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ももちゃんの面白古代史

ももちゃんが生活科学の目で主に日本古代史解明します。新しい情報いっぱい。例えば日本の縄文時代に製鉄が行われていた根拠など

縄文製鉄(鉄鐸とカッ鉄鋼)

2020-04-03 09:48:37 | 銅鐸の謎・弥生時代・日本古代史・鉄鐸

コロナウイルスの終息は何時・縄文時代の製鉄・今桜が美しい!  ももちゃんの古代史 ・R2・4・3

コロナウイルスの姿が見えないという事はこんなに人々を不安にするのかと驚きです。早いコロナ撲滅を願うのみ。コロナの性質知ってテイクアウトに切り替えたレストラン等の頭の良さと行動力に脱帽です。
・ちょっと不活発にならざるを得ない私はズーとパソコンに向かって呑気です。
・それでこんな時ですが、動画アップしました、時間ある人は見てね!こんな時だから暇つぶしに日本超古代史や隠された真実を考えてみるのも面白いと思いますよ!お友達にも知らせてください!。「日本に製鉄の文化のルーツがあって、先祖達が努力し新技術の開発等に関わっていたかも?!」と思うのも想像の世界で面白いと思います。

・「縄文製鉄(鉄鐸とカッ鉄鋼)」動画のタイトルです。今まで「縄文代に日本で製鉄が行われていた」と考えてたけど、今回は出土品の写真や野焼き状態の赤い地床炉の写真が集まったので、「製鉄は縄文時代の初期頃には日本で始まっていた」と断定し動画発表しました。

確かだろうと思えた方は是非お友達や仲間に拡散してください。!!!
・日本文化が古代先進国の中国等から古墳時代に技術が伝来しその後、日本でやっと文化が発展したと言う、何時も文化の面等中国に引け目を感じていた感情がスッキリです。証拠のない常識からもう卒業したいですね!
・「日本古代史・生活科学の目で見た日本古代史」(予定)の冊子を10月頃出版したいと思います。是非読んで下さい。日本素晴らしい文化や先祖たちの活動を写真多くしてまとめます。10月頃には出版したいのですが、資金繰りで「マクアケ=クラウドファンデング」で5月頃から募集しますので、是非ご協力ください。又お仲間の方にも話して、皆さんの古代史仲間で検討を加え皆さんの研究が進展することを祈ります。

 


銅鐸の謎と真相

2015-10-16 04:07:07 | 銅鐸の謎・弥生時代・日本古代史・鉄鐸
銅鐸の謎と真相
 銅鐸の形と使い方、鉄鐸の形と使い方どっちも筒状でどっちも舌を付けて鳴らして使っていたことが解っている。使い方も形も同じなんですね。
 又両方とも信仰の対象というかシンボルにして、境界線的なところで使ってたらしい。鉄鐸は境界線的峰の木に鉄鐸打ちつけてるし、銅鐸は境界線的峰など山中などに飾って使ってたと考えられる場所から出土している。
だから銅鐸か鉄鐸のどっちかをどっちかが真似して作ったとしか考えられない。
 そして調べてたら鉄鐸の形が、自然形成されるカッ鉄鉱・高師小像とそっくりの形だこと解ったのです。それでカッ鉄鉱は質が悪いけど加工で鉄の材料になるらしい。戦前の昭和15年頃に戦争で鉄不足の時カッ鉄鉱の多く産出する諏訪地域に「諏訪鉄山」という製鉄工場が作られて、製鉄を行っていたという情報は以前から知っていたので結びついて、大昔縄文時代にもカッ鉄鉱・高師小像を鉄の材料にして製鉄が行われていた。と考えた。
 その鉄の材料の自然界にある形を真似て自然に感謝して人間が発明・開発した製鉄技術で鉄鐸を作って神に感謝し祀ったのが小さな鉄鐸で、松本地域から多く出土しています。その鉄鐸が諏訪大社のシンボルになった。
 製鉄の文化だった時代に鉄と違った「銅」という金属が製鉄してたら、新たに生まれ出た。この新しい「銅」という物質を知って(銅も製鉄していたら偶然に製銅出来てしまったと考えられます)鉄鐸と違う文化勢力に発展して、鉄文化に対抗し鉄鐸のシンボルを真似て銅鐸を作った。そしてシンボルの銅鐸を掲げて鉄文化に対抗してテリトリーを競って・現実に争ったと考えられます。だから銅鐸の出土地は多くが山の峰や見晴らしのいい場所から出土していると考えられます。
 それで今まで貯めていた写真やネット写真を拝借して動画造って載せました。見て下さい