の国ジパングの動画をまとめてアップしたら動画が見られないので慌ててしまいます。
 動画では黄金に稲が実った日本の田園風景の動画が並んでいました。でもね、私は気象学調べてないのでよく知らないけど、マルコポーロの時代は日本の稲作が秋の一時、10日ほどの間を金色に彩っていたわずかな期間に、金色色の時期に日本に来たヨーロッパ人が、黄金の国ジパングなんて噂をヨーロッパに広げたのでしょうか。疑問です。日本が黄金色に染まる頃は中国だって、東南アジアは皆黄金の国になってしまうでしょうにね。
 同じようなことあちこちで書いてしまってすみません。でも誤解を小さくしたいのであちこち書きます。
 日本では縄文時代から金を使って金環(イヤリング)の技術を開発してイヤリングをシンボルにした勢力があって、その事実がヨーロッパに広く噂が広がっていたのだと思います。日本の縄文時代はもう金を溶解し、鋳型にはめたり、今金沢で金を薄く延ばす技術品が特産になってるような加工技術は長い間先祖が工夫し獲得してきたと思います。だから世界遺産の特産品にもなった。
 それに気候は弥生時代は日本は低温化時代、その後の奈良時代もあちこちで冷害など不作が続いたとの記録があるなど、稲作には適さなかった時代だったのではないでしょうか。今ほど日本全国どこへ行っても金色の実った稲の田園風景が広がっていたでしょうか。私も今頃の金色に輝く頭を下げた稲穂の美しさは素晴らしいと思うけど、刈り取りの10日間ほどの時間にヨーロッパの人が来たでしょうか。
 ともかく日本では縄文時代後期には金をイヤリングにして活躍した種族がいたと私は主張します

黄金の国ジパング

2015-10-12 22:39:57 | 黄金の国ジパング・金環・金のルーツ・金鉱
 新説・黄金の国ジパング
新説・黄金の国ジパングで動画アップしたのに又検索から消えてしまった。アップしたことになっていないみたい。なんだかユーチューブって薄気味悪いという感じです。
人の主張を簡単に変えてしまっているサタンが巣食っているみたいで。でもそれが悪魔サタンの支配下の現在のこの世ということでしょうか。エゴや金のために人の自由や命や主張は殺しても平気という嫌な時代ですね。
 今日動画見たら稲がたわわに実って金色の美しい日本の田園風景が広がっている、動画が並んでいました。
 この主張の人は金持ちでユーチューブにお金出しているのでしょうね。ともかくマルコポーロが信じた「日本は黄金の国」というヨーロッパまで噂が広がっていた時代は、稲作が今ほど順調だったでしょうか。今は品種改良され稲作は東北まで見事に日本を金色に輝かしている。しかし、でも稲作の改良が今ほど進んでいなかった時代、東北地域もくまなく日本は豊作で金色に輝いていたでしょうか。?
 弥生時代の日本寒冷化時代そしてその後の奈良時代は日本は特に東日本は農業の不作や天候不順が続いたようです。そのつもりがないので私は天候を調べていませんが、黄金の国ジパングは古い時代から日本では金をイヤリングにして、金細工や金の象嵌や、今金沢等の金を薄く延ばす技術等、特産は一朝にしてできる技術ではない。
 古い時代から先祖が研究し長い間かかって今の金沢等の金や他多くの技術を生み出したが故の世界遺産ということだと思いますよ。
 だから黄金の国ジパングのブログも、うまく検索できなくなってるし、苦労して作った動画も隠されてしまっているようですが、また時期を見てタイトル変えてユーチューブアップしますので、見て下さいね。
 でも学問的でないにしろ新説が発表できない言論統制の日本なんて、さみしい話ですね。気が向いた人がいましたら気候と稲作の事調べて知らせて下さいネ。

黄金の国ジパング・埼玉県

2015-10-07 19:21:22 | 黄金の国ジパング・金環・金のルーツ・金鉱
>黄金の国ジパング埼玉県
黄金の国ジパング埼玉県で以前ブログを書いたら、黄金の国ジパングはでたらめというネットを見つけたので「何故でたらめ?」と思い、反論。日本の数か所の縄文遺跡から金環が出土し、混入品と書かれていた。でも現実に古墳からは金環が多く出土している。それも埼玉県とか長野県とかに多い出土。金環やその技術が奈良時代に伝来したなら何故奈良の都に近い地域で多く出土せず、都の中心から遠い埼玉県や長野県で多く出土するの?
 それに百科事典には純度の低い鉱石(例・金・鉄・銅など)は溶解温度が低くなる。と書かれている。純金は950℃位で溶解したと記憶するが、低い温度で溶解するとすれば800℃~900℃位の温度が出る焚火で、金鉱石も鉄鉱石同様溶解したことが考えられる。それに埼玉県では秩父山塊から「糸金」と呼ばれる変わった金鉱石?が出土している現実がある。金は華やかだから縄文時代から早い時代に人の目に入った可能性がある。だから縄文時代から金がシンボルとして金環が作られて勢力者の耳に飾られていれば、遠いヨーロッパに日本は金の国だと伝わらないとは限らない。
 詳しくは「黄金の国ジパング・埼玉県」のタイトルで動画2-3日後に書きます。見て下さい