十字架形屋根のノートルダム寺院と善光寺の十字架形屋根 4・25
今日は又キリストに関わる問題。先日フランスのノートルダム大聖堂が焼けた時十字架が焼け残って瓦礫の中に燦然と輝いていた。又寺院の屋根が十字架の形になっているという。そう言えば善光寺(仏教のルーツ的存在の寺)の屋根が同様に十字架の形だと言う。意図した設計か?、でも長野市善光寺は緑釉瓦が出土しているから縄文後期に築造された(少なくも3000年以前)と推定されるが、改築等で設計変更があって屋根を十字架に組んだのか?古代の彼方此方の画像を見ていると時々十字架のモニュメントが見受けられる。キリスト以前の時代から、十字架の印は宇宙からの人類へのメッセージかも知れない。
・そんなキリストの架刑された記念式だった。その記念式に誘って頂いたが「キリストのいない今の集会」では、全くこの集団への信頼を失くした現在の私は又世の荒波に身を置く事とした。キリストの愛を説きながら、自己エゴと欲望の為に創価学会と手を組んで隠れて研究生を犠牲にするような指導者が力を振るっている集団より、はるかに一般人の方が清らかな人々がいることを、知ったのでもう拘らないこととした。
・宗教者達は攻撃の相手を潰すために当人の過去の不幸なこと等を思い出させ、攻撃を加え、その人の活力やヤル気を削いで殺す念を送りマインドコントロールを仕掛けている。私のように素直な人間は幻聴が聞こえれば天からの声かと勘違いして声に従ってしまうという結果。善人程不幸な苦しい生活環境に立たされる結果となっていた。其処をキリストの教えで過去の死者は肉体と共に滅び、思考も考えもない等、私を楽にしてくれた教えの一つだが、貴重な教えが聖書には書かれている。
・しかし今の世はサタンの支配下と言う意味も実体験した。キリスト・エホバの愛を説きながら仮面を被って本心を隠して指導者自身が、自己の名誉欲やエゴ・保身に走っている姿は何と汚い事か。そんな人間の主催する仮面の下にキリストはいない。と考え復活祭に参加しなかった。彼女たちはやっぱ清く自身を保とうとしている人が多いと見えたが、男は特にいけない。保身と名誉欲とエゴの強さが一般の人より目立ちすぎる。全員とは言わないが、私をその汚い心がよく襲ってきた。
・サタンを蔓延らせたのはしがらみなのか。私も幻聴が真実ではないと思った頃、この謎を突き止めようとシガラミを切った。その為家族もなく付き合いもほとんどなく寂しい状態だが自由で気が楽過ぎてボケが始ってしまう。
・今私は仏教の本質は過去の死者にも考えがあるような扱いだが現実には今の宗教者が過去の死者のはずの親等に成りすまして、意思(マインドコントロールを掛ける)という仏教の本質が解けた気がして、この世が疎ましい。でもせっかく神が造られた楽園を見てみたいと思うようになった。今の世は地獄でありサタンが支配していて、神が優しく思いやり深過ぎたのでサタンの世を容認してしまった故に戦争や肉親さえ殺すすさんだ世の中、私はサタンの横暴もう許さない。サタンは狡猾で自分の保身のために自分への怒りを他人に向けさせたりマインドコントロールで自分に矛先が向かないように敵対者をマインドコントロールする。そいつらが「犠牲の見本を示したキリスト」を教える立場の指導者として、自分の地位に胡坐をかいている。それが宗教の現実です。人々よ!でも聖書は時々真実を書いてあります。nt>
今日は又キリストに関わる問題。先日フランスのノートルダム大聖堂が焼けた時十字架が焼け残って瓦礫の中に燦然と輝いていた。又寺院の屋根が十字架の形になっているという。そう言えば善光寺(仏教のルーツ的存在の寺)の屋根が同様に十字架の形だと言う。意図した設計か?、でも長野市善光寺は緑釉瓦が出土しているから縄文後期に築造された(少なくも3000年以前)と推定されるが、改築等で設計変更があって屋根を十字架に組んだのか?古代の彼方此方の画像を見ていると時々十字架のモニュメントが見受けられる。キリスト以前の時代から、十字架の印は宇宙からの人類へのメッセージかも知れない。
・そんなキリストの架刑された記念式だった。その記念式に誘って頂いたが「キリストのいない今の集会」では、全くこの集団への信頼を失くした現在の私は又世の荒波に身を置く事とした。キリストの愛を説きながら、自己エゴと欲望の為に創価学会と手を組んで隠れて研究生を犠牲にするような指導者が力を振るっている集団より、はるかに一般人の方が清らかな人々がいることを、知ったのでもう拘らないこととした。
・宗教者達は攻撃の相手を潰すために当人の過去の不幸なこと等を思い出させ、攻撃を加え、その人の活力やヤル気を削いで殺す念を送りマインドコントロールを仕掛けている。私のように素直な人間は幻聴が聞こえれば天からの声かと勘違いして声に従ってしまうという結果。善人程不幸な苦しい生活環境に立たされる結果となっていた。其処をキリストの教えで過去の死者は肉体と共に滅び、思考も考えもない等、私を楽にしてくれた教えの一つだが、貴重な教えが聖書には書かれている。
・しかし今の世はサタンの支配下と言う意味も実体験した。キリスト・エホバの愛を説きながら仮面を被って本心を隠して指導者自身が、自己の名誉欲やエゴ・保身に走っている姿は何と汚い事か。そんな人間の主催する仮面の下にキリストはいない。と考え復活祭に参加しなかった。彼女たちはやっぱ清く自身を保とうとしている人が多いと見えたが、男は特にいけない。保身と名誉欲とエゴの強さが一般の人より目立ちすぎる。全員とは言わないが、私をその汚い心がよく襲ってきた。
・サタンを蔓延らせたのはしがらみなのか。私も幻聴が真実ではないと思った頃、この謎を突き止めようとシガラミを切った。その為家族もなく付き合いもほとんどなく寂しい状態だが自由で気が楽過ぎてボケが始ってしまう。
・今私は仏教の本質は過去の死者にも考えがあるような扱いだが現実には今の宗教者が過去の死者のはずの親等に成りすまして、意思(マインドコントロールを掛ける)という仏教の本質が解けた気がして、この世が疎ましい。でもせっかく神が造られた楽園を見てみたいと思うようになった。今の世は地獄でありサタンが支配していて、神が優しく思いやり深過ぎたのでサタンの世を容認してしまった故に戦争や肉親さえ殺すすさんだ世の中、私はサタンの横暴もう許さない。サタンは狡猾で自分の保身のために自分への怒りを他人に向けさせたりマインドコントロールで自分に矛先が向かないように敵対者をマインドコントロールする。そいつらが「犠牲の見本を示したキリスト」を教える立場の指導者として、自分の地位に胡坐をかいている。それが宗教の現実です。人々よ!でも聖書は時々真実を書いてあります。nt>