ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

聖書に学ぶ・災害・お盆

2018-07-24 05:08:23 | 災害・お盆

最近の豪雨やら天災地変と楽園・・7・24

・気象庁が予測できない酷暑という天災が続いている最近だが、これは聖書に予言されている災害が多く起こる現象の一つと考えられる。今回の豪雨災害に有った被災者の方々にはお悔やみを申し上げるしかない。喪失感とこの暑さの中での不自由な中の片付けは生きる気力さえ奪ってしまうだろう。数年前の私なら立ち上がれなかっただろうと思う程で、こんな手ひどい災害を見るにつけ、私もやっと真実をお伝えしたくなった。

・日本では死者に対する哀悼の心が強い。家族のきずなの中で培われてきた思なのだろう。仏教の教えでもある。過去の先祖の思いなどを重視し今の人と死者が共に生きているかの様な細やかな心使いを死者に向ける。

・ただこの過去への思考が、生きる意味で正しい方向かと言うと、聖書では死者は既に肉体の滅びと共に思考も何も無いという。確かに肉体は腐り過去のその人が新しく考えることは有り得ないし今思っている事も有り得ない。ここのところが日本人及び仏教徒の多くが非科学的で「人間は死んだ後も天から子供の成長を見守っている」等と言い考える。

・お盆行事や彼岸等の行事とも関わるが、この問題は子供の頃から私を苦しめてきた問題でもあり、「先祖(時に死んだ母等)どう考えていたか考え、死んで今ここに「居ない人である母の思考を第一に考えてしまう」「母がどう考えたかより私はこう考える」で行動できない。私自身の考えより先祖や死母はどうかと、家族の意見に盲目的に従っていた性癖・習慣があった為に長い間苦しんできた。つい最近まで。結構私に類似して家族等に縛れ、不自由な思いで生きている人も多いと思う。しかし聖書を学んだその時、聖書の中に「イザヤ44ー-8・9」を読んだ時、まるで体中の重荷が落ちて軽くなり、未来が開けて明るくなった気がした。この言葉は多くの人に知って欲しいとその時思った。(イザヤ44・8-9では偶像礼拝を指摘した言葉で=木彫の木材の半分で偶像を造り其れを拝み願いを祈る、一方の木材の半分は焚火で薪にして肉を焼き美味しいと肉を食べる。この愚行を指摘している・位牌を拝んでいる事と同じ愚行)

・長い日本の歴史の中では(推定では)縄文時代後期には原始仏教的「先祖の思いの浮遊」を利用し、前を見つめるより死んだ「人の思」を利用し人心を動かして空気を利用してきた文化だったのではないか?!。4000年も同じような考え方だったと思われる。しかし今、多くの天変地変やら多くの災害が今私達の身近に迫っているようだ。聖書の予言に近い数々の天変地変が、今世界各地で現実に起こっている。4000年も以前からの同じような考え方への自然界からの警告ではないかと思える。仏教的考えを振り払い、見慣れない「聖書」を少し学んでみませんか?!。前を向く聖書的思考をするべき時と思えます。前を見る生活・生き方をすれば未来は楽園です。貴方もよく考えてみてください。今の人生思考の参考になると思いますよ!