ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

モーセは約束の地に入れなかった!  9・21

2018-09-22 08:01:45 | 懺悔・許し

モーセは約束の地に入れなかった!  9・21
暑い夏と思っていたのに急に今朝などは寒い!!夕暮れの速さに戸惑います!!・。

・先日は西欧の古代史の中で燦然と輝くモーセについて少し勉強!、何十万人を引き連れてエジプトから約束の地に向かったその先導者のモーセはエホバ神から絶大の支持を得ていた。信頼されていたモーセが「約束の地・楽園」に入れなかった!、何故---?! 考えさせられました。

・多くのイスラエル人を神からの信託で、紅海に「海の道」を神の力で切り開き渡ったモーセの身に何が起こったか?ご存知ですか?神を裏切ったモーセ心の底には共に苦しんだ人々への戦友的絆が芽生えていた・戦友的愛が育まれていたのだは無いかと。だから絶対なる神に対する反発心=世論に繋がっていたと思えます。 
・今世界は天変地変が起こって、異常気象の中で、地震や集中豪雨や人々は振り回されている。文化の向上で幸い人の命が失われることは少なくなっているが、この異常気象は今後どの方向に変化するのか。先が見えない中で人は対処できずにいる。この後に何が起こるのか、どっちが楽園か!人類滅亡か!どの方向に地球号が向かっているのか皆目判らない。

・ただ願わくば、病無く痛みのない、争い(戦争)の無い平穏な日々が過ごせればと願うばかりだが、私が見る目では仏教的には、エホバではない神(大いなるバビロン?)の怒りを買い、怒りの原因を改めることなく人々は積み重ねてきたようだ。だからエホバ神はキリストを地上に使わせて「人類の罪」に気づかせようとされて2000年の時が過ぎた。
・今その裁きの時のような予言が当たっているような幾点もの現象が起こっている。モーセが神から怒りを買ったのは「人々の集団の世論」を抑えられなかった事実。モーセは人々の不満に同調してしまった。自分の怒りを感情を神にぶつけて顕にしてしまった!神への完全なる信頼が、人々の苦しみへの同情心から揺らいでしまった。
・最後の踏ん張りの時に「エホバ神は約束を果たされる方だ」・・という信頼・信仰を怒りの為に封じ込めてしまった。故に世論と同じように怒りを神に対して持ってしまった。我慢できなかった。苦労してきた人々が可哀そう!という気持ちがモーセにはあったかも知れない。弱い人々の気持ちに自分の弱さを重ねて、神への信頼を自ら断ってしまった。ここがサタンの付け所。サタンは神に背く人類を手を叩いて、大喜びで「仲間が増えた!!と大喜び」している。でも注意はサタンは喜んだが、サタンはモーセをその後、幸せにしたかというと、病気の痛みや苦しみからモーセ自身や人々を解放したかと言えば、病気や痛みや苦しみを倍加しただけで、後は知らんふり‥

・ここが私達の思案のし処という事を今書いていて気が付いた。ここです。神はエホバ神は人を幸せにしてくださる方だという点、サタンは幸せのエホバ神から人々を切り離せば目的は終わり。「後は俺の知った事じゃー無いよ!!」と舌を出してほくそえんでいる・・幸せの神エホバから切り離されたモーセの行き場は無いのです!。モーセの前に幸せの楽園はもう無いのです!。一度の怒りが、暗闇となってモーセの前に広がるばかりです。
・私達の前にまだ幸せの楽園に導いてくれる神エホバは??!・・


貴方は悪と知っていながら悪を繰り返す人を何度も許せるか?

2018-09-02 04:50:39 | 懺悔・許し

貴方は「悪と知っていながら悪を繰り返す人」を何度でも許せるか!?

最近は発信する気力も減退で、時々気力を奮い立たせるのですが、仏教の過去を見る強さに、私は聖書で言うロトの妻になりたくないのに、世を支配する過去を見る宗教者達の力の強さに、私の過去に引きづりこまれて、ちっとも前に進むことが出来ず、そんなこんなのストレスで体力も精神的にも使い果たして、混迷しています。

・若い人はその若さで過去の感情的体験も少ないから、若さで夢に突っ走れる特典がありますが、私の様な高齢者の場合は今の物価の高騰やら生活にタジタジで血液の巡りも滞っているのでしょう、その上の未来志向はおぼつきません。
・イエス・キリストが人々の罪の身代わりに犠牲になられた、そんな話は今の若者たちは知っているのでしょうか?。私は人々の身代わりになる事は嫌だから断りますが、若者達はどの程度犠牲という言葉を理解しているのでしょうね。

・先日私が書いた許せない!という話しと少し重なりますが、聖書では何度でも許しなさい・・と書かれています。キリストのように!!キリストが囚われたのは罪の故ではなく、人々の世論に負けた裁判人たちの暴挙でした。罪を犯した暴挙に加担した人、本人が罪を償うべきだと考えているのですが、イエスはイエスを杭に掛けた人々をも冤罪をイエスに着せた人々をも許しなさいと言っているのです。私は其の暴挙を自分で償いなさい!と若者たち・イイエ・人々に言いたい!。自分の罪は自分で償うべきです。それなのに自分を殺した世論に加担した人々を許すというのです。私は許さない。知っていて行った罪だから許さない。

・罪は許すと罪を犯した人は「許されたから罪はない」とでも勘違いしてしまうのか、ずるい人は其の罪を承知で何度でも罪を繰り返すのです。この厚顔無恥が無くならない限り私はキリストのように何回でも罪を許せとは思いません。

・日本には「仏の顔も三度迄」という諺があります。三度以上の悪事は仏も許さないことを言っていると思いますが、キリストはそれを超えて何度でも許しなさいと言います。貴方にはそれが出来ますか?

・本当に悪かったと神に懺悔しても私にはそのざんげは届きません。私も魂だけの人間ではないから、日本風に懺悔を「形で表さない人」は決して許しません。
・だから聖書を学ぶと言っても難しいですね。頭では理解していても行動に表さないと「口先の戯言」とか「口約束」では本当の和解ではないことに成るのですから、聖書でもよく行動を伴わない信仰の事が書かれていますが、口が上手いだけでは信頼されないと思います。日本の仏教も宗教全体もこの点疑問に思っています。口先・頭では理解して上手く言い繕うとして行動を伴わない「言行不一致」の自分にはなりたく無い。今後の学びです。
・本当は私は頭だけの人・行動が伴わない人は大嫌いなのです。口先ばかりの人・・「その口から出した言葉を勝手に、言った本人が、いつ反故にされるか解らない、下手に信用できません」。日本では「憎まれっ子、世にはばかる」ですか?。憎まれるような悪ガキが、世を堂々と生きていく・・悪さをしてもずる賢く生きている人の姿を言うのでしょう。人の演技は誠実な言葉かウソの誤魔化しの言葉か見分けは難しいですからね。最近「△△は言葉と共に生きていく」と言うキャッチフレーズTVでよく見聞きしますが、言葉ばかりで実行が伴わないことは困りますね!?何を私は信じればいいのでしょうね?。

・余談ですが聖書の信仰では個性は認めない!!ように私には思えるのですが、個性無視は、それは私は困ります。一生をかけて研究してきた私独自の目線の生活科学の目で見た「日本の超古代史」は他の学説と異なって、各所に私の目線で日本の超古代史を、文化の結果の出土品で検討しているのですから、それを否定したり聖書で言う愛を与えよという言葉通りAさんが欲しがったからAさんに与えよなんて出来ません。私が研究してきた私に与えられた才能だから、私の物です。この研究結果を人に与えては、盗まれては私の努力は水の泡、盗んだ者勝ちでは、私は虫けらと同じに何もしなかった人生という事になってしまう。!!!。嫌ですね例え大好きなキリストにその古代史の結論をが欲しがっているからAに与えよ!と言われたって、私は死守しなければいけないと思います。ここが魂の世界の難しさなのでしょうね。今マインドコントロール(洗脳)が私にひっきりなしに送られてきます。私は許さないし与えない!でも聖書では何度でも許せと説く。キリストを尊敬し信頼し、大好きなんですよ!どう解決されるか??洗脳される私は頭が重く苦しい!!!❣助けて!(変換したら面白いマーク付きました!)宗教はだから嫌いだ!