変化を受け入れることと経緯を大切にすること。バランスとアンバランスの境界線。仕事と趣味と社会と個人。
あいつとおいらはジョージとレニー




なんだかな。
世の中、小泉首相の靖国参拝の話題で盛り上がっていた。
時事問題やニュースはネタにしないことにしていたのだが、たまにはいいっか。

自慢の経済力が低迷し、技術立国の肩書きも取って代わられ、先の見えない
不安に陥っていたバブル後の日本。
そんな状況で日本人の総意を鼓舞するには、ナショナリズムしかなかったはず
で、その一環として「自国の理論、他国への物言い」から国威高揚を目指した
小泉さん。彼は冷徹な政治家ですよ、多分。翼の右左に関係なく、手段として
靖国神社を参拝したんだろう。勿論、もとからの持論をベースにしてはいるんだ
ろうけど。

参拝に対するおいらの賛否は、ここには記録しない。

8/15ではないけど、毎年靖国神社に足を運んではいる。だからといって右傾な
イデオロギーを支持している訳では全くないし、育ちはどちらかと言えば左に傾
いている気もする。天皇陛下の存在は支持するし、社会主義の利点も魅力的
だと思う。

どっちつかず、ということではなくて、日本人として、親として、大人として、自分
の考えを纏める過程にあるということ。
戦争の被害者(広義)の御霊を祭るという結果論より、何が起こったのか、何が
行われたのか、知っている人はいるだろうか。
例えば南京虐殺、そのものの有無を主張する勢力がある。朝鮮半島で日本人
が何をしたのか。強制徴用もしただろうし、インフラの整備もやっただろう。各論
では良否あるだろうけども、総論での判断の為には、まず、事実を知らなければ
ならない。

知らないんだよ、おいら。

米軍戦闘機の機銃掃射から逃げた経験を持つ肉親がいる。国内の話だし、民間
の女性で、当時は子供である。
中国で人々を次々に射殺している日本兵の映像をみたことがある。切り取った首
を死体の股間に置いていた。
おいらが子供の頃に、東南アジアの日本陸軍兵の写真(死体)を見たことがある。
その腹は切り開かれていて、取り出した肝臓をすぐ横で米兵が食べている写真で
ある。米兵は笑顔だった。
これらは、ほんの一つの局面でしかない。しかし、事実である。そして、当事者に
とっては全てである。
広島長崎の原爆ですら、本当に起こったことを知っているか。
戦争とは何か、そんな大それたことまで言うつもりは無い。ただ、日本人の過去
の営みとして、悪しき事実として、そして双方とも凄惨を極めた当事者として、
知っておかなければならないこと、目を背けてはいけないこと、それらに対して、
我々は余りに無知ではないか。

神社の制度という我が国の伝統文化、大切だけども、起こってしまったこと、
やってしまったことという事実の前に、守るべきものが何なのか、自ずと結論は
出よう。

英霊への参拝と戦後処理、同列同時に議論してはいけないのかもしれない。
そうであるのなら、個別別個に構えられる仕組みを作ればいい。
拘るべきことは何なのか。

考えよう。

和を以って尊しとする、素晴らしい伝統文化を持つ日本。考えた上で平和に至る
ことができる最短距離にいるはず、という自負と自尊心。
それらに掛けて、守るべきこと、主張すべきこと。

考えよう。

個々の持論各論は、事実の上に立脚しよう。

日本だけで300万人が死んだんだ。
凄まじい数の人々を殺したんだ。
これは、紛れも無い事実なんだ。


ランキング参加中です。
宜しければクリックをお願いします。
    ↓
にほんブログ村 その他趣味ブログへ
にほんブログ村 その他日記ブログへ


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )