日大アメフト問題 聖書を学ぶ 5・25
・今、日大ラクビー部の不法タックルプレーによる責任問題がマスコミ≒世間をにぎわしている。聖書新米者の私が聖書から紐解くなど出来ないが、絶対的力のある組織対被害者的宮川君が一人の日大組織に挑戦と言う事だろう。組織的監督やコーチの絶対的命令に対して、命令に従ったがそれはフェアプレイの域を脱していた。組織は其の点を宮川君へのプレーシャーとして突き付けてきた。彼は監督に従った自分を反省し、組織の力に対して、堂々と組織人でなく自分個人の人間としての義・正義・愛について、責任ある態度を表明し、ケガさせた人に対し素直に詫び、アメフト選手としての夢もアメフト人生も捨てた。私は宮川君が今後、社会的地位とか組織の力に屈せず、今のように義と愛と公平と責任感を貫いて欲しいと思う。聖書的には「義と愛と公平は神に近づくために追求すべき」と書かれている心情だと私は解釈しているのだけれど。