三重県に須恵器のルーツ?
三重県の県史見てたら穴窯が多く出土している。穴窯は土師器=弥生土器の焚火的酸化焼成から、蒸し焼き的竈の手前の穴窯で多量に土器を焼いている窯が多く出土している。この蒸し焼き技術が始まれば、火の回りが良いところは半生の須恵器は焼け易いし、煙の処理から煙道を考えたりすぐカマドの発明になるし。穴窯でも火の回りのいい場所の土器は須惠器に焼ける率が高まる。今まで須恵器のルーツは松本市と言っていたが、場合によっては三重県の方が早くカマド=窯を発明していたかもしれない。でも松本の場合は縄文中期後半頃。
一方三重県の場合は時代が弥生時代中期としてあるので未だ時代が突っ込める資料が見つからない。穴窯出土土器の写真や須恵器の写真や見取り図が見られれば時代の判断も少し楽になるのだけれど。松本の須恵器はまだ糸切底ではない。糸切技術未開発のため丸底だ。三重県の穴窯出土土器が糸切底の土器の場合は糸切底の方が後の時代になるのだけれど。・・・。
もう今年も後1カ月と僅かになりました。皇居のもみじ一般公開が来月初めだそうです。死ぬまでに一度見たいけど一人で行く勇気がない。約束すれば守るために気が進まなくても出かけるのだけれど。段々行動するのが面倒になってきたのです。
三重県の県史見てたら穴窯が多く出土している。穴窯は土師器=弥生土器の焚火的酸化焼成から、蒸し焼き的竈の手前の穴窯で多量に土器を焼いている窯が多く出土している。この蒸し焼き技術が始まれば、火の回りが良いところは半生の須恵器は焼け易いし、煙の処理から煙道を考えたりすぐカマドの発明になるし。穴窯でも火の回りのいい場所の土器は須惠器に焼ける率が高まる。今まで須恵器のルーツは松本市と言っていたが、場合によっては三重県の方が早くカマド=窯を発明していたかもしれない。でも松本の場合は縄文中期後半頃。
一方三重県の場合は時代が弥生時代中期としてあるので未だ時代が突っ込める資料が見つからない。穴窯出土土器の写真や須恵器の写真や見取り図が見られれば時代の判断も少し楽になるのだけれど。松本の須恵器はまだ糸切底ではない。糸切技術未開発のため丸底だ。三重県の穴窯出土土器が糸切底の土器の場合は糸切底の方が後の時代になるのだけれど。・・・。
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