ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

聖書は真実の記録書

2018-11-12 08:17:23 | 聖書は真実の書・仏教と聖書・偶像礼拝

聖書は真実の記録書   11・12

・日本人には馴染みが薄く「知っているが遠い存在」という聖書で私も知ってはいるが手に取ってみたのは20年前頃。理解も難しく未だ生活の為に働く必要もあって,イヤ霊的問題があって世の生活に戻った方がいいと判断し、聖書勉強からしばらく20年程、遠ざかっていた。その頃未だ聖書は手元に持っていたが聖書積読状態だった。その後現在地に越してき手聖書通読を始めて三分の1程度読み進んだ辺りに「イザヤ書」が納められていら。その時イザヤ書   の聖句で私は日本超古代史を研究していた関係で、日本の超古代の2000年とか3000年も以前に制作されたという「不空羂索観音や弥勒菩薩や阿修羅像」などの美しさに感動し、これらの仏像を制作したアーテストの存在が気になった、精神的にそんな技術に到達するには心が谷比較できない例えばキリストのような精神状態とか、神のように愛深い作者だったのか、一方でこれらの仏像製作の時だけて「神が乗り移って」荘厳で美しく高い技術を突然身に受けて制作したのかという点で非常に興味津々だった。あくまでも古代の仏像は美術的鑑賞であって神の依代とは思えなかったので、依代として「仏像に向かって」祈るという事はしていなかったが、この点、偶像礼拝はご法度で聖書は人間の作った仏像を悪魔的に扱っている。

・その理由がイザヤ書44:16-18にA氏が木を植え大きく育ったので薪とした。その木は一部が薪として焚火に使われパンを焼き肉を焼いて腹を満たした、そしてA氏は残りの木に彫刻を施し神像・仏像として、自分で作った彫刻像に平伏しその像に向かって「私を救い出して下さい・自分の掘った仏像に向かって貴方は私の神です」。と祈った。と書かれている。
・この聖句を読んだ時私は目から鱗だった。日本人は多くが考もせず「困った時の神頼み」的習慣的に仏像や卒塔婆等に「祈り」を捧げる。この馬鹿らしさ・不合理さを考えもせず、気にもしない。・・日本の信仰の本質に踏み込んだこの聖句を読んだ時、聖書が真の書だと知った。それに私の「生活科学の目で見た古代史」と視点が同じだ。自分が仏像などを信じていた訳ではないが、でも死んで土に還った何も考えない物になった先祖だの、お盆だのと過去に生きる日本の多くの行事がとても空しい事だったと、痛い程知り理解した。
・こんな素晴らしい気づきが彼方此方に聖書には書かれている。もっと勉強したいと思うと同時に、親しい知人たちに知らせたいと切に思った。偽りの情報に自分の人生を無駄にしてしまった事への反省は強い。もっと早くから聖書を勉強していればよかったのにと、反省しきり。そして今からでも遅くない、多くの日本人に仏教世界の人達に、本当の真実の宇宙の真実を知ってもらいたいと思った。日本の古代史の真実と共に早く真実に一歩でも近付きたいと思う。
・今私達はこの聖書の真実を人に伝えるようキリストに託されているのに、聖書研究会という組織に、私のこの率直な真実を伝えたい心を禁止されているので、禁令を破りブログに書いてしまった。見つかればもしかしたら除名されるかもしれない。でも真実を知らない多くの皆さんに聖書の真実を一日も早く伝えたいと思います。キリストが命を懸けて愛を伝え真実の『良い便りを伝えることを』私達に託したのに、私は組織の決まりよりキリストの思いを実行し、多くの人に伝えたい。私はもう高齢者だから、明日もないかもしれないのだから。聖書には未だ目から鱗の聖句が幾つか発見できますよ。是非若い人に聖書を読んで欲しいと祈ります。