ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

貴乃花親方廃業・譲れない道・サタンに譲れない正義の道がある  9・27

2018-09-29 07:25:33 | 相撲の埴輪・相撲・相撲道・

貴乃花親方廃業・譲れない道・サタンに譲れない正義の道がある  9・27

・前日横綱白鵬の前代未聞の勝利のニュースはTVをにぎわしていた。数日前白鵬と相手力士との取り組みが紹介されていた。その時、行司の「残った!」声の直後ピシ!という音がした。白鵬の右手が対戦力士のホホを打った手が動くのを見た。以前から話で聞いていた事ではあり、今場所の取り組みで2回白鵬の姑息な技を見た。立ち上がり直ぐの白鵬の汚い手口。ヤダナー日本の国技が、横綱ともあろう名のある者がこんな姑息な手で勝利を得て称えられるなんて、国技の名が廃れる‥と私は釈然と しないまま・・白鵬の秋場所優勝のニュースは躍っていた。

福島県泉崎村・原山1号と 世界一巨大古墳(仁徳天皇陵)出土埴輪

貴乃花親方の相撲道は日本の埴輪時代から日本人の中に根を下ろした公正と義の崇高な精神の相撲道の道を守りたかった貴乃花親方の心が、外人の多い今の相撲界で守れない空しさが、苦しい決意が伝わってくる。
・今私も組織の力で自分の意思を曲げねばならない岐路に立っている。強い者勝ちの今の世が義と公平と神の価値感で決まる平和な地上の楽園を、エゴによる価値観に「勝てばいい!」価値観に支配されてしまっている。

・人間の生活の上では「神のご意志」ではなく、人間の勝敗が物事を決める、この世の中の納得できない現実。矛盾。強い力・金・暴力・それらが権威や名誉欲や集団の力で支配するようになっているこの地上。
・少なくも2000年以上以上から「神に奉納」した相撲が、立ち上がり早々に相手の力士のホホをひっぱたいて驚かせ、ひるんでいる隙に勝利するという、日本の本来の神に奉納する相撲の姿から「勝てば称えられる」という勝てば姑息な手口も許される現状では、格を落してしまった。

・貴乃花は其処が言いたいけれど、外人力士が多くなった今、そしてこれから、貴乃花は「相撲道」を主張して行きたいのではないのかと、忖度するのです。

・聖書ではあくまでも徹底して「中立」が求められている。だから政治にも参加しないことを良しとしている。私は今歴史家を自重する立場で、遅くとも埴輪時代の紀元前3-4世紀頃から続いている相撲という国技の心を、私も公平な目で見たいと思って書いた。
・埴輪は酸化焼成で焼きます。埴輪と言えば世界一巨大な仁徳天皇陵と言われる堺市の全長468mの古墳からも出土している。力士埴輪出土は福島県の古墳からの出土で世間的には紀元後500年頃に時代設定されている?。だが私は埴輪は土師器と同じ酸化焼成だから紀元前数百年頃と思う。秦の始皇帝より少し前の頃ですね。仁徳天皇陵と同じ頃かも知れない。少なくも2000年前頃から始まった相撲道の本筋の精神は何時までも維持して欲しいと思う。若乃花親方もルールを定める位置にいて欲しかった!。相撲埴輪の写真アップ出来ず残念です。


モーセは約束の地に入れなかった!  9・21

2018-09-22 08:01:45 | 懺悔・許し

モーセは約束の地に入れなかった!  9・21
暑い夏と思っていたのに急に今朝などは寒い!!夕暮れの速さに戸惑います!!・。

・先日は西欧の古代史の中で燦然と輝くモーセについて少し勉強!、何十万人を引き連れてエジプトから約束の地に向かったその先導者のモーセはエホバ神から絶大の支持を得ていた。信頼されていたモーセが「約束の地・楽園」に入れなかった!、何故---?! 考えさせられました。

・多くのイスラエル人を神からの信託で、紅海に「海の道」を神の力で切り開き渡ったモーセの身に何が起こったか?ご存知ですか?神を裏切ったモーセ心の底には共に苦しんだ人々への戦友的絆が芽生えていた・戦友的愛が育まれていたのだは無いかと。だから絶対なる神に対する反発心=世論に繋がっていたと思えます。 
・今世界は天変地変が起こって、異常気象の中で、地震や集中豪雨や人々は振り回されている。文化の向上で幸い人の命が失われることは少なくなっているが、この異常気象は今後どの方向に変化するのか。先が見えない中で人は対処できずにいる。この後に何が起こるのか、どっちが楽園か!人類滅亡か!どの方向に地球号が向かっているのか皆目判らない。

・ただ願わくば、病無く痛みのない、争い(戦争)の無い平穏な日々が過ごせればと願うばかりだが、私が見る目では仏教的には、エホバではない神(大いなるバビロン?)の怒りを買い、怒りの原因を改めることなく人々は積み重ねてきたようだ。だからエホバ神はキリストを地上に使わせて「人類の罪」に気づかせようとされて2000年の時が過ぎた。
・今その裁きの時のような予言が当たっているような幾点もの現象が起こっている。モーセが神から怒りを買ったのは「人々の集団の世論」を抑えられなかった事実。モーセは人々の不満に同調してしまった。自分の怒りを感情を神にぶつけて顕にしてしまった!神への完全なる信頼が、人々の苦しみへの同情心から揺らいでしまった。
・最後の踏ん張りの時に「エホバ神は約束を果たされる方だ」・・という信頼・信仰を怒りの為に封じ込めてしまった。故に世論と同じように怒りを神に対して持ってしまった。我慢できなかった。苦労してきた人々が可哀そう!という気持ちがモーセにはあったかも知れない。弱い人々の気持ちに自分の弱さを重ねて、神への信頼を自ら断ってしまった。ここがサタンの付け所。サタンは神に背く人類を手を叩いて、大喜びで「仲間が増えた!!と大喜び」している。でも注意はサタンは喜んだが、サタンはモーセをその後、幸せにしたかというと、病気の痛みや苦しみからモーセ自身や人々を解放したかと言えば、病気や痛みや苦しみを倍加しただけで、後は知らんふり‥

・ここが私達の思案のし処という事を今書いていて気が付いた。ここです。神はエホバ神は人を幸せにしてくださる方だという点、サタンは幸せのエホバ神から人々を切り離せば目的は終わり。「後は俺の知った事じゃー無いよ!!」と舌を出してほくそえんでいる・・幸せの神エホバから切り離されたモーセの行き場は無いのです!。モーセの前に幸せの楽園はもう無いのです!。一度の怒りが、暗闇となってモーセの前に広がるばかりです。
・私達の前にまだ幸せの楽園に導いてくれる神エホバは??!・・


時は過ぎゆくのです

2018-09-12 19:59:06 | 聖書に学ぶ

時は過ぎゆくのです

 ・・時は過ぎゆくのです・・・9・10

 ・北海道地震へのお見舞い申し上げ・西日本豪雨に対するお見舞い申し上げます。

・最近の異常気象は地球の変化の時のようですね。聖書には最後の時に異常気象が起こると書かれています。そして文明都市は多く被災するようです。物欲に流された4000年間の人類の考えを変えられる時のようです。これらの災害は過去の集積?の結果?とは聖書に書いてあったか無かったか未調査です。それに神は人々の事を気遣って下さっているから、神がこの災害を起こされたわけではない。と思います。ただ人々の心の集積が今の現状を呼び寄せているのではないかと思えるのですが、予言には確かに天変地異が多く起こるとは書かれているけど、人々の心の集積が地震や異常気象を引き起こすかどうか、私はよく調べていないので如何ともいえない。
・ただ今私たちは物質欲に流され「今が良ければ総て良し」とした考え方、そして物質欲は自分さえ良ければ良いと言った競争心に繋がって強い物に成長します。その競争心はより強いエゴイズムに繋がっている。自分さえ良ければ良い!!。テニスで「大阪なおみ」の世界のテニスみたいだと、公平な採点が目に見えるスポーツの世界は、結果がスパッとしていて気分がいい。でも今日本で多発しているスポーツ界の問題。スポーツの技術に力関係が入るのは‥それが一人で生きられない弱い人間の集団という問題なのか?!。 

・そして今は変換の時のようです。確かに日本人やアジアなど多くの人々は死者の過去に気持ちを奪われる率が高い。でもキリストは過去は過ぎゆくものだから耐え忍び、未来に夢を持ちなさい。と言います。
・私のように母に阻害され育った人と違い、皆さんは・愛され慈しみを受けて育った人は、肉親の死は特に災害などでの死の別れは辛いでしょうね。でも未来に楽園を抱いて互いに愛する実践をしてきた人は、聖書では「新しい時代の世でも再会できる」と書かれていたようです。
・でも私は心のレベルが異なれば会えないと思います。自分の心を高く保つのが大切ですね。私は逆に素直でいい子だったのに世間の苛めやセクハラなどを耐えてきたが故にもう、清らかな高貴な考えは持ち続けられなくなってしまいそう。男性は年を取れば好々爺さんになるというけれど、女性は鬼婆と呼ばれるようになるのですから、女の私は好々婆に成れるように心の訓練の必要があります。その心の訓練が聖書には解り易く書かれています。貴方も聖書を学んでみませんか?
・さて最近また日本の超古代史の研究に戻りたくなってしまった。未だ研究途上だから、頭がボケる前に結論を見出したくなりました。最近「貴方は誰に認められたいですか」と問われました。聖書を学ぶ者としては当然「父なる神」という答えが妥当ですが、私は誰に認められたいから超古代史研究してきたわけで無い!と思います。私の場合最初から考古学会等に迎合する気はなかったから疑問点から「本当の日本超古代史は何だろう」と一寸した科学的な観点で研究して来たから、人や学界に認められたいなんてサラサラ考えなかった。でも心の奥底を今考えてみると何時の間にか「認められて売れたらいいな」何て心が育ってきてしまっているかも知れない。この間、時には「本当の日本史はどういうことですか?神様教えて!」なんて日本人的な軽い?気持ちで、でも神様がいるなら本当のところを教えて!と何度も祈ったことは有るけれど、だから出土品と時代の思いと一致する時は一人で「\(^_^)/ーー!」と嬉しい時もあります。人の心は人によって左右されやすい。でもよい心は持ち続けねばならない。鬼婆と言われて死にたくないものね!この良い心の維持が難しく、良心的な人は特に周り(人の気持ち)に左右され易く「愛・公平・慈悲・等々人の悪意から学べない・神の愛から学べという事を聖書は書いているようですよ。
・今は人の悪意は聖書勉強している人の中にも存在し、その悪意が辛く聖書から離れようとさえ思うこの頃ですが、「人は神ではないから不完全さを持って産れているから!だから許し合いなさい!!」というのが聖書の教えのようです。聖書は死ぬ前に一見の価値がありますよ!。ちょっと学んでみませんか?
・私は子供の頃から人の中で生きる息苦しさを味わってきて、今また研究・古代史に気が向いています。又ブログで日本超古代史書くようになるかも知れません。楽しみに。だって大阪の世界一巨大古墳はどんな文化勢力が造ったのでしょうか???
・それに一つの古墳に10、000個もの埴輪が並んだ古墳が日本には20古墳は有るでしょうし(未調査)奈良で200m以上の巨大古墳は20基近くも築造されているのに、古墳時代(疑問)と定められた300年から奈良時代の600年頃までの短時間に20基も造ってしまうエネルギーて何だったのでしょうね。何処か可笑しい・間違っている!と思いませんか?日本の超古代史には疑問がいっぱいです。一つでも解明出来たら嬉しいですね。又出版したいけどスポンサーいないかな?声かけて下さい!



貴方は悪と知っていながら悪を繰り返す人を何度も許せるか?

2018-09-02 04:50:39 | 懺悔・許し

貴方は「悪と知っていながら悪を繰り返す人」を何度でも許せるか!?

最近は発信する気力も減退で、時々気力を奮い立たせるのですが、仏教の過去を見る強さに、私は聖書で言うロトの妻になりたくないのに、世を支配する過去を見る宗教者達の力の強さに、私の過去に引きづりこまれて、ちっとも前に進むことが出来ず、そんなこんなのストレスで体力も精神的にも使い果たして、混迷しています。

・若い人はその若さで過去の感情的体験も少ないから、若さで夢に突っ走れる特典がありますが、私の様な高齢者の場合は今の物価の高騰やら生活にタジタジで血液の巡りも滞っているのでしょう、その上の未来志向はおぼつきません。
・イエス・キリストが人々の罪の身代わりに犠牲になられた、そんな話は今の若者たちは知っているのでしょうか?。私は人々の身代わりになる事は嫌だから断りますが、若者達はどの程度犠牲という言葉を理解しているのでしょうね。

・先日私が書いた許せない!という話しと少し重なりますが、聖書では何度でも許しなさい・・と書かれています。キリストのように!!キリストが囚われたのは罪の故ではなく、人々の世論に負けた裁判人たちの暴挙でした。罪を犯した暴挙に加担した人、本人が罪を償うべきだと考えているのですが、イエスはイエスを杭に掛けた人々をも冤罪をイエスに着せた人々をも許しなさいと言っているのです。私は其の暴挙を自分で償いなさい!と若者たち・イイエ・人々に言いたい!。自分の罪は自分で償うべきです。それなのに自分を殺した世論に加担した人々を許すというのです。私は許さない。知っていて行った罪だから許さない。

・罪は許すと罪を犯した人は「許されたから罪はない」とでも勘違いしてしまうのか、ずるい人は其の罪を承知で何度でも罪を繰り返すのです。この厚顔無恥が無くならない限り私はキリストのように何回でも罪を許せとは思いません。

・日本には「仏の顔も三度迄」という諺があります。三度以上の悪事は仏も許さないことを言っていると思いますが、キリストはそれを超えて何度でも許しなさいと言います。貴方にはそれが出来ますか?

・本当に悪かったと神に懺悔しても私にはそのざんげは届きません。私も魂だけの人間ではないから、日本風に懺悔を「形で表さない人」は決して許しません。
・だから聖書を学ぶと言っても難しいですね。頭では理解していても行動に表さないと「口先の戯言」とか「口約束」では本当の和解ではないことに成るのですから、聖書でもよく行動を伴わない信仰の事が書かれていますが、口が上手いだけでは信頼されないと思います。日本の仏教も宗教全体もこの点疑問に思っています。口先・頭では理解して上手く言い繕うとして行動を伴わない「言行不一致」の自分にはなりたく無い。今後の学びです。
・本当は私は頭だけの人・行動が伴わない人は大嫌いなのです。口先ばかりの人・・「その口から出した言葉を勝手に、言った本人が、いつ反故にされるか解らない、下手に信用できません」。日本では「憎まれっ子、世にはばかる」ですか?。憎まれるような悪ガキが、世を堂々と生きていく・・悪さをしてもずる賢く生きている人の姿を言うのでしょう。人の演技は誠実な言葉かウソの誤魔化しの言葉か見分けは難しいですからね。最近「△△は言葉と共に生きていく」と言うキャッチフレーズTVでよく見聞きしますが、言葉ばかりで実行が伴わないことは困りますね!?何を私は信じればいいのでしょうね?。

・余談ですが聖書の信仰では個性は認めない!!ように私には思えるのですが、個性無視は、それは私は困ります。一生をかけて研究してきた私独自の目線の生活科学の目で見た「日本の超古代史」は他の学説と異なって、各所に私の目線で日本の超古代史を、文化の結果の出土品で検討しているのですから、それを否定したり聖書で言う愛を与えよという言葉通りAさんが欲しがったからAさんに与えよなんて出来ません。私が研究してきた私に与えられた才能だから、私の物です。この研究結果を人に与えては、盗まれては私の努力は水の泡、盗んだ者勝ちでは、私は虫けらと同じに何もしなかった人生という事になってしまう。!!!。嫌ですね例え大好きなキリストにその古代史の結論をが欲しがっているからAに与えよ!と言われたって、私は死守しなければいけないと思います。ここが魂の世界の難しさなのでしょうね。今マインドコントロール(洗脳)が私にひっきりなしに送られてきます。私は許さないし与えない!でも聖書では何度でも許せと説く。キリストを尊敬し信頼し、大好きなんですよ!どう解決されるか??洗脳される私は頭が重く苦しい!!!❣助けて!(変換したら面白いマーク付きました!)宗教はだから嫌いだ!