変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




国外に出たことは殆ど無い。
それでも印象に残っているのはトルコ。
行ったのは随分と前になる。US$と円のレートが78円の頃だった。
何でも¥で買い物できたし、¥コインも使えた。

彼の地は、ローマ帝国の版図内であった時代が長い。ビザンツ帝国も
含めると、1500年以上もローマ文明の影響下にあったことになる。
そんな足跡を求めて、幾つかの遺跡を訪ねてみたんだ。
・・・はっきり言って、瓦礫の集まり。
散在する石塊から、繁栄を謳歌した往年の都市を想像するには、おいらの
イマジネーションはプアだった。
かと言って、外観だけとは言えほぼ原型を留める円形闘技場から、かつて
の歓声が聞こえるでもなく。

夢にまで見たイスタンブールの町並み。
心だけ先に飛ばしたこと幾多のカッパドキア。
温泉好きのおいらが興味津々だったパムッカレの風呂。
結局は、現代西欧風のリゾート地であるアンタルヤでの休息が最も充実。

おいら、どうやらメンタルが弱いんだな。
幾ら憧れようが、想像力で作り上げた仮想の世界では、たとえ歴史的な
事実が過去に存在していようとも、落ち着かないのだ。
それが退廃文化であろうとも、唾棄すべき文化の末裔であろうとも、目の
前に実在する実体に拠り所を求めてしまう。

これでいいのか?

いいんだよ、きっと。

要衝ではあっても、辺境の町でしかなかったビザンチウム。それがキリスト
教の5大聖地の一つとして、そして世界的な大都市として栄え、チムールを
撃退してから無敵を誇ったオスマン帝国のスルタン、メフメト2世をして、焦
がれたと言うコンスタンチノープル。イスタンブールと名を変えてからも尚、
東西文化の坩堝であり続けたと言う。
その町を歩き、遺跡を訪れ、人と話し、モノを食い、買い物をし、そういった
記憶を思い出に変えるのは、日本に帰って来てから。
拠り所無くしては、思い出どころではない。

そういうことなのだろう。
そう言えば、トルコ行った時もゴールデンウイークだったけ。

にほんブログ村 日記ブログへ
にほんブログ村 趣味ブログへ
にほんブログ村 小説ポエムブログへ


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )