ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

ガラスのルーツも日本(ガラス用窯)

2016-05-31 19:18:32 | ガラスのルーツも日本(ガラス用窯)
ガラスのルーツも日本(ガラス用窯) 5・13
・知事升添さん支出不信のお金等への疑問に「精査して答えます・・」との返答、過去では度々言っていた升添知事の「金と政治に批判的」だった発言を行動で裏切った。口先だけのある宗教と同じで、精査して辻褄合わせをしたいという訳でしょうか。ガッカリデスネ。税金の無駄使い返せと言うべきですね。世界一貧しいとして来日した有名になった大統領の口先だけで無い金に清い行動、素晴らしいですね。
・ところで黒曜石が太古から矢尻に使われていた事はご存知だろう。その黒曜石は80%以上はガラスと類似成分という事もご存知でしょう。その黒曜石はそのままガラスの材料でもある訳ですが、熔解温度は土器を焼成する焚き火と同程度の800℃程度のようです。ガラスも黒曜石を矢じりにする加工の時、粉状になるだろうし、その粉を土器に溜めてあった物を忘れて土器ごと焚き火の中で焼けばガラスが溶けて液状になって、自然に冷えたら土器の中にガラスが出来ていたという自然があったと考えられます。縄文土器が世界一多出する諏訪地域の茅野市や原村の少し山の中から縄文時代は産地として黒曜石は日本中(?)から出土しているのです。もう縄文時代からガラスが作られていて不思議の無い状況です。それに縄文時代の双口土器の使い道は今のところ分かっていないのですが、現在使われているガラス窯の猫ツボと類似し、使用にもガラス液取り出しに双口土器は猫ツボ的で、推定ではガラスの炉的に使われていたのではないかと言えます。
・ガラスは多くが小玉としてネックレス的装飾品として使われているので、最初はガラスは旧例が必要だという性質から又材料を多量に使う製品が考えられなかっただろうし、ガラス小玉を量産するには数人で少量熔けたガラスを玉にするために材料を取り出す口を2つ造って、数人でガラス玉を造っていたのだと推定できますが、後には写真にあるような古穴を並べた合理的な鋳型が考案され一度に多量のガラス小玉が作られたと推定できます。現代のガラス窯は写真のように双口土器と類似する猫ツボ(連帯ツボ窯)への改良だと言えそうです。   
・壺に飾り付きツボが飾ってある須恵器もガラス窯だったのではないかと考えます。
・東大寺の御物の中に世界最古のガラス製造法が書いた書物が出土しているらしいのですが、さもありなん、ガラスも日本縄文時代から造っていた可能性が大きいですね

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2016-05-30 02:14:45 | ガラスのルーツも日本
ガラスのルーツも日本(ガラス用窯) 5・13
・知事升添さん支出不信のお金等への疑問に「精査して答えます・・」との返答、過去では度々言っていた升添知事の「金と政治に批判的」だった発言を行動で裏切った。口先だけのある宗教と同じで、精査して辻褄合わせをしたいという訳でしょうか。ガッカリデスネ。税金の無駄使い返せと言うべきですね。世界一貧しいとして来日した有名になった大統領の口先だけで無い金に清い行動、素晴らしいですね。
・ところで黒曜石が太古から矢尻に使われていた事はご存知だろう。その黒曜石は80%以上はガラスと類似成分という事もご存知でしょう。その黒曜石はそのままガラスの材料でもある訳ですが、熔解温度は土器を焼成する焚き火と同程度の800℃程度のようです。ガラスも黒曜石を矢じりにする加工の時、粉状になるだろうし、その粉を土器に溜めてあった物を忘れて土器ごと焚き火の中で焼けばガラスが溶けて液状になって、自然に冷えたら土器の中にガラスが出来ていたという自然があったと考えられます。縄文土器が世界一多出する諏訪地域の茅野市や原村の少し山の中から縄文時代は産地として黒曜石は日本中(?)から出土しているのです。もう縄文時代からガラスが作られていて不思議の無い状況です。それに縄文時代の双口土器の使い道は今のところ分かっていないのですが、現在使われているガラス窯の猫ツボと類似し、使用にもガラス液取り出しに双口土器は猫ツボ的で、推定ではガラスの炉的に使われていたのではないかと言えます。
・ガラスは多くが小玉としてネックレス的装飾品として使われているので、最初はガラスは旧例が必要だという性質から又材料を多量に使う製品が考えられなかっただろうし、ガラス小玉を量産するには数人で少量熔けたガラスを玉にするために材料を取り出す口を2つ造って、数人でガラス玉を造っていたのだと推定できますが、後には写真にあるような古穴を並べた合理的な鋳型が考案され一度に多量のガラス小玉が作られたと推定できます。現代のガラス窯は写真のように双口土器と類似する猫ツボ(連帯ツボ窯)への改良だと言えそうです。   
・壺に飾り付きツボが飾ってある須恵器もガラス窯だったのではないかと考えます。
・東大寺の御物の中に世界最古のガラス製造法が書いた書物が出土しているらしいのですが、さもありなん、ガラスも日本縄文時代から造っていた可能性が大きいですね。

馬具のルーツは木曽馬

2016-05-30 01:28:46 | 木曽馬は日本原産・古墳時代活躍の木曽馬・
馬具のルーツは木曽馬・ 5・29
・日本の馬の伝来も古墳時代にモーコ等中央アジアの馬が日本に伝来し馬具及び騎馬の習慣が根付いたような考古学上の認識が一般常識化している。特に江上氏の「騎馬民族伝来・馬具のアジアからの伝来」説に影響されている感が強い。私もワクワクして読んだ記憶がある。しかし松本市の発掘報告書を調べている中で、騎馬民族と言う「夢」に踊らされている事に気が付いた。と言うか、縄文中期後半の松本中山地域で馬具の一種が出土している事に気が付いた。そう、馬具も生活的にみると一挙に鐙とか轡など全てが揃っている訳ではない。必要な部分の器材から順次工夫され増えて、埴輪馬の装具の様に整った装具になった訳で、埴輪時代に既に馬具は殆ど揃っている。それほど以前から馬と日本人は関わってきている訳だ。松本中山の縄文土器と馬具の共出土を思い出した。
・縄文時代特に中期は八ヶ岳裾野から諏訪湖周辺を中心に茅野・原村・諏訪・岡谷地域が世界一の土器や遺跡の出土があり、大いに繁栄し人々が行き交っていた事を考えると、近くに自生しているクマなど他の動物と異なって優美で早い走りをする木曽馬が縄文の人々の目につかないはずが無い。木曽地域は諏訪や松本の直ぐ近く。そして馬具出土は福岡を抜いて日本一、遺跡等から出土する馬骨は木曽馬の特徴を持ったずんぐりむっくりの中型馬。
・馬との関わりは縄文時代からあっただろうし馬具の縄文遺跡からの出土もうなずける。当然日本の馬の文化の中では馬具と騎馬の習慣は日本にルーツがあることがはっきり言える事だ。今日本史を考えているから世界的ルーツを考える必要はなく、日本の文化の中の馬具は伝来文化ではないとはっきり言えることだ。しかし変なロマンチストは日本の木曽馬はモンゴル等から伝来したと主張している。日本に自生馬がいるのに何故輸入する程の必要があったのか、伝来説は単なる推定で有り痕跡も理由も無いのだから考古学的には早急なる見直しと検討をするべきだろう。
ウインドーズ10に変更したら
使い勝手非常に悪い。今までのようにブログが続けられるのか不安で書いてみた。
数日パソコンを預けていたのでその間、古代史で纏めて行きたい・やりたいとイメージが膨らんでいたのに、使い勝手が悪くイライラして、古代史で何今後やろうかイメージしていたことが頭から消えてしまった。
・伊勢志摩サミットも無事終わったが何が行われたのかよくわからない。それにしても都知事の公私混同・いい加減にしろと言いたいが、政治をきれいにしたいと・期待を持たせる事を言っていた舛添さん。ただ失望あるのみ。