女性問題・・・聖書を学ぶ
今日本でいや世界中でセクハラ問題・パワハラ問題が火を噴いているが、力の弱者の女性に対する力の男性が、言葉のみに関わらず各場面で力をチラつかせて嫌がらせを行い、女性は嫌と言えず泣き寝入り・・我慢の状態が各地で起こっている。
・この問題でかねてから私の中でも色々あって考えるところが多かった。しかし聖書の中では女性の立場・尊厳は守られている事を知り聖書への信頼感が増しているのだが、聖書では女性はあくまでも男性の半身であり、主導権(頭)は男性だとするのも自然界の中で女性が感情強い傾向がある事から、理知的な男性に主導権がある事の方が、物事や世間が安定するのは確かと言える。
・今まで仏教的には女性は穢れた者とされ、尊厳が与えられていない感が強かった。そのため今迄私≒女が生きる中で多くの違和感があったが、最近は大分緩和されたと考えていた。それでも女性の地位はまだ定まっていない。アジア圏では多くの地域・国が仏教的だから、女性の地位はかなり低い物と実感している。
・女性が物事に対し感情に訴えるのではなく、理性的に物事を判断できるようになれば、女性の地位が上がるのかも知れない。
・古代史を研究した中で垣間見た事実?は仏教の成立自体女性蔑視から始まっていると思える。要するに古事記・日本書紀では父なる伊弉諾尊がアマギハラで禊した時(この時は未だ女性の地位は対等位だったようだ)三貴神(男神2人+天照大神女神)が生まれている。その後の日本史は三貴神の繰り広げる三角関係で女神を追いかけ、天岩戸に天照大神を閉じ込め、故に仏教の出現となって、三貴神の物語は幕を閉じている。…。天照大神≒女性は男の力に屈して負けたのだから、敗者に女性の尊厳や人権など与えられなかっただろう。これが古代出土品で実証できるのですから面白いですよ。そのうち本を出版したいと思う程です。